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20.5. 公爵夫人の訪い
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ざわざわと、ざわざわと。
この胸の内で蠢く憎悪がある。
刻み込まれた呪いが、すべてを壊せと囁きかける。
虚栄で満ちたこの国に。
破壊と、滅亡と、贖罪を。
◇ ◇ ◇
あれからもう二週間が経つ。
ヴァンは何も教えてくれないけど、今、クレルシェンドは大変な状況なのだとカトレアから耳打ちされた。
今までなんともなかったのに、突然地方を異常気象が襲ったり。
これから冬を迎えるのに、穀物の貯蔵庫に大量の害虫が湧いたり。
原因不明の病気にかかる人が増えたり。
どれもまだ大きな問題にはなっていないけれど、平和なクレルシェンドに陰が差したようで、もやもやする日々が続いた。
……アイリス様は、まだ帰って来ない。
カトレアは何か知っているようだったけど、尋ねても首を振るだけだった。
すべてを教えてほしいとは言わない。でも、この国で生きていく人間として、何も知らされないまま日々を過ごすのはつらかった。
そんなある日、城に嵐が訪れた。
「───、────!」
「────……」
何事か言い争うような声が聞こえて館の入り口に足を向けると、そこにいたのは見知った女性だった。
「……公爵夫人?」
「まあリオ様、ちょうどよかったわ!」
以前、アイリス様の代わりに出席したお茶会で会ったジュリー=シェリル公爵夫人。亜麻色の髪を結い上げた華やかな顔立ちの美人で、もうすぐ四十路とは思えない若さと迫力があった。
彼女は入り口で警備を担当していた兵士さんを押しのけて、カツカツとヒールを鳴らして私に近づいてきた。
「あたくし、アイリス妃殿下に会いに来ましたの。ご病気で臥せってらっしゃると伺ったので、お見舞いに」
「え……」
「で、ですからシェリル公爵夫人! 妃殿下の病は感染の恐れがありますのでどなたも……」
「ならばなおのこと、あたくしが行くべきでなくて? 公爵家に入っても医術の研鑽を欠かしたことはなくってよ」
そう、彼女はもともと平民の出で、王都でも指折りの医者だったのだという。シェリル公爵に見初められて嫁いでからも、暇さえあれば町医者の手伝いをしているとお茶会で言っていた。
確かにアイリス様がご病気だったなら、この上なく頼もしい相手だっただろう。でも……今ここに、アイリス様はいない。
困惑する私に、そういえば、と彼女は怪訝な顔を向ける。
「リオ様、貴女はどうしてこちらにいらっしゃるの? 此処は妃殿下のお住まいのはずだけれど」
「え? だってここは賓客用の館だって……アイリス様は西の館に住んでるってヴァンが……」
「……西の館?」
夫人の目が鋭く光る。
「この城の西側に妃殿下が住まわれるような館は無いはずでしょう。あるのは古びた塔だけで……」
ぶつぶつと口の中で呟いていた夫人ははっと顔を上げた。その目の奥に見え隠れする怒気に私は思わず身震いした。
「……そこな兵士。あたくしとこの子を、西の館とやらに案内なさい」
「えっ⁉︎ いやそれは……」
「何か不都合でも?」
「し、しかし、上長の許可を……」
「何も館の中に入るとは言いません。『館』の存在をこの目で確認出来れば良いのだから」
「う……」
彼女の迫力に、兵士さんもたじたじで、結局半泣きで頷かされていた。
そうして夫人は、状況が飲み込めないでいる私の方を振り返った。
「参りましょう、リオ様。……貴女はきっと、知るべきですわ」
のろのろと歩く兵士さんを夫人が叱咤しながら、しばらくしてたどり着いた場所で、私は言葉を失くすしかなかった。
「……ここ、は……」
「……これのどこが『館』だと言うのです?」
「ひっ」
夫人はもはや怒りを隠すことなく兵士さんを睨みつける。怯える彼が言葉を返す前に、夫人はさっとドレスの裾を持ち上げてそのまま目の前の建物──古びた塔の中へ入っていく。
私も、少し迷ってその後を追った。
薄暗く、ジメジメした塔の中。階段を上りきって、目の前に現れたのはところどころ傷んで腐りかけている木製の扉。
夫人は迷いなくその扉を開け放った。
──そこに広がった光景を見た瞬間の、この絶望をどう言葉にすればいいだろう。
外観と同じ、冷たい石で囲まれた部屋。木材を組み立てただけのような簡素な家具にはうっすら埃が積もっていて、それでも少し前まで人が住んでいたような生活感がある。そして何より……壁に数着掛けられているのは、アイリス様が着ていたドレスだった。
ぺたりと、力が抜けてその場に座り込んでしまった。
どうして、こんな場所に?
アイリス様は、王妃様のはずなのに。
「……貴女は、自分の無知を恥じねばなりませんわ」
部屋に足を踏み入れ、机の埃を指でなぞりながら夫人は言った。
「妃殿下は、確かにあの館にお住まいでしたもの。それなのに今、あちらには貴女が居て、妃殿下はおそらくこの場所で生活されていた。この意味が、わかりますか?」
「あ……わ、わた、し……」
「──貴女という存在に、追いやられたのですわ」
はっきりとそう言われて、私は心臓を冷たい手で鷲掴みされたような感覚に陥った。
アイリス様は、優しかった。
この城に来たばかりの頃も、私が今の館で生活するようになっても、あのひとの態度は何も変わらなかった。
私は、自分の満たされた日々を、疑うことさえ知らなかった──
泣きたくないのに、ここで私が泣く資格なんて無いと分かるのに、涙が溢れて止まらない。
顔を覆ってしゃくりあげる私に気づかないふりをしながら、夫人は静かに口を開いた。
「こんな環境ならご病気にもなろうものですけれど……あの方は、此処に居ない」
ならば、追いやられた王妃殿下はどこに行ったのか。
「……陛下に、お話を伺うほかありませんわね」
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