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深い呼吸をするニコラス様の額に汗で張り付いた髪をそっとはらう。
この髪が白くなるまで一緒に過ごせればいいのに……。溢れて来た涙もそのままに、別れの挨拶を囁く。
「幸せになって下さいね。ニコラス様が後ろ指をさされないように、立派なお家で育ったお嬢さんと穏やかな家庭を築いて欲しいの」
きっとニコラス様と同じように純粋で真面目な人が似合うわ。この自然豊かでおおらかな領地に似合う人……。
「いいえ、どんな人だっていいわ。ニコラス様が一緒に居たいと思う人を見つけて。ただただ幸せになって欲しい」
最後に頬にキスをして、音を立てないようにベッドから降りドレスを適当に着る。
こんな時こそお仕着せがあればよかったのに。そうすれば自然に背筋が伸びただろう。
扉を開けて、足が止まる。もう一度、最後にニコラス様を見たい。
誘惑に負け振り返ったけれど、涙が溢れる目では滲んで見えなかった。
――――八日後
王都の侯爵邸に帰って来て、また何事もなかったかのように日常を過ごしている。
いいえ、何かが変わってしまった。魂を置いてきてしまった。
ニコラス様に一方的な別れを済まし、与えられた部屋に戻って、無心でクローゼットの荷物を纏めていると赤い箱とさくらんぼ姫の本と卑猥な下着が出て来た。
ドレスをクローゼットに掛けその下に本を置く。もう図書室に返しに行く気力はない。
さすがに卑猥な下着を置いて行く訳に行かず、箱と共に鞄に詰めた。
結婚式翌日の早朝の出発にも関わらず伯爵様ご夫妻がお見送りに出て来てくれ王都へと帰って来た。
「――ロエ、クロエ?」
マーガレット様の声にハッとして、急いで背筋を伸ばした。
王都の侯爵邸の応接室でマーガレット様とメイシー公爵夫人とハンナさんと共に結婚式の思い出話をしていたところだった。
私たちの翌々日に伯爵邸を発った公爵夫人は公爵領に帰る途中にある侯爵邸で数日間休んで帰る予定で滞在中だ。長旅は老体にこたえるとお話ししていたはず。
「申し訳ございません。結婚式の指笛を思い出していました」
とっさに出た言い訳が指笛とは。花嫁の美しさとか伯爵領の景色とか他にも話題はあったのに。
「指笛ね。まったく伯爵家の男どもはまともに参列も出来ないんだから。いけない、忘れる所だったわ。クロエ、あの避妊具使ってないわよね?」
赤い箱に入ったまま、家は変わったが今もクローゼットの中に隠してある。
「あら、避妊具を使う相手が居たとは知らなかったわ。私に言えば用意してあげましたのに」
どこの世界に主に避妊具をねだる侍女が居ようか。
「まぁ!クロエったら水臭いじゃない。教えてくれれば使用人仲間で閨講習をしてあげたのに!」
普段から十分に聞いてますので講習は不要でした。皆様のおかげで、無事に襲えましたよ。
「マーガレット違うのよ。新商品のサンプルが上がって来たのだけどね、大きく作り過ぎてしまったから差し上げただけよ」
ハンナさんの「なーんだ残念」の一言に良心が痛む。実際はニコラス様の持ち分は使ったわけだし。
「お返ししましょうか?少しお待ちいただければ持ってまいりますが……」
二度と使うこともないし、あの箱を見る度に幸せと悲しさがない交ぜになって、複雑な感情で不安定になる。自分から捨てられなくても手放すならそれが運命と諦められる。
「使ってなくて良かったわ。差し上げといて悪いんだけど、間違って使わないように捨てて欲しいのよ。サイズだけの問題じゃなくて、耐久度も不良品だったのよ」
通常サイズの予定だったので、いつもと同じ量の原料で作ったが、大きなサイズになってしまった分、当初の予定より薄くなり破ける恐れがあるので、避妊具としては不良品だという。
公爵夫人の説明を聞いて血の気が引く。
ニコラス様は事後になにも言っていなかった。でも破瓜の血が付いていただろうから、小さな破けなら気が付かなかったかもしれない。
「クロエ大丈夫?顔が真っ青だわ」
「だ、大丈夫です」
言いながらも、その間もどんどん血の気が引いて行くのが自分でもわかる。
生理は……二日遅れている。でも初めての旅だったし、いろんなことがあったからだと思っていた。妊娠は全く疑っていなかった。
足先まで冷たくなって、くらりと体が傾いたので、とっさに椅子の背を掴んだ。
公爵夫人が年齢に見合わない俊敏さで私の体を支えてくれる。
「クロエ座って!ハンナ、すぐに医者を!」
もう一度、大丈夫ですと言おうとした時、大きな音を立てて応接室の扉が開いた。
【マーガレット様、まさか、そんな……】
この髪が白くなるまで一緒に過ごせればいいのに……。溢れて来た涙もそのままに、別れの挨拶を囁く。
「幸せになって下さいね。ニコラス様が後ろ指をさされないように、立派なお家で育ったお嬢さんと穏やかな家庭を築いて欲しいの」
きっとニコラス様と同じように純粋で真面目な人が似合うわ。この自然豊かでおおらかな領地に似合う人……。
「いいえ、どんな人だっていいわ。ニコラス様が一緒に居たいと思う人を見つけて。ただただ幸せになって欲しい」
最後に頬にキスをして、音を立てないようにベッドから降りドレスを適当に着る。
こんな時こそお仕着せがあればよかったのに。そうすれば自然に背筋が伸びただろう。
扉を開けて、足が止まる。もう一度、最後にニコラス様を見たい。
誘惑に負け振り返ったけれど、涙が溢れる目では滲んで見えなかった。
――――八日後
王都の侯爵邸に帰って来て、また何事もなかったかのように日常を過ごしている。
いいえ、何かが変わってしまった。魂を置いてきてしまった。
ニコラス様に一方的な別れを済まし、与えられた部屋に戻って、無心でクローゼットの荷物を纏めていると赤い箱とさくらんぼ姫の本と卑猥な下着が出て来た。
ドレスをクローゼットに掛けその下に本を置く。もう図書室に返しに行く気力はない。
さすがに卑猥な下着を置いて行く訳に行かず、箱と共に鞄に詰めた。
結婚式翌日の早朝の出発にも関わらず伯爵様ご夫妻がお見送りに出て来てくれ王都へと帰って来た。
「――ロエ、クロエ?」
マーガレット様の声にハッとして、急いで背筋を伸ばした。
王都の侯爵邸の応接室でマーガレット様とメイシー公爵夫人とハンナさんと共に結婚式の思い出話をしていたところだった。
私たちの翌々日に伯爵邸を発った公爵夫人は公爵領に帰る途中にある侯爵邸で数日間休んで帰る予定で滞在中だ。長旅は老体にこたえるとお話ししていたはず。
「申し訳ございません。結婚式の指笛を思い出していました」
とっさに出た言い訳が指笛とは。花嫁の美しさとか伯爵領の景色とか他にも話題はあったのに。
「指笛ね。まったく伯爵家の男どもはまともに参列も出来ないんだから。いけない、忘れる所だったわ。クロエ、あの避妊具使ってないわよね?」
赤い箱に入ったまま、家は変わったが今もクローゼットの中に隠してある。
「あら、避妊具を使う相手が居たとは知らなかったわ。私に言えば用意してあげましたのに」
どこの世界に主に避妊具をねだる侍女が居ようか。
「まぁ!クロエったら水臭いじゃない。教えてくれれば使用人仲間で閨講習をしてあげたのに!」
普段から十分に聞いてますので講習は不要でした。皆様のおかげで、無事に襲えましたよ。
「マーガレット違うのよ。新商品のサンプルが上がって来たのだけどね、大きく作り過ぎてしまったから差し上げただけよ」
ハンナさんの「なーんだ残念」の一言に良心が痛む。実際はニコラス様の持ち分は使ったわけだし。
「お返ししましょうか?少しお待ちいただければ持ってまいりますが……」
二度と使うこともないし、あの箱を見る度に幸せと悲しさがない交ぜになって、複雑な感情で不安定になる。自分から捨てられなくても手放すならそれが運命と諦められる。
「使ってなくて良かったわ。差し上げといて悪いんだけど、間違って使わないように捨てて欲しいのよ。サイズだけの問題じゃなくて、耐久度も不良品だったのよ」
通常サイズの予定だったので、いつもと同じ量の原料で作ったが、大きなサイズになってしまった分、当初の予定より薄くなり破ける恐れがあるので、避妊具としては不良品だという。
公爵夫人の説明を聞いて血の気が引く。
ニコラス様は事後になにも言っていなかった。でも破瓜の血が付いていただろうから、小さな破けなら気が付かなかったかもしれない。
「クロエ大丈夫?顔が真っ青だわ」
「だ、大丈夫です」
言いながらも、その間もどんどん血の気が引いて行くのが自分でもわかる。
生理は……二日遅れている。でも初めての旅だったし、いろんなことがあったからだと思っていた。妊娠は全く疑っていなかった。
足先まで冷たくなって、くらりと体が傾いたので、とっさに椅子の背を掴んだ。
公爵夫人が年齢に見合わない俊敏さで私の体を支えてくれる。
「クロエ座って!ハンナ、すぐに医者を!」
もう一度、大丈夫ですと言おうとした時、大きな音を立てて応接室の扉が開いた。
【マーガレット様、まさか、そんな……】
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