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第3話 左様なことが通用するとお思いで?

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 一心にナリスを見つめていた幾人もの令嬢がこのほほ笑みを目撃し、声にならない悲鳴をあげた。

 その視線の先に一人の令嬢がいることがわかると、醜く顔をゆがめ、互いに目配せをする。

 そんな周りの様子に気付かず、ルシアはダンスが始まるまでスイーツでも食べようかと飲食コーナーに足を向けた。

 両親は社交のため、ルシアとは別行動となった。

「わぁ、リアム見て!とてもおいしそうだわ」

 嬉しそうなルシアにリアムは優しく頷く。

「緊張されていたので喉が渇いたでしょう。まずはこちらのお飲み物をどうぞ」

「ありがとう」

 ルシアはグラスを受け取ると、のどを潤した。

 いつの間に飲み物を用意してくれたのか。

 いつでも欲しい物を欲しいときに用意してくれるリアムは、本当に有能な執事だと思う。

(リアムは私の心が読めるのかしら?そういう魔術もあると聞いたわ)

 などとルシアが考えているうちに、リアムはルシアの好きそうなスイーツを皿にとりわけ差し出す。

「さあ、どうぞ」

「ありがとう。いただくわ」

 ルシアはフォークを手に取り、苺のケーキを一口食べた。

(さすがに王宮のスイーツはおいしいわ。普通の苺ケーキに見えるのに、なぜこんなに味が違うのかしら)

「リアム、わたくしが今、何を考えているかわかる?」

「そうですね。どうして王宮のケーキはこんなにおいしいの?ですか」

「やっぱり!わたくしの心を読んでいるわね?」

「いえ、そんなことはできませんよ」

 読心術など必要がない。

 長年共にいてルシアのことだけを見ていれば、ルシアの気持ちなど手に取るようにわかるというものだ。

 懐疑的な目をリアムに向けながらもぐもぐとくちを動かすルシアの前に、数名の令嬢が立ちふさがった。

 真ん中にいる紫色のドレスを着た令嬢がルシアを上から下までジロリと見ると、フッと鼻で笑った。

「あらあら、はしたなく食べ物を頬張っているわ。平民の娘が紛れ込んだのかしら?ドレスも…地味ね。そこのあなた、名を名乗りなさい」

 ルシアはきょろきょろと辺りを見回し、どうやら自分に言っているようだと確認し、令嬢を見た。

「初めまして。スチュアート伯爵が娘ルシアです」

 ルシアが名乗ると、礼儀知らずにも令嬢たちは自己紹介を返しもせず、ルシアを口々にののしり始めた。

「たかが伯爵家の娘がナリス様に色目を使うなんて信じられないわ。無礼ですよ!」

「ナリス様はこちらにいらっしゃるスカーレット様と婚約することが決まっているのよ。パーティーに招待されたからと言って、婚約者候補になれるかもしれないなどと勘違いしてはダメよ」

「そうよ。あなたは知らないでしょうから教えて差し上げてよ。スカーレット様はもう王子妃教育も終えられて、正式に婚約が発表されるのを待っているところなのよ」

「おわかり?つまり、今さらナリス様をたぶらかして横取りしようとしても無駄ということよ」

「いやだわ。まさか本気で横取りできるとお思いなの?」

「あらあら、ろくに口がきけないようね」

「本当に。こういうのを愚鈍というのではなくて?」

 くすくすと感じ悪くあざ笑う声が全員から漏れる。

 ルシアは突然のことに訳も分からず、困惑して立ち尽くした。

 すると、ルシアの前にスッとリアムが出て、ルシアを背に隠した。

 恐ろしく容姿のよいリアムに、令嬢たちは息をのむ。

「アンドレイ侯爵令嬢スカーレット様、これは一体どういうことですか」

 リアムに名指しされたのは、リーダー格の紫色のドレスの娘である。

「あら、わたくしはお名前をうかがっただけよ」

「名乗りもせずルシアお嬢様を愚弄する言葉の数々。無礼なのはそちらでは?」

「格下の伯爵家にこちらが名乗る必要がありまして?」

「最低限の礼儀ですよ。それに、そちらのご令嬢方は我が伯爵家より格の劣る家名と存じますが」

 そう言ってリアムは、スカーレットの取り巻きの令嬢たちに視線を移す。

 取り巻き立ちはふてぶてしく笑った。

「わたくしたちは、スカーレット様の傘下にある者よ。スカーレット様より格下の者はわたくしたちにとっても格下でしょう?」

 リアムはその言葉を聞いて、酷薄そうに笑った。

「左様なことが通用するとお思いで?エジンバラ子爵令嬢アントワーヌ様」

 まさか身バレするとは考えていなかったのだろうか。

 アントワーヌは顔色が悪くなった。

「だいたいあなた、何者なの?!」

「私はスチュワート家第二執事のリアム・ロードでございます」

「使用人のくせに偉そうな口をきかないで!」

「主人を攻撃されて黙っているような使用人はおりませんよ。サンシール男爵令嬢ベラ様」

 やはり名を呼ばれて、ベラも顔を引きつらせる。

 しかし、スカーレットが守ってくれると信じているため、強気な姿勢は崩さない。

 周囲には騒ぎを聞きつけてチラチラと見物している人が増えてきていた。

 ようやく状況が飲み込めたルシアは、事を収めようと、リアムの腕をそっと引いた。

 リアムはルシアの意思を尊重して、スッと身を引いた。

「スカーレット様、わたくしはナリス第二王子殿下の婚約者候補になることなど、望んでおりません。そのような家格にないことはわきまえております。スカーレット様が婚約者に内定されていることは存じませんでしたが、なにかご不快にさせるようなことがあったのでしたら謝罪致しますわ」

 見物人がざわついている。

 スカーレットが婚約者に内定しているという情報は誰も知らなかったからだ。

 なぜならそのような事実がないからである。

 スカーレットもさすがにまずいと思ったのか、持っていた扇子を広げると口元を覆った。

「わかれば結構。これで失礼いたしますわ」

 そう早口で言って、くるりと身をひるがえした。

 取り巻き達も慌ててスカーレットに続いた。

 なんとか事が収まり、ルシアはほっと一息ついた。
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