それでも魔王は聖女を攫う

大和

文字の大きさ
16 / 40

12. 必ず貴女を、

しおりを挟む


 まずは、陣が必要だ。
 ただいつも血を採る手伝いをしてくれるカトレアはおらず、注射針もない。まして罪人として囚われた私に刃物など与えられるはずがなかった。
 這うように牢内をくまなく見て回り、ようやく見つけたのは、苔生した壁の一部の鋭く尖った石だけだった。
 ……背に腹は変えられない。
 私はその先端に手首を当て───勢いよく横に引いた。

「っ……く、ぅ……っ」

 今まで感じたことのない激しい痛み。それと引き換えに、思惑通り引き裂かれた手首からは鮮血が溢れている。
 腕を抑えながら、血を指先に垂らすようにして床に膝をついた。

「×××××、×××──…」

 古代イシュタリア語を口の中で唱えながら、少しずつ陣を描いていく。血が乾く度に石の先端に手首を宛てがった。
 視界が霞む。立ち上がると意識が遠のく。
 それでも、この儀式を絶やすわけにはいかない───


 
 どれくらい時間が過ぎただろうか。
 地下深くで推し量ることすら出来ないけれど、以前塔で描いた時の倍以上の時間をかけて、陣は完成した。
 石床をなぞり続けた指先と何度も傷つけた手首は見るも無残な有様だが、見ないふりをしつつ陣の上に横たわる。

 クレルシェンドの精霊よ。
 我が力を捧げます。
 どうか御身が満たされんことを、
 そしてこの地が栄えんことを───

 目を閉じ、いつものように生命力を陣を通して伝えようとして──ぶつりと、その流れが途絶えた。

「…………、やはり……っ」

 瞼を持ち上げて歯噛みする。
 陣は描いたが、それは今大地のどこにも私の血が触れていない状態だ。
 仮にも大地の中なのだからもしかしたら……と期待したけれど、やはり人工物に遮られては意味がないらしい。

 どうにか、どうにかしないと。
 焦る気持ちとは裏腹に、視界は徐々に白んでいく。
 血を流し過ぎてしまった──そう考えながら、私の意識は闇に落ちていった。



 ───それから。
 目を覚ます度に、私は手首を石に滑らせた。
 血を流し続けて、陣の下……石床のもっと下まで浸み込めば、あるいは"祈り"が届くかもしれないと思ったからだ。

 ひとたび。

 ふたたび。

 みたび。

 繰り返していくうちに、少しずつ頭がぼんやりしてくる。

 どうしてこうなったのか。
 なぜここにいるのか。
 ああだけど、私はやりとげなければ。
 そのための命。
 この国で死ぬために、私はうまれてきたの───



◇ ◇ ◇



 陛下は私に食事すら与えるつもりがないらしい。逃亡することは出来ないと踏んでいるのか、兵が見回りに来ることもない。
 沙汰は追って下すと言っていたが、いったいいつになるのだろう。
 もはや、意識を保っている時間の方が短くなっているというのに。

「…………、……」

 血が、足りない。
 もう立ち上がることすら叶わず、陣の上に身体を横たえることしかできなかった。

 未だに"祈り"が届かない。
 魂を捧げる儀式の準備すらままならない。
 この状態で死ぬわけにはいかないのに……抗う力も残されていないなんて。

 霞む思考の隅で、この国に来てからの光景が閃く。
 若く聡明な王。婚儀の日、先王は懐かしむように私を見ていた。王城での穏やかな日々。私は病弱だという理由で王城を離れることはなかったけれど、王都を眺めたり各地の様子を伝え聞くのは好きだった。──やって来た少女。彼女になら陛下を託せると思った。冷たくなっていく使用人達の視線。それでも王妃として立ち続けなければならなくて。そうして出会った──真紅の瞳。

 人生最期に友を得られるなんて、私はきっと恵まれている。これ以上は望むべくもない───だから、聴こえて来るこの声も、きっと幻聴なのだ。

「……リス、アイリス! しっかりするんだ!」

 遠いところで声が響く。
 呼ばれていることをようやく理解して、ぼんやりと視線を持ち上げた。

「…………」
「アイリス……っ、どうしてここまで……! それにこの血の匂い、貴女はどれだけ……」

 霞む視界では彼の表情すら見て取れない。
 ここが牢獄の中であることも忘れて、ただ彼がまた来てくれたのだ、と思った。

「……エド、ウィ…………」
「喋らないでくれアイリス、くそ、もう少し早ければ……!」
「もぅ、こない、で、て……」
「……それは聞けない話だ」

 貴女に触れる無礼を許してくれ。
 一言そう言った彼は、壊れ物を扱うように恭しく私の手を取った。血で汚れた、傷だらけの醜い手に、じわりと優しい熱が伝わる。

「これは、俺の我儘だ。だけどアイリス、どうかもう一度、問わせてくれ」

 祈るように私の手を握り締めて、彼は言う。


「貴女を、攫わせてくれないか───」


 ふいに。
 幼い頃の記憶が蘇った。

 母は優しい人だったけれど、王妃教育に関しては苛烈で、物心がついたばかりの私はそれがつらかった。
 そして一度だけ、逃げ出したことがある。一人で城を抜け出し、近くの小高い丘まで駆け上がって。──そうして、独りきりで泣いていた。
 そう、私はあの時、誰かに連れ出してほしかった。

 眦から一筋、涙がこぼれ落ちる。

「さらって、くれるの……?」

 幼い夢の続きのような、温かな熱に包まれて、自分でも何を言っているのか分からないままに言葉が溢れた。

「───たすけて、」

 そこで、私は完全に意識を手放した。



◆ ◆ ◆



「……ああ」

 灯りさえろくにない地下牢の中。
 自らの血に塗れ、ぐったりと動かなくなった友を抱きかかえて、俺は言い聞かせるように口にする。

「必ず、貴女を助ける。この国から解放してみせる。だから───」


どうか、生きることを諦めないでくれ。



しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】お飾り妃〜寵愛は聖女様のモノ〜

恋愛
今日、私はお飾りの妃となります。 ※実際の慣習等とは異なる場合があり、あくまでこの世界観での要素もございますので御了承ください。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

皇太子から婚約破棄を言い渡されたので国の果ての塔で隠居生活を楽しもうと思っていたのですが…どうして私は魔王に口説かれているのでしょうか?

高井繭来
恋愛
リコリス・ロコニオ・クレーンカは8歳のころ皇太子に見初められたクレーンカ伯爵の1人娘だ。 しかしリコリスは体が弱く皇太子が尋ねてきても何時も寝所で臥せっていた。 そんな手も握らせないリコリスに愛想をつかした皇太子はリコリスとの婚約を破棄し国の聖女であるディルバ・アーレンと婚約を結ぶと自らの18歳の誕生の宴の場で告げた。 そして聖女ディルバに陰湿な嫌がらせをしたとしてリコリスを果ての塔へ幽閉すると告げた。 しかし皇太子は知らなかった。 クレーンカ一族こそ陰で国を支える《武神》の一族であると言う事を。 そしてリコリスが物心がついた頃には《武神》とし聖女の結界で補えない高位の魔族を屠ってきたことを。 果ての塔へ幽閉され《武神》の仕事から解放されたリコリスは喜びに満ちていた。 「これでやっと好きなだけ寝れますわ!!」 リコリスの病弱の原因は弱すぎる聖女の結界を補うために毎夜戦い続けていた為の睡眠不足であった。 1章と2章で本編は完結となります。 その後からはキャラ達がワチャワチャ騒いでいます。 話しはまだ投下するので、本編は終わってますがこれからも御贔屓ください(*- -)(*_ _)ペコリ

十の加護を持つ元王妃は製菓に勤しむ

水瀬 立乃
恋愛
様々な神の加護を信じ崇める国・ティーズベル王国。 訳ありの元王妃・ティアは、その身分と聖女だった過去を隠し、愛息子と共に辺境のギニギル村で暮らしていた。 恩人で親友のマロアと二人で開店した米粉の洋菓子店・ホワンは連日大盛況。 年に一度の豊穣祭の初日、ある事件がきっかけでティアの日常は一変する。 私、王宮には戻りません。王都で気ままに、お菓子を作って暮らします! ※小説家になろう様でも同作品を連載しています(https://ncode.syosetu.com/n7467hc/)

私を裁いたその口で、今さら赦しを乞うのですか?

榛乃
恋愛
「貴様には、王都からの追放を命ずる」 “偽物の聖女”と断じられ、神の声を騙った“魔女”として断罪されたリディア。 地位も居場所も、婚約者さえも奪われ、更には信じていた神にすら見放された彼女に、人々は罵声と憎悪を浴びせる。 終わりのない逃避の果て、彼女は廃墟同然と化した礼拝堂へ辿り着く。 そこにいたのは、嘗て病から自分を救ってくれた、主神・ルシエルだった。 けれど再会した彼は、リディアを冷たく突き放す。 「“本物の聖女”なら、神に無条件で溺愛されるとでも思っていたのか」 全てを失った聖女と、過去に傷を抱えた神。 すれ違い、衝突しながらも、やがて少しずつ心を通わせていく―― これは、哀しみの果てに辿り着いたふたりが、やさしい愛に救われるまでの物語。

偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて

奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】 ※ヒロインがアンハッピーエンドです。  痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。  爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。  執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。  だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。  ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。  広場を埋め尽くす、人。  ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。  この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。  そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。  わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。  国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。  今日は、二人の婚姻の日だったはず。  婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。  王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。 『ごめんなさい』  歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。  無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。

処理中です...