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壁越しのお誘いと隣人
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日曜日。
今日のテーマは決まっていた。『手を抜かない』である。掃除も洗濯も――料理も、である。まずはお風呂掃除から始めよう。
昼過ぎ、私は書斎で自分のPCを起動していた。今日作る料理を決めるために色々レシピを確認しているのだ。サラダ、スープ……結局洋食になってしまうが仕方ない。私の中で手間暇を掛けるというのは、時間を掛けて煮込んだりというイメージしかないし、和食をちゃんと作れる自信もない。
ちらりと穴の方を確認してみるが、そこから音は何も漏れてこない。気になるが……とりあえず、考えるのは後にしよう。今は美味しい料理を作るのが先決だ。
結局、野菜たっぷりのミネストローネ、手作りのオニオンドレッシングを使用したサラダ、牛頬肉の赤ワイン煮込みというラインナップに決める。パンも少しだけお高いものをちゃんとしたパン屋さんで購入して……うん、18時ころまでには余裕で間に合うだろう。
私は部屋着から着替え、ダウンジャケットを羽織り部屋を出た。頭の中でお店を周る順序、料理を作る手順をシミュレーションしながら、エレベーターを待つ。今日は昨日に比べても非常に寒く、マフラーを巻いてこなかったのを若干後悔していたが、今から部屋に戻るのも面倒だった。
「……うん、美味しく出来た」
小さな皿に取り分けて味見をすると、牛肉の柔らかさをしっかり確認できた。私にしては十分に頑張っただろう。準備したお皿もすっかり綺麗にしているので、後はここによそって配膳すれば良い。
「……」
時間を確認すると、17時30分。いつもであれば――もうこれが『いつも』になっているのだと改めて実感する――人栄さんはソファーに座って、私の食事を待っているだろう。彼女の自然体での姿、それと昨日の彼女の様子、順番に思い出し、チクリと胸が痛むのを感じる。
「……行こう」
私は決意を改めに――自分の書斎に向かった。
少しだけ落ち着かせるために、一度深呼吸をする。肺にも脳にも十分に酸素が行き渡ったことを確認して――
「人栄さん!聞こえますか!」
彼女に届くように普段よりも随分大きな声を出す。穴の向こうに彼女は居るだろうか――そんな不安もあったが、彼女からぎりぎりで私に届く声が聞こえた。
「……目島さん?えっ、どこです?」
その声は、私にもたまに見せるようになっていた太陽のような明るさはない。暗い、というよりも無機質でフラットな声質に変容している。私はそれにかまわず、とにかく話し続けることにした。
「私は自分の書斎にいます」
「……そ、そうなんです?でも、あれ、お声が聞こえて……」
流石に戸惑っているようで、彼女がキョロキョロと周りを見渡しているのが容易に想像できてしまう。
「驚かせて申し訳ない。実は、部屋のところに穴が空いているようでして、そこから時折話し声が漏れておりまして……」
「……ええ!?あ、ホントだ……空いてるー」
彼女のそんな声と共に、その穴を通してずぼりと右腕が私の部屋に現れる。まさかそんなことをするとは、少しだけぎょっとしてしまう。確認できたのか、するするとその腕は穴の中に消えていき、「知らなかった……」なんてつぶやき声が聞こえた。
しかし、本題はここからだ。今この瞬間だけは、驚きのあまり昨日のことを一時的に頭から追い出しているだろう。だから私はその空隙を突く。
「ところで、人栄さん!」
「……えっはい、なあに?」
うん、口調も普段、私の部屋で見せるものに近い。それを確認して、私は彼女にこう告げた。
「よろしければ、一緒に夕食を食べませんか?」
成り行きやその場の空気ではなく、きちんと私から人栄さんを食事に誘うのは、思えばこれが初めてだったと思う。
今日のテーマは決まっていた。『手を抜かない』である。掃除も洗濯も――料理も、である。まずはお風呂掃除から始めよう。
昼過ぎ、私は書斎で自分のPCを起動していた。今日作る料理を決めるために色々レシピを確認しているのだ。サラダ、スープ……結局洋食になってしまうが仕方ない。私の中で手間暇を掛けるというのは、時間を掛けて煮込んだりというイメージしかないし、和食をちゃんと作れる自信もない。
ちらりと穴の方を確認してみるが、そこから音は何も漏れてこない。気になるが……とりあえず、考えるのは後にしよう。今は美味しい料理を作るのが先決だ。
結局、野菜たっぷりのミネストローネ、手作りのオニオンドレッシングを使用したサラダ、牛頬肉の赤ワイン煮込みというラインナップに決める。パンも少しだけお高いものをちゃんとしたパン屋さんで購入して……うん、18時ころまでには余裕で間に合うだろう。
私は部屋着から着替え、ダウンジャケットを羽織り部屋を出た。頭の中でお店を周る順序、料理を作る手順をシミュレーションしながら、エレベーターを待つ。今日は昨日に比べても非常に寒く、マフラーを巻いてこなかったのを若干後悔していたが、今から部屋に戻るのも面倒だった。
「……うん、美味しく出来た」
小さな皿に取り分けて味見をすると、牛肉の柔らかさをしっかり確認できた。私にしては十分に頑張っただろう。準備したお皿もすっかり綺麗にしているので、後はここによそって配膳すれば良い。
「……」
時間を確認すると、17時30分。いつもであれば――もうこれが『いつも』になっているのだと改めて実感する――人栄さんはソファーに座って、私の食事を待っているだろう。彼女の自然体での姿、それと昨日の彼女の様子、順番に思い出し、チクリと胸が痛むのを感じる。
「……行こう」
私は決意を改めに――自分の書斎に向かった。
少しだけ落ち着かせるために、一度深呼吸をする。肺にも脳にも十分に酸素が行き渡ったことを確認して――
「人栄さん!聞こえますか!」
彼女に届くように普段よりも随分大きな声を出す。穴の向こうに彼女は居るだろうか――そんな不安もあったが、彼女からぎりぎりで私に届く声が聞こえた。
「……目島さん?えっ、どこです?」
その声は、私にもたまに見せるようになっていた太陽のような明るさはない。暗い、というよりも無機質でフラットな声質に変容している。私はそれにかまわず、とにかく話し続けることにした。
「私は自分の書斎にいます」
「……そ、そうなんです?でも、あれ、お声が聞こえて……」
流石に戸惑っているようで、彼女がキョロキョロと周りを見渡しているのが容易に想像できてしまう。
「驚かせて申し訳ない。実は、部屋のところに穴が空いているようでして、そこから時折話し声が漏れておりまして……」
「……ええ!?あ、ホントだ……空いてるー」
彼女のそんな声と共に、その穴を通してずぼりと右腕が私の部屋に現れる。まさかそんなことをするとは、少しだけぎょっとしてしまう。確認できたのか、するするとその腕は穴の中に消えていき、「知らなかった……」なんてつぶやき声が聞こえた。
しかし、本題はここからだ。今この瞬間だけは、驚きのあまり昨日のことを一時的に頭から追い出しているだろう。だから私はその空隙を突く。
「ところで、人栄さん!」
「……えっはい、なあに?」
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