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はじけるレモンのしぶき
しおりを挟む夜。
仁亜は部屋でアイザックが来るのを待っていた…ネグリジェ姿で。
やがて彼がドアを開けて入ってきた。風呂上がりなのか髪が若干濡れていて、胸板に雫が落ちた。
…あまりの色っぽさに仁亜はたじろぐ。
「そ、そんなに急いで来なくても…。またガウンがはだけてますよ」
「あ、ああ。すまない、早くニアに見せたいと思ったら気が急いて…」
そしてアイザックは仁亜に問いかけた。
「ところでニア、
コレを見てくれ…………どう思う?」
「すごく………………綺麗です………」
…この絵。と、仁亜は続けた。
彼女は1枚の絵を見ていたのだった。
・・・・・・・
今から数時間前。夕食を済ませた仁亜は、アイザックに部屋で待っていてくれと言われた。…入浴を済ませてからと。
なぜ風呂に入る必要が?と聞くと、話が長くなるから途中で寝てしまってもいいように、だそうだ。
なんか子供扱いされている気がする。
まだ仕事が残っているからと言って出て行ったが、彼も入浴をしてから戻って来るとは思わなかった。またガウン姿にドキッとしてしまったじゃないか。不覚。
その彼が見せてきた物が、1枚の水彩画だった。
「俺が数ヶ月前に描いたものだ」
「え!アイザックさんが描いたんですか?」
「ああ。あまり上手くはないかもしれないが…」
「いやいや!めちゃくちゃ上手です!」
お世辞抜きにすごかった。描かれていたのは椅子に座っている一人の女性。
長くて綺麗な黒髪と、意志の強そうな黒い瞳がとても印象的だ。
アイザックさんは強いだけじゃなくて絵も上手いのか。すごい才能だ。
「ちなみに、この女性は誰ですか?」
「初代渡り人と呼ばれた方だ。ニアと同じ、ニホンから来たと言っていた」
「え?!た、確かに日本人顔だ…。この人が初代様…。お知り合いなのですか?」
「ああ、話すと長くなるのだが…聞いてもらえるか?
君にとっても無関係な話ではないから。王の許可はもらっている」
「…?はい、いいですよ」
彼の真剣な表情を見て、これは何かあるな、と固い表情になる仁亜だった。
・・・・・・・
話を聞いた結果。
「うっ…うううう~っ…」
「頼むニア、それ以上泣かないでくれ」
「ううう~っ、ひっく、で、でもぉ~」
仁亜は大号泣していた。
彼の過去。
大好きな伯父さんと、初代渡り人さんとの出会い。彼女の不思議な力と楽しい日々。
…そして突然の別れ。
当時4歳の、何も出来ない男の子にこんな仕打ち、ある?
つらい。つらすぎる。
「俺がいけなかったんだ。家の中にいろと言われていたのに、出てしまった。彼女は俺を守ろうとして闇にのまれてしまったんだ」
「そっ、そんな事ないですよ。おふっ、私だってその場に、ひっく、いたら、心配にな、なって、駆けつけたく、なります」
「とりあえず涙を拭いて落ち着いてくれ。過呼吸になってしまう。ほら、水だ」
タオルで目元を軽く撫でられ、グラスにそそがれた水をもらう。あ、レモン水だ。さわやかな香りが鼻から抜ける。少し落ち着けそうだ。
「伯父上は彼女と共に行方不明だが、彼女を守り抜いた騎士道精神が認められ、名誉騎士の称号を得た。
俺は彼を今でも尊敬している」
「うええええええん」
「ちなみに、こっちの絵は俺が4歳の時に描いた3人の似顔絵だ」
「うわあああああん」
「そして事件の後、元々仲がいいとは言えなかった父上との関係がますますギクシャクした」
「うおおおおおおん」
また泣いた。アイザックさん…アンタわざとやってませんか?
先程の水彩画は、彼が4歳の時に描いた似顔絵と、それまでの記憶を頼りに描いたものらしい。
初代渡り人様は、表向きは『元の世界に騎士と一緒に帰った』という事になっている。
不思議な力を持つ神聖な渡り人が、闇にのまれて消えたなんて世間に知られたら、確かに混乱するだろう。
私はどうなるんだろう。ある日突然消えたりしちゃうのかな、と一瞬不安になった。
幸い彼女らが消えた現場を見たのは、その時屋敷にいた数人のアイザック家の使用人だけ。彼らには口外することを禁じた。
アイザックさんの父親もその現場を目撃していたが、『渡り人が兄を唆して異世界に連れて行ってしまった』と決めつけ、未だに彼女を憎んでいるそうだ。
「はぁ…ようやく落ち着けそう。ちなみに、王様はこの事を知っているのですか?」
「ああ、さすがに王族と宰相様には報告している。
もしまた初代様が戻ってきたら何かと助けがいるからな。結局は戻ってこなかったが…」
「アイザックさん……」
「長々とすまないな、ニア。でも話してスッキリした。久々によく眠れそうなくらいだ。これも君の不思議な力のおかげだろうか」
「いえ、私は何も……ていうか、泣いてるだけだったし」
少しだけ笑顔を見せるアイザックに対し、仁亜は照れ隠しにまたレモン水を飲みながら、もう一度彼の描いた人物画を見る。
「28年前の話で当時20代という事は…もし万が一彼女が生きていたら、今は50代くらいって事ですよね。
うーん、なんか引っかかるなあ」
「どうした?」
「どこかで見た事あるような…。でもドレスをこんなに綺麗に着こなしている人なんて、知り合いにはいなかったはず…」
「そうなのか。彼女はいつも祖母から貰ったドレスを着ていたが、最初は見たこともない服を着ていてな。
二代目に聞いたら、それは『キモノ』じゃないかと言っていた」
「あー、確かにこの人着物似合いそう。ちなみに彼女の名前は?」
「フーミンと言っていた」
「フーミ……ブフゥッッッ!!!」
「どうしたニア?!!」
仁亜は盛大にレモン水を吹いた。
仁亜は、黒髪に黒目のフーミンという人物に心当たりがあった。
何故ならそれが旅館での彼女のあだ名だから。
彼女の名は富美江。
旅館の女将である。
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