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1章

18.ヒロインの休息

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 放課後、いつもの中庭のベンチでゆっくりと息を吐く。
 今日は一人で過ごしたい。


 王太子とのお茶会が延期になってから三週間が経っていた。
 時間に余裕ができたから――というよりアランにやり過ぎないように口煩く言われたから――またこうやって中庭でのんびりする時間を作るようにしている。
 週に何度か二人と食事をして、勉強会をして、商会の手続きをして……心配になってしまうほどのんびりと過ごしていた。これで本当にいいのだろうか。
 来週には職人達と弟が王都にやってくる。そうなればのんびり過ごすことなんて出来なくなるだろう。
 だから今のうちにゆっくり過ごしなさい、なんてフローレンスは言うけれど、どうしたって不安は残る。
 


 緩やかな風が吹いて木々が揺れる。
 前方にはピンクのツユクサの花の花壇があって、その甘い香りが風に乗って周囲の小さな空間を満たす。
 あの花がツユクサという名前だということは、昨日ギルバートが教えてくれた。
 日本のツユクサはあんな華やかな花じゃなかった気がするけど……お花に詳しくなかったからその記憶が確かなものなのかはわからない。
 細長い花弁が幾重にも重なり、まるで小さな球のようになっている。

 それに近くにはラベンダー、アイリス、サーラクマ、ラナスも植えられているという。
 ギルバートは丁寧に花の名前と特徴、名前の由来を教えてくれた。
 これまでは花を見て綺麗だと思ってもそれで終わりだった。その花がいつ咲いて、どんな名前で、どんな物語を持っているかなんて気にしたことがなかったのだ。

 知らなかったことを知る度に私の世界が広がっていくのを感じる。堅苦しいと思っていたマナーにはひとつひとつ意味があって、煩わしいと思っていた決まり事にはそうしなければならない理由がある。
 理解さえしてしまえば覚えるのはそう難しくはなかった。
 といってもまだフローレンスのように綺麗に動けるわけではないし、ひとつの事に集中すると他が疎かになってしまうために粗相も多い。意識せずとも自然と身体が動くようになるまではまだ時間がかかるだろう。
 もう少し詰め込んで前倒しに……と思わなくもないが、それをやることでフローレンスやアランに迷惑を掛けてしまう可能性を考えると気が引ける。
 今よりもっと効率的に進めるには……。

「リゼット」

 その聞き覚えのある声にため息をつきたくなる気持ちをぐっと堪える。
 笑顔、笑顔。

「ギルバート、今日も来たのね」

 顔をあげて声のした方へ視線を向けると、ギルバートの隣にはジェイクが、そしてその少し後ろには金髪の男子生徒――王太子が立っていた。
 あまりにも予想外すぎる人物に、一瞬頭が真っ白になる。
 どうして彼がこんな場所にいるのだろうか。
 ううん、それより立たなきゃ。王太子が来たのに私がベンチに座りっぱなしでいていいわけがない。
 慌てて立ち上がり頭を下げた。

「ああ、紹介したい奴……いや、リゼットに会いたいという奴がいて……」

 ギルバートは困った様な表情をしてジェイクの方へ視線を向けたが、ジェイクは気まずそうな顔で視線を逸らした。
 二人にそんな反応をされると私が困る。

「二人から話を聞いて、面白そうだから案内を頼んだんだ。二人にしたように僕にも君の話を聞かせてくれるかい?」

 笑顔でそう言う王太子に何と返せばいいのだろうか。
 ギルバートもジェイクもここでは身分は気にしなくていい、普通に話せばいい、と言ってくるが、それを王太子にやるわけにもいかない。

「王太子殿下に楽しんでいただけるようなお話ができるかはわかりませんが、精一杯務めさせていただきます」

 当たり障りのない言葉で……と思ったのだが、私の言葉を聞いた王太子は顎に手を当て思案するように黙り込んだ。
 何か失礼なことを言ってしまったのだろうか。
 不安で心臓がバクバクしている。どれだけ考えても何が間違っているのかがわからない。
 もしかして前回のお茶会を欠席したことを怒っているのだろうか。そういえばその件について私は直接王太子に謝罪していない。
 血の気がすーっと引いていく。
 まず謝罪をするべきだった。この失敗を無かったことにはできない。どう埋め合わせをすれば……だめだ、埋め合わせるなんてできる気がしない。
 胃のあたりが重くなってきた。どうしたらいいのだろう。

 しかし私の思考とは裏腹に、王太子は満面の笑みでこう言った。

「そのように畏まった物言いは禁止しよう。ギルバートやジェイクと同じように接してくれ」
「…………えっ、ですが……」
「ここにいる間は平等だと知っているだろう?」

 王太子の言葉に返す言葉がなくなる。
 この学園に平等など存在しない。
 しかし彼がそう言うのなら私は従わなければらない。なぜなら私は平民で、彼は王太子だから。

「サイラス、リゼットが困っているだろう」

 助け舟を出してくれたのはギルバートだった。
 いつの間にか私の隣に立って王太子を諌めてくれた。のはいいけれど、いつもより少しだけ近くないですか?

「困らせるようなことは言っていないが」
「仲良くもない王太子にそんなことを言われて困らない人はいない。自分の立場をもう少し考えろ」
「その物言いは酷いな。ジェイクもそう思わないか?」
「いや、ギルバートが正しい。サイラスにその気がなくとも王太子の言葉は人々にとって重いものだ」

 ジェイクも移動して私の隣に立った。やっぱり少し近い。

「わかったよ。じゃあ今日から友達になろう」

 二人の友人の言葉に怒ることなく、王太子は笑顔でそう言った。

「と、友達……ですか」
「ああ。仲良くなれば何を言っても問題ないだろう?」
「問題だらけだ」
「そもそもサイラスとリゼットは交流する機会がないだろう」

 ジェイクの言葉に内心頷く。
 王太子と平民の娘がこうやって会話していること自体が有り得ないことなのだ。
 けれどそれを言うのなら、サイラスやジェイクと交流していることも本来ありえない事ではあるのだけど。

 王太子は変わらぬ笑顔のまま首を小さく横に振った。

「そうでもないさ。彼女はフローレンスの友人なんだ。以前お茶会の約束だってしたくらいだ」

 その言葉に心臓が跳ねる。
 やはり気にしているのかもしれない。
 謝罪しなければ。許してもらえるのかはわからないけれど、そうしてもらえるよう最大限の努力をしなければ。
 家族のためにも、フローレンスのためにも。

「サイラス様、その節は大変申し訳ありませんでした。お忙しい中お時間を頂いていたというのに……」
「そのような言葉遣いは禁止だといったはずだが。それに友達相手にそんなよそよそしい態度はよしてくれ」
「勝手に友達になるな」
「一方的な関係は感心しないな」

 私に関わろうとしてくる王太子とそれを制止しようとする二人。
 平民の私が口を挟むことなんてできないから、ただ黙って三人のやり取りを見ていることしか出来ない。
 もう帰りたい。一人になりたい。

 どうしてこの三人は私に構ってくるのだろう。私の何が彼らの興味を惹くのかがわからない。
 もちろん一般的な平民の暮らしや常識が彼らにとって珍しいものであることは間違いない。フローレンスやアランも私の昔話を楽しそうに聞いてくれる。
 けれどギルバートやジェイクは私の家の話に興味はなさそうなのだ。たまに私自身の好みについて聞いてくれるけれど、それから話を広げるわけでもない。
 本当に興味のあることならもっと反応してくれるはず。フローレンスのように、質問したり笑ったりしてくれるはずなのだ。
 だから二人は私に興味があるわけではない。
 しかし二人が毎日のように私を探しにここへやってくるのも事実で……。
 もしかして何か別の理由があるのだろうか。

 そこまで考えたときだった。

「リゼットはどう思ってる? 二人が言うように僕とは友達になれないと、そう思うかい?」

 突然話を振られて心臓が飛び跳ねる。
 三人の話を全然聞いていなかった。けれど友達になるかどうかの問い掛けなら、答えるべき言葉は決まっている。

「いえ、決してそのようなことは……」
「なら問題ないな」

 満足そうに王太子は笑った。
 ギルバートとジェイクは僅かに不満気な顔をしている……気がする。
 私は何か間違ったことを答えてしまったのだろうか。

「たった今から君と僕は友人だ。以後、堅苦しい言葉遣いはやめるように」
「は、はい……あ、じゃなくて、わかったわ」

 慌てて訂正する。
 王太子が望んでいるのだから私は彼の望み通りにしないと。それが正しくないことだとわかっていても。

 だって私は平民なのだから。
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