32 / 39
31
しおりを挟む
深い呼吸をするニコラス様の額に汗で張り付いた髪をそっとはらう。
この髪が白くなるまで一緒に過ごせればいいのに……。溢れて来た涙もそのままに、別れの挨拶を囁く。
「幸せになって下さいね。ニコラス様が後ろ指をさされないように、立派なお家で育ったお嬢さんと穏やかな家庭を築いて欲しいの」
きっとニコラス様と同じように純粋で真面目な人が似合うわ。この自然豊かでおおらかな領地に似合う人……。
「いいえ、どんな人だっていいわ。ニコラス様が一緒に居たいと思う人を見つけて。ただただ幸せになって欲しい」
最後に頬にキスをして、音を立てないようにベッドから降りドレスを適当に着る。
こんな時こそお仕着せがあればよかったのに。そうすれば自然に背筋が伸びただろう。
扉を開けて、足が止まる。もう一度、最後にニコラス様を見たい。
誘惑に負け振り返ったけれど、涙が溢れる目では滲んで見えなかった。
――――八日後
王都の侯爵邸に帰って来て、また何事もなかったかのように日常を過ごしている。
いいえ、何かが変わってしまった。魂を置いてきてしまった。
ニコラス様に一方的な別れを済まし、与えられた部屋に戻って、無心でクローゼットの荷物を纏めていると赤い箱とさくらんぼ姫の本と卑猥な下着が出て来た。
ドレスをクローゼットに掛けその下に本を置く。もう図書室に返しに行く気力はない。
さすがに卑猥な下着を置いて行く訳に行かず、箱と共に鞄に詰めた。
結婚式翌日の早朝の出発にも関わらず伯爵様ご夫妻がお見送りに出て来てくれ王都へと帰って来た。
「――ロエ、クロエ?」
マーガレット様の声にハッとして、急いで背筋を伸ばした。
王都の侯爵邸の応接室でマーガレット様とメイシー公爵夫人とハンナさんと共に結婚式の思い出話をしていたところだった。
私たちの翌々日に伯爵邸を発った公爵夫人は公爵領に帰る途中にある侯爵邸で数日間休んで帰る予定で滞在中だ。長旅は老体にこたえるとお話ししていたはず。
「申し訳ございません。結婚式の指笛を思い出していました」
とっさに出た言い訳が指笛とは。花嫁の美しさとか伯爵領の景色とか他にも話題はあったのに。
「指笛ね。まったく伯爵家の男どもはまともに参列も出来ないんだから。いけない、忘れる所だったわ。クロエ、あの避妊具使ってないわよね?」
赤い箱に入ったまま、家は変わったが今もクローゼットの中に隠してある。
「あら、避妊具を使う相手が居たとは知らなかったわ。私に言えば用意してあげましたのに」
どこの世界に主に避妊具をねだる侍女が居ようか。
「まぁ!クロエったら水臭いじゃない。教えてくれれば使用人仲間で閨講習をしてあげたのに!」
普段から十分に聞いてますので講習は不要でした。皆様のおかげで、無事に襲えましたよ。
「マーガレット違うのよ。新商品のサンプルが上がって来たのだけどね、大きく作り過ぎてしまったから差し上げただけよ」
ハンナさんの「なーんだ残念」の一言に良心が痛む。実際はニコラス様の持ち分は使ったわけだし。
「お返ししましょうか?少しお待ちいただければ持ってまいりますが……」
二度と使うこともないし、あの箱を見る度に幸せと悲しさがない交ぜになって、複雑な感情で不安定になる。自分から捨てられなくても手放すならそれが運命と諦められる。
「使ってなくて良かったわ。差し上げといて悪いんだけど、間違って使わないように捨てて欲しいのよ。サイズだけの問題じゃなくて、耐久度も不良品だったのよ」
通常サイズの予定だったので、いつもと同じ量の原料で作ったが、大きなサイズになってしまった分、当初の予定より薄くなり破ける恐れがあるので、避妊具としては不良品だという。
公爵夫人の説明を聞いて血の気が引く。
ニコラス様は事後になにも言っていなかった。でも破瓜の血が付いていただろうから、小さな破けなら気が付かなかったかもしれない。
「クロエ大丈夫?顔が真っ青だわ」
「だ、大丈夫です」
言いながらも、その間もどんどん血の気が引いて行くのが自分でもわかる。
生理は……二日遅れている。でも初めての旅だったし、いろんなことがあったからだと思っていた。妊娠は全く疑っていなかった。
足先まで冷たくなって、くらりと体が傾いたので、とっさに椅子の背を掴んだ。
公爵夫人が年齢に見合わない俊敏さで私の体を支えてくれる。
「クロエ座って!ハンナ、すぐに医者を!」
もう一度、大丈夫ですと言おうとした時、大きな音を立てて応接室の扉が開いた。
【マーガレット様、まさか、そんな……】
この髪が白くなるまで一緒に過ごせればいいのに……。溢れて来た涙もそのままに、別れの挨拶を囁く。
「幸せになって下さいね。ニコラス様が後ろ指をさされないように、立派なお家で育ったお嬢さんと穏やかな家庭を築いて欲しいの」
きっとニコラス様と同じように純粋で真面目な人が似合うわ。この自然豊かでおおらかな領地に似合う人……。
「いいえ、どんな人だっていいわ。ニコラス様が一緒に居たいと思う人を見つけて。ただただ幸せになって欲しい」
最後に頬にキスをして、音を立てないようにベッドから降りドレスを適当に着る。
こんな時こそお仕着せがあればよかったのに。そうすれば自然に背筋が伸びただろう。
扉を開けて、足が止まる。もう一度、最後にニコラス様を見たい。
誘惑に負け振り返ったけれど、涙が溢れる目では滲んで見えなかった。
――――八日後
王都の侯爵邸に帰って来て、また何事もなかったかのように日常を過ごしている。
いいえ、何かが変わってしまった。魂を置いてきてしまった。
ニコラス様に一方的な別れを済まし、与えられた部屋に戻って、無心でクローゼットの荷物を纏めていると赤い箱とさくらんぼ姫の本と卑猥な下着が出て来た。
ドレスをクローゼットに掛けその下に本を置く。もう図書室に返しに行く気力はない。
さすがに卑猥な下着を置いて行く訳に行かず、箱と共に鞄に詰めた。
結婚式翌日の早朝の出発にも関わらず伯爵様ご夫妻がお見送りに出て来てくれ王都へと帰って来た。
「――ロエ、クロエ?」
マーガレット様の声にハッとして、急いで背筋を伸ばした。
王都の侯爵邸の応接室でマーガレット様とメイシー公爵夫人とハンナさんと共に結婚式の思い出話をしていたところだった。
私たちの翌々日に伯爵邸を発った公爵夫人は公爵領に帰る途中にある侯爵邸で数日間休んで帰る予定で滞在中だ。長旅は老体にこたえるとお話ししていたはず。
「申し訳ございません。結婚式の指笛を思い出していました」
とっさに出た言い訳が指笛とは。花嫁の美しさとか伯爵領の景色とか他にも話題はあったのに。
「指笛ね。まったく伯爵家の男どもはまともに参列も出来ないんだから。いけない、忘れる所だったわ。クロエ、あの避妊具使ってないわよね?」
赤い箱に入ったまま、家は変わったが今もクローゼットの中に隠してある。
「あら、避妊具を使う相手が居たとは知らなかったわ。私に言えば用意してあげましたのに」
どこの世界に主に避妊具をねだる侍女が居ようか。
「まぁ!クロエったら水臭いじゃない。教えてくれれば使用人仲間で閨講習をしてあげたのに!」
普段から十分に聞いてますので講習は不要でした。皆様のおかげで、無事に襲えましたよ。
「マーガレット違うのよ。新商品のサンプルが上がって来たのだけどね、大きく作り過ぎてしまったから差し上げただけよ」
ハンナさんの「なーんだ残念」の一言に良心が痛む。実際はニコラス様の持ち分は使ったわけだし。
「お返ししましょうか?少しお待ちいただければ持ってまいりますが……」
二度と使うこともないし、あの箱を見る度に幸せと悲しさがない交ぜになって、複雑な感情で不安定になる。自分から捨てられなくても手放すならそれが運命と諦められる。
「使ってなくて良かったわ。差し上げといて悪いんだけど、間違って使わないように捨てて欲しいのよ。サイズだけの問題じゃなくて、耐久度も不良品だったのよ」
通常サイズの予定だったので、いつもと同じ量の原料で作ったが、大きなサイズになってしまった分、当初の予定より薄くなり破ける恐れがあるので、避妊具としては不良品だという。
公爵夫人の説明を聞いて血の気が引く。
ニコラス様は事後になにも言っていなかった。でも破瓜の血が付いていただろうから、小さな破けなら気が付かなかったかもしれない。
「クロエ大丈夫?顔が真っ青だわ」
「だ、大丈夫です」
言いながらも、その間もどんどん血の気が引いて行くのが自分でもわかる。
生理は……二日遅れている。でも初めての旅だったし、いろんなことがあったからだと思っていた。妊娠は全く疑っていなかった。
足先まで冷たくなって、くらりと体が傾いたので、とっさに椅子の背を掴んだ。
公爵夫人が年齢に見合わない俊敏さで私の体を支えてくれる。
「クロエ座って!ハンナ、すぐに医者を!」
もう一度、大丈夫ですと言おうとした時、大きな音を立てて応接室の扉が開いた。
【マーガレット様、まさか、そんな……】
0
あなたにおすすめの小説
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる