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第15話 招かれざる客〜アンドレイ侯爵家の没落①〜

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 アンドレイ侯爵家の一人娘スカーレットは、今日も癇癪を起こして泣きわめいていた。

 一週間ほど前、ナリス第二王子の誕生日を祝うパーティーで突然、髪の毛に火が付き燃えてしまったのだ。

 近くに火の気などなかったのに、だ。

 火がようやく消えた時には、自慢のブロンドは燃やしつくされ、頭皮の近くにわずかにちりちりの毛が残っているだけだった。

 周りで見ていた貴族たちは、初め火が付いたときは驚き、早く火を消そうと慌てふためいたが、火が消えたあと、髪がなくなったスカーレットを見た反応は様々だった。

 笑いをこらえる者、気の毒そうに目をそらす者、まじまじと見つめてくる者。

「いやー!」

 スカーレットは頭を抱えて叫んだ。

 騒ぎを聞きつけ駆けつけた父、アンドレイ侯爵に肩を抱かれ会場を後にした。

 ナリスの婚約者を選ぶ大切なパーティーでもあったのに、ナリスとダンスをすることは叶わなかった。

 友人たちの髪にも火が付いていたようだが、人のことなど気に掛ける余裕はなく、被害状況はわからない。

 ナリスの目を奪った憎い女を痛めつける計画も、こうなって頓挫した。

 手下の男爵令嬢があの女のドレスにワインを掛けてやったところまでは愉快に見ていたのだが…。

「なんでわたくしがこんな目にあわなくちゃいけないのよ!」

 スカーレットは自分が映った鏡に向けて文鎮を投げつけた。

 鏡が大きな音を立てて割れ、粉々にくだけた破片が部屋に飛び散った。

 メイドたちは悲鳴を上げた。

 鏡の側に立っていたメイドの一人は破片を浴びケガをしたが、スカーレットはそんなことには頓着せず、ただひたすら己に起きた悲劇に怒っていた。

 メイドに呼ばれて慌てて駆け付けたアンドレイ侯爵は、スカーレットを後ろから羽交い絞めに拘束した。

「落ち着きなさい!」

「落ち着けるわけがないわ!髪がなくなったのよ!」

「顔や頭皮に火傷を負わなかっただけでも不幸中の幸いだったじゃないか」

「いやよ!もう死んでしまいたい!」

 ぎゃーぎゃーとこの調子で何日も騒ぎ続けているため、アンドレイ侯爵もほとほと嫌気がさしてきていたのだろう。

 ついに厳しく言い放ってしまった。

「うるさい!髪くらいなんだ!また生えてくるだろうが!もういい加減にしてくれ!」

 これまで父親に甘やかされて育てられたスカーレットには、それは衝撃的だった。

「お父様!ひどい!うわーん!」

 ベッドに身を投げ泣き始めたスカーレットを見て、アンドレイ侯爵は大きなため息をつくと、部屋から出て行った。

 侯爵のもとに妻が歩み寄って来た。

「あなた。スカーレットがかわいそうよ。あんな頭になってしまってどれほど傷ついたことか」

「ああ、わかっているよ」

「わたくし、あの子にかつらを作ってあげようと思いますの。いいでしょう?」

「もちろんだ。しかし、しばらくは外には出ないだろう?」

「何をおっしゃいますの。社交の予定が詰まっていますのよ。元気づけるためにも、お茶会に顔を出させるつもりです。だから新しいドレスと宝石が必要だわ」

 夫人と娘がそろってドレスと宝石を新調すると、大変な金額が消費される。

 この頃はツケで売ってくれる店がなくなってきている。

 髪がなくなったことを理由に社交を休めば出費が抑えられるではないか。

「とてもではないがお茶会に行ける状態ではないだろう。しばらくは社交も休んだらいい」


「ダメですわ。ナリス王子の婚約者選定も大詰めだと言うのに休むわけにはいかないのですよ」

「しかし、スカーレットはどう思うかな」

「あの子もれっきとした侯爵令嬢ですもの。わたくしと同じ考えですわ」

 侯爵は先ほどの泣き叫んでいたスカーレットを思い浮かべる。

 我が娘ながら、あのように感情的になるなど侯爵令嬢としての矜持が足りない。

 きっと社交など拒否するに違いない。

「スカーレットの気持ちを尊重しよう。お茶会に出たいと言うのなら、ドレスを作るがよい」

「わかりましたわ」

 夫人は意気揚々とスカーレットの部屋に入って行った。

 その背中を見送って、侯爵は今回の事件について考えを巡らせる。

 突然に着いた火。

 水をかけても消えなかったと聞いた。

 髪を燃やし尽くしながら、顔や頭皮にはやけどを負わなかったことも不可解である。

(誰かが魔法で火を付けた?しかし王宮では魔法が使えないよう結界が張られている。王宮内で魔法を使えるのは王族と宮廷魔導士だけだ…)

 スカーレットがナリス王子との婚約が内定していると公言していたために罰せられたという噂が立っていることは把握していた。

 本当にそんなことを言ったのか確認したかったが、あれからずっと嘆き悲しむスカーレットとは、まともに会話ができていない。

 しかし、あのようなむごい仕打ちを王家がするのかは疑問だった。

 いずれにせよ、だれかに負の感情をぶつけられたことは間違いない。

 虚仮にされたままではアンドレイ侯爵家の名折れである。

 そんなことをつらつらと考えていたところに、家令が青ざめた顔で執務室に入って来た。

「旦那様、来客でございます」

「客?約束はなかったはずだ。追い返せ」

「ですが…」

 珍しく家令がおどおどと視線をさまよわせ、口ごもったことに訝し気な目を向ける。

 と、許可もなく招かれざる客が執務室に押し入って来た。

 ヘーゼルナッツ色の髪をオールバックに固め、やたら見目の良い男だった。

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