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追跡
VIPルーム
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【猫の尻尾亭】
真っ白な壁に覆われた窓のない建物。ひっそりと掲げられている看板。何かを隠すその姿が淫靡なオーラを後押ししている。
ガトはその入口を少し離れたところから睨んでいた。
派手さはないが佇む扉からは甘美な世界への入口として、欲にまみれた紳士達を次々に飲み込んでいく。
その様子に気圧されてしまい、気後れしてしまっていた。
大丈夫だ、手紙を渡せばいいだけ。
尻込みする自分を鼓舞し、入口へと進んだ。
「いらっしゃいませ。今宵はどうされますか?」
スラっと美しい顔立ちをした猫人のボーイが、ガトに声を掛ける。
穏やかな声色とは裏腹に鋭い目つきでガトを睨んだ。
「こ、これを⋯⋯⋯⋯」
おぼつかない手つきで懐からリブロからの書状をボーイに渡した。
くしゃくしゃの書状を険しい表情で一瞥すると、中を確認していく。
書状とガトを交互に見やり、顎で店内へと案内した。
なまめかしい店内の雰囲気に圧倒されながら、ボーイの後ろをついて行く。
店内の奥から通じる、VIPルームの並ぶ回廊をひたすらに進む。
一番奥の部屋へたどり着くとボーイは扉を開け、中へと即した。
「ここで待て」
燭台を囲む紫桃色のすりガラスが、部屋を怪しく照らし出す。
豪奢なソファは居心地が悪く、浅く腰掛けて次の行動を待った。
「すげえところだな⋯⋯」
ガトが部屋を見回し、二度と来ないであろうVIPルームを眺めていた。
リブロの言っていた通りだ、しかし一晩でいくら使うんだここ。
余りにも違う世界に溜め息しか出てこない。
そうこうしていると、急に扉が開いた。
眼鏡を掛けた狼にフードを深く被った獣人、この小さい女は子供か?
奇妙な三人組はガトの前に乱暴に腰掛けた。
狼がヒラヒラと書状を振っている。
妙な緊張感にガトは生唾を飲み込む。
額から変な汗が流れ落ち、視線は常に定まらない。
聞いていた話と違うかも?
心臓が高鳴り、どんどんと落ち着きがなくなっていった。
「アルバで悪さしようとしたらしいな。なかなかいい度胸だ」
「いや、そんな事はない。ちょ、ちょっと魔が差した⋯⋯みたいな⋯⋯感じで⋯⋯」
言い淀む姿に外連味は感じんな。
リブロの言う通り、ただの素人か。
全く、たぶらかしたバカは何考えていやがる。
マッシュはガトを睨みながら舌打ちをした。
その姿にガトは震えあがる。こらぁ、あんまりいじめたらかわいそう⋯⋯か。
「分かった、分かった。オレ達はおまえさんの持っている情報を買いたいだけだ。しっかり頼むぞ。まずは工房について教えてくれ。何を作る予定だったって?」
「薬と聞いていた」
マッシュの言葉にガトは落ち着きを取り戻していく。
深呼吸をひとつして、真っ直ぐマッシュを見つめるとしっかりとした口調で答えた。
マッシュはテーブルをコツコツと叩き逡巡する。
思いつくものはひとつしかない、あそこで“あの実”を量産してバラ撒き資金源にしようと目論んだ、これで話は通じる。
“金の成る木”なんて言いやがって、まさしく枯れて終わりだ。
「他には⋯⋯そうだな、何人くらいが働く予定だった? 給料は結構はずむって話じゃなかったか?」
ガトが少し驚いた表情を見せた。
「なんで給料がいいって分かったんだ? あ、工員の募集は100名くらいって聞いていた」
100名⋯⋯、かなりの規模だ。
マッシュは頷き、ガトの前に小さな実を転がす。
ガトが指でつまみ、不思議そうにその実を眺めるとマッシュの方を向いた。
「こらぁ、なんだ?」
小首を傾げるガトに、笑顔を見せる。
実をガトから受け取り胸ポケットにしまい直す。
「こいつは脳みそがとろける実だ。おまえさんが作る予定だったものだよ、多分だけどな。摂取し続けると、感情もなくなり、なんも考えられなくなるヤバイ実だ。ミドラスの裏街じゃあ、すでに出回っている。こいつを大量に作って売りさばく気だったんだろう」
「⋯⋯え?! だって薬って⋯⋯」
「そらぁそうだろう、ヤバイ実を作るなんて大声で言えない。それに給料だってきっと最初だけだぞ。オレだったら実漬けにして、あとは実をエサに働かす。これで金も掛からない便利な労働力の出来上がりだ。おまえさんは、ただただ実が欲しいが為に黙々と働くだけの日々を送る⋯⋯死ぬまでな」
ガトが信じられないという顔でマッシュを見つめる。
ヤバイ実があるという噂は聞いた事はあったが、まさか本当の話だったとは。
にわかに信じられないが現物を示され、話として筋が通っている。
信じたくないという思いと、この短い期間に起こった事を考えて何が本当なのか必死に考えた。
もし、マッシュの言った事が本当ならば⋯⋯背筋が凍る。
人でなくなったかもしれない可能性が、すぐ側まで来ていたという事だ。
アルバでリブロに捕まった事はむしろ自分にはラッキーだったのでは? とすら思えた。
「なぁ、でもなんであんた達は工房の事なんて知りたいんだ?」
「その工房を延期させたのはオレ達だ。ただ、何をしようとしていたのか分からず頓挫させたんで、何を企んでいたのか調べていたって感じだ」
「え!! 潰したのはあんた達なのか?」
「延期だから潰れてはいないけどな。まぁ、おまえさんのおかげで何を企んでいたかは、おおよそ掴めたよ」
マッシュはいたずらに口角を上げて見せた。その姿に只ならぬものを感じ、敵にならず良かったと心から思えた。
「さて、それともうひとつだ。おまえさんをたぶらかした大馬鹿野郎について聞かせて貰おうか」
ガトは頷き、口を開く。
怪しい光が照らす三人が醸し出す雰囲気に、のまれているのは自分でも分かる。
ただ、今はクソみたいな人生を送らずに済んだ事に感謝しよう。
自分はラッキーだった、そうだ間違いない。
ガトの心の変化に目つきが真剣なものへと変わる。
この計画を潰して貰わないと、犠牲者が出てしまう。
託そう。力になるならいくらでも微力を尽くす。
「工員の話が延期になって、金の目処が無くなりくさっていたんだ。安酒場で仕事が流れた事をグチっていたら、一杯おごるっていう猫人が近づいてきたんだ。高級ってほどじゃないが、小綺麗な身なりをしていて金はちゃんと持っていそうだったから、タダで飲めるって飛びついた。猫人にしては背が高くてちょっとごつい感じがする珍しい感じのやつだったよ。一杯どころかグチを聞いてくれたうえにその日の飲み代全部持ってくれるって言うから調子良く飲んでいたら、そいつが金に困っているならいい話があるって言い出した。ヴィトリアの一角に兎人と小人族がいるから攫って金持ちに売ったらいい金になるぞって言われて⋯⋯つい⋯⋯」
さすがにバツが悪いのか、最後の方は尻すぼみになっていく。
一同は黙って聞いていたが、おもむろにカズナがフードを外すとガトが目を剥いた。
ヨルセンが言っていた事を思い出し、震える。
「ガト、大丈夫だ。何も、しやしないよ。だろ? カズナ?」
「二度と同胞を狙わないなラ、今回は大目に見てやル」
ガトは何度も頷いた。
「ガト、その猫人を見たら分かるか?」
「も、もちろん! リブロから教えるように言われている」
「いい返事だ。そいつを見つけるまで、もうちょっとつきあえ。そんなくだらない事を吹聴しているヤツは何とかしておかないとな」
「分かった」
「早速だが、頼まれてくれ。⋯⋯⋯⋯この金でそいつが出入りそうな飲み屋を洗ってくれ。オレ達が動くと目立つ。目処がついたらこの書状をまた受付に見せろ。これがこのVIPルームへのフリーパスだ、なくすなよ。早速、今日何件か回って、明日昼過ぎにここに来てどこを回って、そいつがいたか、いないか教えろ。飲み過ぎるなよ」
ガトが金を握り締め、VIPルームをあとにした。
「アイツ大丈夫カ?」
「分からん。こういうのは団長まかせだったからな。ユラ、どう思う?」
「オレなら、ぶん殴って言う事を聞かすだ。でも、それやったら団長に怒られるからな」
「そらぁ間違いない。まぁ、信用するしかあるまい」
そう言ってマッシュは肩をすくめて見せた。
真っ白な壁に覆われた窓のない建物。ひっそりと掲げられている看板。何かを隠すその姿が淫靡なオーラを後押ししている。
ガトはその入口を少し離れたところから睨んでいた。
派手さはないが佇む扉からは甘美な世界への入口として、欲にまみれた紳士達を次々に飲み込んでいく。
その様子に気圧されてしまい、気後れしてしまっていた。
大丈夫だ、手紙を渡せばいいだけ。
尻込みする自分を鼓舞し、入口へと進んだ。
「いらっしゃいませ。今宵はどうされますか?」
スラっと美しい顔立ちをした猫人のボーイが、ガトに声を掛ける。
穏やかな声色とは裏腹に鋭い目つきでガトを睨んだ。
「こ、これを⋯⋯⋯⋯」
おぼつかない手つきで懐からリブロからの書状をボーイに渡した。
くしゃくしゃの書状を険しい表情で一瞥すると、中を確認していく。
書状とガトを交互に見やり、顎で店内へと案内した。
なまめかしい店内の雰囲気に圧倒されながら、ボーイの後ろをついて行く。
店内の奥から通じる、VIPルームの並ぶ回廊をひたすらに進む。
一番奥の部屋へたどり着くとボーイは扉を開け、中へと即した。
「ここで待て」
燭台を囲む紫桃色のすりガラスが、部屋を怪しく照らし出す。
豪奢なソファは居心地が悪く、浅く腰掛けて次の行動を待った。
「すげえところだな⋯⋯」
ガトが部屋を見回し、二度と来ないであろうVIPルームを眺めていた。
リブロの言っていた通りだ、しかし一晩でいくら使うんだここ。
余りにも違う世界に溜め息しか出てこない。
そうこうしていると、急に扉が開いた。
眼鏡を掛けた狼にフードを深く被った獣人、この小さい女は子供か?
奇妙な三人組はガトの前に乱暴に腰掛けた。
狼がヒラヒラと書状を振っている。
妙な緊張感にガトは生唾を飲み込む。
額から変な汗が流れ落ち、視線は常に定まらない。
聞いていた話と違うかも?
心臓が高鳴り、どんどんと落ち着きがなくなっていった。
「アルバで悪さしようとしたらしいな。なかなかいい度胸だ」
「いや、そんな事はない。ちょ、ちょっと魔が差した⋯⋯みたいな⋯⋯感じで⋯⋯」
言い淀む姿に外連味は感じんな。
リブロの言う通り、ただの素人か。
全く、たぶらかしたバカは何考えていやがる。
マッシュはガトを睨みながら舌打ちをした。
その姿にガトは震えあがる。こらぁ、あんまりいじめたらかわいそう⋯⋯か。
「分かった、分かった。オレ達はおまえさんの持っている情報を買いたいだけだ。しっかり頼むぞ。まずは工房について教えてくれ。何を作る予定だったって?」
「薬と聞いていた」
マッシュの言葉にガトは落ち着きを取り戻していく。
深呼吸をひとつして、真っ直ぐマッシュを見つめるとしっかりとした口調で答えた。
マッシュはテーブルをコツコツと叩き逡巡する。
思いつくものはひとつしかない、あそこで“あの実”を量産してバラ撒き資金源にしようと目論んだ、これで話は通じる。
“金の成る木”なんて言いやがって、まさしく枯れて終わりだ。
「他には⋯⋯そうだな、何人くらいが働く予定だった? 給料は結構はずむって話じゃなかったか?」
ガトが少し驚いた表情を見せた。
「なんで給料がいいって分かったんだ? あ、工員の募集は100名くらいって聞いていた」
100名⋯⋯、かなりの規模だ。
マッシュは頷き、ガトの前に小さな実を転がす。
ガトが指でつまみ、不思議そうにその実を眺めるとマッシュの方を向いた。
「こらぁ、なんだ?」
小首を傾げるガトに、笑顔を見せる。
実をガトから受け取り胸ポケットにしまい直す。
「こいつは脳みそがとろける実だ。おまえさんが作る予定だったものだよ、多分だけどな。摂取し続けると、感情もなくなり、なんも考えられなくなるヤバイ実だ。ミドラスの裏街じゃあ、すでに出回っている。こいつを大量に作って売りさばく気だったんだろう」
「⋯⋯え?! だって薬って⋯⋯」
「そらぁそうだろう、ヤバイ実を作るなんて大声で言えない。それに給料だってきっと最初だけだぞ。オレだったら実漬けにして、あとは実をエサに働かす。これで金も掛からない便利な労働力の出来上がりだ。おまえさんは、ただただ実が欲しいが為に黙々と働くだけの日々を送る⋯⋯死ぬまでな」
ガトが信じられないという顔でマッシュを見つめる。
ヤバイ実があるという噂は聞いた事はあったが、まさか本当の話だったとは。
にわかに信じられないが現物を示され、話として筋が通っている。
信じたくないという思いと、この短い期間に起こった事を考えて何が本当なのか必死に考えた。
もし、マッシュの言った事が本当ならば⋯⋯背筋が凍る。
人でなくなったかもしれない可能性が、すぐ側まで来ていたという事だ。
アルバでリブロに捕まった事はむしろ自分にはラッキーだったのでは? とすら思えた。
「なぁ、でもなんであんた達は工房の事なんて知りたいんだ?」
「その工房を延期させたのはオレ達だ。ただ、何をしようとしていたのか分からず頓挫させたんで、何を企んでいたのか調べていたって感じだ」
「え!! 潰したのはあんた達なのか?」
「延期だから潰れてはいないけどな。まぁ、おまえさんのおかげで何を企んでいたかは、おおよそ掴めたよ」
マッシュはいたずらに口角を上げて見せた。その姿に只ならぬものを感じ、敵にならず良かったと心から思えた。
「さて、それともうひとつだ。おまえさんをたぶらかした大馬鹿野郎について聞かせて貰おうか」
ガトは頷き、口を開く。
怪しい光が照らす三人が醸し出す雰囲気に、のまれているのは自分でも分かる。
ただ、今はクソみたいな人生を送らずに済んだ事に感謝しよう。
自分はラッキーだった、そうだ間違いない。
ガトの心の変化に目つきが真剣なものへと変わる。
この計画を潰して貰わないと、犠牲者が出てしまう。
託そう。力になるならいくらでも微力を尽くす。
「工員の話が延期になって、金の目処が無くなりくさっていたんだ。安酒場で仕事が流れた事をグチっていたら、一杯おごるっていう猫人が近づいてきたんだ。高級ってほどじゃないが、小綺麗な身なりをしていて金はちゃんと持っていそうだったから、タダで飲めるって飛びついた。猫人にしては背が高くてちょっとごつい感じがする珍しい感じのやつだったよ。一杯どころかグチを聞いてくれたうえにその日の飲み代全部持ってくれるって言うから調子良く飲んでいたら、そいつが金に困っているならいい話があるって言い出した。ヴィトリアの一角に兎人と小人族がいるから攫って金持ちに売ったらいい金になるぞって言われて⋯⋯つい⋯⋯」
さすがにバツが悪いのか、最後の方は尻すぼみになっていく。
一同は黙って聞いていたが、おもむろにカズナがフードを外すとガトが目を剥いた。
ヨルセンが言っていた事を思い出し、震える。
「ガト、大丈夫だ。何も、しやしないよ。だろ? カズナ?」
「二度と同胞を狙わないなラ、今回は大目に見てやル」
ガトは何度も頷いた。
「ガト、その猫人を見たら分かるか?」
「も、もちろん! リブロから教えるように言われている」
「いい返事だ。そいつを見つけるまで、もうちょっとつきあえ。そんなくだらない事を吹聴しているヤツは何とかしておかないとな」
「分かった」
「早速だが、頼まれてくれ。⋯⋯⋯⋯この金でそいつが出入りそうな飲み屋を洗ってくれ。オレ達が動くと目立つ。目処がついたらこの書状をまた受付に見せろ。これがこのVIPルームへのフリーパスだ、なくすなよ。早速、今日何件か回って、明日昼過ぎにここに来てどこを回って、そいつがいたか、いないか教えろ。飲み過ぎるなよ」
ガトが金を握り締め、VIPルームをあとにした。
「アイツ大丈夫カ?」
「分からん。こういうのは団長まかせだったからな。ユラ、どう思う?」
「オレなら、ぶん殴って言う事を聞かすだ。でも、それやったら団長に怒られるからな」
「そらぁ間違いない。まぁ、信用するしかあるまい」
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