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第5章 辺境の地にて

第83話 しばしの平穏 そして押し寄せる悪夢

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 オレが一神教徒の魔法を学ぶにあたっての壁に直面してから数日が経った。
 その間、不気味な事だが疫病を引き起こす霊体は少なくともオレの前には姿を見せず、フレストルもこの下町近隣で布教活動にいそしみつつ、疫病をその身に受けて倒れる事もなかった。

 そんでもってアカスタと霊体師匠は壊れたお堂と神像を作り直していた。
 下町の人間は遠巻きに眺めるだけで手を貸しはしなかったが、積極的に邪魔をするものもいないようだ。
 やっぱりこっちの多神教の世界の住民にとって『霊体を扱う人間』は異教徒であっても排撃するというよりは、関わりをなるだけ避けたい相手であるらしい。
 まさしく『触らぬ神にたたりなし』を地でいく話だな。ただし――

『おお……これは実によい体じゃのう……』
「お師匠様。ズルいですよ。それはワシのものなのに……」
「どっちのモノでも無いわ! この変態師弟!」

 触らぬ神に祟りなしであっても、セクハラ霊体にスキあらばと体を触られる ―― もちろんこっちには感覚無し ―― とこっちが祟ってやりたい気分になるな。

 それはともかく実際、連中に関わってオレは一度は殺されかけたわけで、それでもまだ付き合っているこっちの方がどうかしているんだろう。
 まあ異世界人で、元男で、チート魔法の使い手で、頼みもしないのに女神がしゃしゃり出てくるオレが普通ではないのはわかりきった話なんだが。

 他にもフレストルの様子をうかがったり、社を訪れた交易商人にファーゼスト内部や聖女教会について情報を聞いてみたりもしたが ―― さすがにもう一度、聖女教会を訪れる気にはならなかった ―― とりあえず今のところは大きな問題は発生していないようだった。

 だがオレにはこれが『嵐の前の静けさ』としか思えなかった。
 実際にオレを襲った霊体がどうしているのかも分らないが、少なくともみんな成仏してこの世から消えてくれた、などととはとても考えられない。
 今まで一度だってオレにとって都合のいい展開になったことなど無いのだ。

 そうだとすればオレに出来る事はなんだろう。
 もっとも手っ取り早い方法は、さっさとこの地を離れて、目的である西方に足を踏み入れる事だろう。
 フレストルやヴァルナロから知識を得たことで、少なくとも西方でやってはいけないことについては把握出来た。
 実際に今でも交易商など多くの人間が、一神教と多神教の勢力圏を己の宗教に関係なく行き来しているわけで、なるだけ目立たないようにしておけば ―― オレにとってはそれはそれで一つの難題であるが ―― 普通に旅をするにあたって問題はないだろう。

 そんなわけでオレとしては、フレストル達に別れを告げて、とっとと立ち去るのがもっとも賢い手段という事になるな。
 なによりヴァルナロの説明によれば、あの疫病をもたらす霊体は一神教が支配する領域では見られないらしい。
 あの連中にとってオレが『格好のエサ』だったとしても、西方に入ってしまえばもう追ってくる事はないはずだ。

 そもそもオレがこのファーゼストに来たのも、女神になる前、人間だった時は西方から来た治癒術士だったというイロールの足取りを調べるため、西方に入る前の下調べのためだった。
 最初からここに長居するつもりなど全く無かったのだ。

 それにこの地にいるのは別に親しい人間というわけではない。
 オスリラはオレを女に変えた共犯者でむしろ憎むべき存在だろう。他の人間もここに来てから出会ったばかりで、特に親しい関係と呼べる相手は一人もいないのだ。
 オレの夢に出てきた女神イロールは『この地で苦しんでいる人と精霊を救える』などと言っていたけど、オレにはそんな事をする義務どころか義理すら欠片も無い。
 だいたい今までだって命がけで人助けは何度もしたけど、感謝以外にオレが得たものなんて何もないじゃないか ―― まあそれ以上を望んだら『男の嫁』にならないといけなかったから自分で拒否したわけだけど。
 どっちにしろここで命をかけて人助けをしたところで、オレが相応に報われるということはまずあり得ないだろう。

 うん。どんな角度から見てもオレが危険を承知でこのファーゼストに留まる理由なんかどこにもないよね。
 だがオレにそれが出来れば苦労はしない。

 もしオレが去った後、疫病で多大な犠牲が出た、などという話を聞いたらやっぱり確実に後悔する。
 これまでもそれで散々ひどい目にあってきたし、たぶん今回もそうなる可能性が高いと思うけど、それでもオレはこの地を離れる気にはなれない。
 それは今まで通りだし、そしてたぶんこれからも同じ事をしてしまうだろう。
 ああ。オレのバカ ―― などと自分を罵ったところで何の意味も無い。

 とりあえず助けになることを考えて見ると、夢に出てきた女神は『我が友』について口にしていたけど、結局その友だちからもなしのつぶてだ。
 本当にあれはただの夢だったのか?
 それとも女神イロールの交友関係なんてやっぱり当てにならないのか?
 実際、多神教の神話の場合、神様は仲間どころか夫婦ですら足を引っ張ったりするし『神に寵愛された英雄』だってちょっとした気まぐれで命を奪われたりもする。
 やっぱり女神なんぞ当てにせず、自分の力でどうにかせねばなるまい。
 そう改めて決意し、オレは夕日の差す下町に出かけようとする。
 だがこの時、これまでの数日間の平穏をぶち破る ―― そして不本意ながらオレにとっては当然のように ―― 怪異が迫ってきていたのだった。


 オレは日が暮れつつある中でアカスタが再建していた『お堂』に向かう。
 こっちはここ数日、アカスタが要求するように材木を【植物歪曲】ワープ・ウッドでねじ曲げて再建を手伝っていたのだ。
 その都度、しつこくプロポーズされたりもしていたが、もちろんオレは一切相手にはしていなかった。
 ぶっちゃけここが壊れた原因にオレ自身も関わっていて責任の一端を感じていなかったら、とても最後まで付き合う気にはなれなかっただろう。

「これでおしまいだな。神様も喜んでくれるだろう」

 アカスタは一応、元通りになったお堂を見て満足げに笑う。
 今日でお堂の修理はおしまいであり、それでアカスタは次の場所に向かうそうだ。
 聞くところによるとアカスタ達は特定の神・精霊に仕えるシャーマンではなく、あちこちの礼拝所に出向いてそこにいる神・精霊 ―― アカスタも明確に区別はつけていない ―― を崇拝したり、なだめたりするのを仕事にしているようだ。
 過去、長年に渡って受け継がれてきた仕事らしいのだが、聞くところによるとやはりその精霊を祀る場所は次第に少なくなっており、信徒も減少の一途らしい。
 おそらく一神教徒によって破壊されたところもあれば、聖女教会など組織的な多神教の教団に吸収されてしまったところもあるのだろう。
 そんな姿を見ると、他人事ながら故国日本における『地元の小さな商店が大資本の大型店に次々に呑み込まれて消えていく』ようなちょっとした哀愁を感じずにはいられない。
 たぶんこんな感じで、アカスタのような地域ごとに生まれた土着神の小さな信仰は、ずっと追われ続け、消え去っていったんだろうな。
 そしてとうとう一神教徒と大規模な多神教の信仰に挟まれ、その両者の隙間にどうにか挟まり、かろうじて存続しているところにまで落ちぶれてしまったわけだ。

 う~ん。二一世紀の人間の感覚で見ても、やはりアカスタ達は『滅びゆく信仰』なのかもしれない。
 だけどオレとしては、そんなものであっても何とか生き延びて、彼らの知識や魔術を後世にどうにか引き継いでいってもらいたいと思う。
 もちろんこちらはアカスタが望むように嫁になるどころか、信徒にすらなる気は無いのだから、それはオレの勝手な希望なのかもしれない。
 しかしそれでも一神教徒や聖女教会のやり口を知っているオレとしては、別の形の信仰の形を示すべく彼らにも頑張ってもらいたいのだ。
 そんな事を考えていると、霊体師匠がオレに向けて笑顔で話しかけてくる。

『それではワシらは次の地に向かうが、お前さんも一緒に来てくれるかのう』

 そんなわけあるか! オレが思わず否定しようとすると、アカスタの方が先に叫ぶ。

「お師匠! そんな勝手な事を言ったらアルタシャが迷惑するじゃないか」

 おお! アカスタもようやくこっちの事情に気を回す事ぐらいは出来るようになったのか。このマセガキも少しは人間的に成長しているようだな。

「アルタシャはワシの嫁だけど、別にここにいてワシを待っていてくれたらいいんだよ」
『なるほど。行く先々に嫁を持つつもりなのか。さすがは我が弟子じゃ』
「ははは。師匠もそんなに褒めるなよ」

 ええい! マセガキ具合を成長させてどうすんだこのクソガキ!
 さすがのオレも少しばかり憤るが、まあこいつらにも頑張って細々と自分たちの信仰を貫いてもらいたいから、ここはグッと我慢しよう。


 そんなわけで日が沈んだ頃合いになってオレはようやく修理の終わった『お堂』を前にして一息ついていた。

『どうやらこれで終わりのようじゃな』
「それではお別れですね。少々名残惜しいです」

 これは紛れもないオレの本音である。

「前もって断っておきますけど、あなた方に同行はしませんからね」

 このスケベ師弟が言ってくる事は分っているので、もちろん前もって釘を刺しておく。

『むう……』
「ええ~」

 オレの明確な拒否を受けて、霊体師匠は厳しい表情を浮かべ、アカスタはあからさまな落胆を見せる。
 だが霊体師匠は表情を一気に引き締めつつ、オレの思わぬ返答を行った。

『心配はいらん。別に同行は求めんぞ』
「そうですか。それでは――」
『じゃが。お前さんには少しばかり、どころではない苦労をかけるじゃろうな」
「どういうことですか?」

 その師匠の静かだが、それでいて深刻きわまる口調と顔色に、こっちの胸中には猛烈な不安がわき上がる。
 おい。あんたの今までのふざけた態度はどこにいったんだ?

『あれをよく見ろ。お前さんなら分るはずじゃ』
「え?」

 オレは霊体師匠の言葉通り、既に日が沈み僅かに薄暮が残るだけとなっていた空へと目を向ける。
 そしてそこには妙な群雲がわき上がっているかのようだった。
 いや! 違うぞ! あれは自然の雲なんかじゃない。

「師匠! まさか?!」
『お前さん達にも分ったようじゃの……こんな事はワシにとっても初めてじゃ……』

 このときオレの視界に飛び込んできた、空に立ち上る雲のごとき巨大な塊。
 それはこのファーゼストへと迫りくる何百、いや、ひょっとしたら何千という数の膨大な霊体の群れだったのだ。
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