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1章

15.ヒロインの特訓2

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 それからはとにかく忙しい日々が続いた。

 所作はもちろん言葉遣いや声の高さ、話すスピードまで徹底的に矯正された。
 王太子との会話に困らないように、と必要な知識をまとめたノートを渡されて一通り頭に入れておくように言われた。
 やるべきことはそれだけではない。本来やらなければならない学業や、アランとの話し合いも疎かにするわけにはいかなかった。

 使える時間を全て費やして、どんな隙間時間も無駄にしないよう努めた。




 そうして一週間が過ぎた。
 五日後が王太子とのお茶会だ。状況は……良くない。
 何度練習しても綺麗に歩けないし、丁寧な言葉遣いを意識するとスムーズに会話ができない。
 知識面でもフローレンスから貰ったノートの内容の半分も覚えられていない。

 ため息をつく。


 今はアランと初めて言葉を交わしたガゼボにいる。フローレンスはどうしても外せない用事があると言って先に教室へ戻って行ってしまった。
 だから今ここにいるのは私とアランだけだ。

 あと三十分もしないうちにお昼休みが終わってしまう。
 それまでに少しでもやるべき事を片付けなければ。

 そう思うものの、不思議と身体は動いてくれない。まるで手足に重しが括り付けられているようだ。

「疲れているようだね。無理してるんじゃないのかい?」
「ううん、…………でもちょっと疲れてるかも」

 少し悩んだけど正直に話すことにした。
 ここ数日アランには迷惑をかけている。嘘をつかない方がいい気がした。

 全ては私の要領が悪いせいだ。
 ひとつの事を覚えるのに他人より時間がかかってしまう。時間が足りないから、睡眠時間や食事の時間を削るしかない。

 それでもまだ足りていない。

 アランは眉根を寄せて小さくため息をついた。

「頑張るのはいいけれど、無理なことは無理だと言った方がいい。人には向き不向きがあるんだ」
「うん……でもまだ限界じゃないと思うから、もう少し頑張ってみるつもり」

 フローレンスから貰ったノートを鞄から取り出す。

「このノート、フローレンスが作ってくれたんだけど、私に足りないことを細かく書いてくれてるの。それに夜遅くまで私に付き合ってくれてるし……」

 丁寧に書かれた文字は彼女の性格を表しているようだ。
 私が何を知っているかを確認した次の日に渡されたこのノート。文章量は多いけれど読みやすくてわかりやすい。
 これだけの量の文章を一晩で書くのはすごく大変だっただろう。

「フローレンスがこんなに頑張ってくれてるんだもの。もっと頑張らなきゃ」

 全ては私の出来の悪さが問題なのだ。
 私が頑張れば全て上手くいく。

「…………努力でどうにかなることばかりじゃないんだよ」
「うん……わかってるよ。でも頑張らないと何も変わらないもの。神様は頑張ってる人にしか手を差し伸べてくれないんだって。私は神様に縋ることしかできないから、せめてできるだけ頑張るの」

 何もない私にできることなんて限られているから。
 それに限界まで頑張れば奇跡的にどうにかなるかもしれない。可能性は低いだろうけど、ゼロではないし。

「それにね、無理して頑張ってるわけじゃないんだよ。私もフローレンスみたいに綺麗な所作を身につけたいと思ってるの。隣に立つことはできなくても、せめて近くに居ることを許されるような人になりたくて」

 アランは視線を落とした。
 困らせてしまったのかもしれない。

 何か違う話題を出して場を和ませた方が良さそうだ。何がいいかな……。
 けれど私が話を切り出すより先にアランが話しはじめた。

「君は十分に努力しているよ。でもさっきも言ったように、人には向き不向きがある。頑張ってもどうにもならないことはあるんだ。悲しいことだけどね」

 ゆっくりとアランはそう言った。

「だから僕にも手伝わせてほしい。フローレンスみたいに万能じゃないから出来ないこともあるかもしれない。けれど少しは力になれるはずだ」

 思いもよらない申し出に一瞬反応が遅れてしまった。

「で、でもアランには十分助けてもらってるし、私には代わりに差し出せるものなんてないし……」
「代わりのものなんて要らない、と言いたいところだけど……」

 アランは優しく笑いながら考え込むように言葉を止めた。

「そうだね、……いつか僕が悩んで立ち止まってしまった時に背中を押してくれると嬉しいな」
「たったそれだけ?」

 代わりとしてはあまりにも不釣合いなお願いに、思わず疑うような言葉を発してしまった。
 あ、この返し方はよくなかったかな。
 けれどアランは嫌な顔をせず笑顔で頷いた。

「サイラスとのお茶会の準備だよね。まずは他のことを脇においてしっかり休憩してほしい」
「で、でも手続きが……」

 王都に支店を出すための手続きを進めている最中なのだ。
 書類に不備や間違いがあれば出店が遅れ、多くの人に迷惑をかけてしまう。
 そしてそれらはオルコット男爵家の人間わたしが全て処理しなければならない。
 これはアランに何度も何度も言われたことだ。

「最低限の部分は終わってる。残りは来週で構わないよ。お茶会は土曜日なんだろう? 今はそちらに集中するべきだ」
「でも勉強も……」
「経営や経済について知ることはとても大切なことだよ。けれど全部を一度にやるのは無理だからね」

 けれど私は要領が悪い。
 お休みなんてしていたら間に合わなくなる。

「ひとつずつ片付けていこう。その方が効率も良くなるし質も良くなる。……君は今疲れ切っていて、何かを身につけられる状態ではないように見えるんだ」
「……やらないといけないことがあるのに休むのは……不安だよ」
「大丈夫。少なくとも他のことは僕が助けてあげられることだから。安心して休んでいいよ。まずはお茶会を乗り切ることを考えよう」

 確かに王太子の前で粗相をしないことはとても大切なことだ。
 けれど家族のために力を尽くすことは、私にとって何よりも大切な事だった。

「それに君がサイラスと仲良くなるのは、オルコット男爵家にとってプラスになる。彼は王太子だ。王太子の友人であれば自然と周囲の貴族の目が集まる。……だからといって無理に取り入る必要はないけどね。嫌われたり疎まれたりするようなことがなければそれでいい」

 アランの言わんとしていることは何となくわかる。王太子と仲良くなれば彼がうちの商品を目にする機会を増やせるだろう。
 王太子に限らず、王族に商品が気に入られれば王都での価値は跳ね上がる。そうなれば借金返済どころか義弟の入学資金、ううん、これからの貴族としての生活だって安泰だ。

 わかってはいる。
 けれど避けられるものなら避けたかった。

 王太子と交流を持たないという選択肢がない以上無難な対応でやり過ごすしかない。
 ……それはアランに相談すれば助けてくれるだろうか。

「うん……アランの言う通りにしてみる」

 私が頷くとアランはホッとしたように笑った。

「フローレンスにも話しておくよ」

 その後も何度も休むようにと念を押され、昼休みの時間が終わってしまった。
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