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第13話 ジェイコブと恋人

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 ガスター家の長男ジェイコブは現在19歳。

 リリーと同じ赤い髪が印象的な精悍な青年である。

 その瞳は黒く切れ長で、たくましい体躯は学生時代に水球の選手として培ったものだ。

 いずれ父親の跡を継ぐために、ナバランド国の鉱山地帯に居を構える生産工場の責任者としてナバランドに滞在している。

 学生時代の恋人と婚約し、来年お相手の子爵令嬢が学院を卒業するのを待って結婚の予定である。

 貴族相手の商売であるから、子爵家と縁続きになれることはガスター家としても大歓迎であった。

 目下の問題はナバランド国に長期間滞在しているため、婚約者と会うことができるのは年に数回になってしまったことだ。

 そのせいで、わがままな彼女は著しく機嫌を損ねていた。


「そ・れ・で?わたくしに結婚したらナバランド国へ来いとおっしゃるの?知り合いもいない外国へ行かなければならないなんて、わたくし耐えられない。お父様だってお許しにならないわ」


 オーウェルズ国の子爵令嬢であるマルグリット嬢は、馬車の中で、恋人のジェイコブに詰め寄っていた。


「マルグリット、君には申し訳ないと思っているよ。親父の跡を継ぐまでの数年なんだ。向こうにいるのは。それまでの辛抱だよ」

「数年ですって?!そんなに離れ離れで暮らさなくてはいけないの?」

「君と離れて暮らすなんて、それこそ耐えられないよ。どうか俺と一緒にナバランドへ来てくれ」

「い・や・よ。わたくし、あなたと婚約なんかするんじゃなかったわ」

「マルグリット…。親父にオーウェルズに戻してくれって言ってみるから」

「当り前よ!今日、かならずお義父様にお願いして頂戴ね」

「ああ・・・」


 馬車がガスター家の前で止まり、御者が降りて扉を開ける。

 ジェイコブは責められる一方の会話に辟易していたので、待ってましたとばかりに馬車を降りた。

 手を差し伸べると、マルグリットはツンと澄ましてその手を取った。

 玄関に家令をはじめ、使用人一同が整列して出迎えた。

 家族の出迎えは妹のリリーのみ。

 父と母は二人でパーティーに出かけている。


「おかえりなさいませ、ジェイコブ様。ようこそおいでくださいました、マルグリット様」


 家令が深く頭を下げ、使用人が後に続く。


「お兄ちゃん、おかえりなさい!」

「リリー!ただいま。いい子にしてたか?」


 リリーが嬉しそうにジェイコブに抱き着くと、ジェイコブもにこやかにリリーの背をポンポンとたたいた。

 仲睦じい様子に、アリステルも温かい気持ちになった。

 同時に兄のハリソンを思い出して、切なくもなった。

 兄が勤める研究機関に手紙を送って現状を説明しようかとも思ったが、継母に居所を知られるのではないかという恐怖から、手紙を出せずにいた。

 せめて無事だけでも知らせればよかったかもしれない。

 リリーが兄から離れ、今度はアリステルの手を取った。


「お兄ちゃん、紹介するね。アリス先生だよ!」


 ジェイコブはこの時初めてアリステルを見た。

 家庭教師を雇ったという話はたしかに父か母から聞いていた。

 身寄りのない元貴族の少女だと。

 けぶるようなエメラルドの瞳がジェイコブを捉えたとき、周りの景色すべてがぼやけ、アリステルただ一人にだけ焦点が当たってはっきり見えるような、そんな一瞬があった。

 しばし惚けてアリステルをただ見つめてしまった。


「初めてお目にかかります。リリー様の家庭教師をしておりますアリステルと申します。どうぞよろしくお願い致します」


 アリステルがきれいに礼をすると、ジェイコブはハッと我に返った。

 急激に心臓が胸打ち、カッと顔に血流が集まる。そわそわしたまま挨拶を返す。


「父に聞いています。リリーのこと、よろしく」

「かしこまりました」


 その時、マルグリットがやや大きめの声で不満を述べた。


「いつまでここに立たせておく気かしら。わたくし、疲れているのだけれど」

「これは申し訳ございません。サロンの方にお茶のご用意をいたしましょう」


 家令が恭しく頭を下げ謝罪すると、メイドたちもお辞儀をして各々の持ち場へと素早く戻って行った。

 アリステルも同じように軽く頭を下げ、部屋に下がった。

 その後姿をジェイコブが目で追っていることには気が付かなかった。

 そしてそんなジェイコブの様子を、マルグリットが鋭い視線で観察していたことにも。

 サロンでマルグリットと二人きりになっても、ジェイコブはアリステルの宝石よりも美しいエメラルドの瞳を思い返していた。

 マルグリットの甲高い声に適当に相槌を打ち、ぼんやりと熱い紅茶を飲み、出された菓子を食べた。


「もうっ!ジェイコブったら。聞いているの?」

「ああ・・・」

「だったら何の話だったか言ってごらんなさいよ」

「ああ・・・あ?何?」

「ほら、聞いていないじゃないの。結婚式よ、結・婚・式!」

「結婚式?」

「あなたが戻ったらすぐに式を挙げたいわ。それも盛大に。あなたのお店の宝石を私が身に着けて広告塔になるわ。だから飛び切り高級な、見たこともないようなダイヤモンドを用意してちょうだい」


 ジェイコブはようやくマルグリットの顔を見た。

 美しく整った顔立ちとべた惚れであったはずが、なぜかこの時は強欲な高慢ちきな女に見えてしまい、ジェイコブはうんざりした。


「もちろん宝石は用意するが、ダイヤモンドではなく、俺の髪色と同じルビーだ」

「ルビーですって?!このわたくしに、ダイヤモンドより劣る石をつけろと言うの?」


 ジェイコブはムッとして、眉が寄ってしまう。

 ルビーは自分の色。子供のころより、特別にルビーを愛していた。


「ルビーがダイヤモンドより劣るだって?馬鹿なことを言うな。ルビーは限られた場所でしか取れない希少な宝石だ。ましてや濃く赤い、不純物の少ない大粒の物はダイヤモンドより価値が高い」

「そんなこと知らないわよ。世界中のだれが見たって、ダイヤモンドの輝きに勝てる宝石なんてないわ。わたくしの結婚式には、だれが何といってもダイヤモンドを用意して。ルビーなんてい・や・よ」


 マルグリットはジェイコブのイラつきには気が付かず、あくまで意見を曲げなかった。

 ジェイコブは嫌悪感を無理に押し込め、静かに言った。


「わかったよ。考えておく。…すまないが、頭が痛くなってきた。今日は帰ってくれないか」

「え?せっかくわたくしが足を運んだのに、お義父様にも会わずに帰れと言うの?信じられないわ。わたくしを大切にしてくれないなら、婚約はなかったことにしてもよいのよ?」

「本当にすまない。この埋め合わせはきっとするから」


 マルグリットは憎々しげにジェイコブを一瞥すると、ふんっと顔を背け、立ち上がった。


「もういいわ。わたくし、失礼するわ」


 音もなく家令がサロンの入り口に立ち、マルグリットを玄関まで先導すると、そこにはもう馬車が用意されていた。

   家の者たちに丁重に見送られマルグリットは帰って行ったが、ジェイコブは見送りには来なかった。
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