ギョウザ

しま せひろ

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ギョウザ

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「だめだぁ~・・・」
洋一は天井を仰いで呻いた。
「そろそろ休んだら?無理しても、どうせ良い文章浮かばないよ」
落書きに興じている息子の隣に座っていた、妻の幸恵が言った。夫の精神的負担を和らげようと気遣う口調が、洋一の心を締め付ける。
「パソコン、閉じるよ。そろそろ夕食の支度するから」
そう言ってベッドのそばに置かれたノートパソコンに手を伸ばす幸恵を、洋一が制した。
「いや・・・、そのままに。ああ、フタだけ閉じといて」
完全に休むことに罪悪感を覚え、とりあえずスリープ状態にしておくことにする。スリープ中は省エネモードだし、良い文章が思い浮かべばすぐに立ち上げて打ち込める。四肢麻痺状態の自分でも、レバーを口で咥えてパソコンの蓋を開けることはできる。
「今日は何?」
「ギョウザよ」
いつもと変わらず明るい、幸恵の声。リビングの奥にあるキッチンに消えていく、妻の姿を見送って、洋一は再び天井を仰いだ。

 ちょっとした事故だった。親子3人で遊びに行った休日の公園。息子に呼ばれて、腰掛けていた柵から立ち上がろうとしたとき、バランスを崩して後ろに転倒。頸椎を損傷し、四肢麻痺の状態になってしまった。
 あっけないものだ。
 以後、会社も辞め、寝たきり状態で自宅介護を受けることになった。おそらく回復はすまい。まさか自分が、人生の半分以上を寝たきりで過ごすことになるとは思わなかった。

 「小説でも書いてみれば?」
 妻からそう言われたのは、介護状態になって10日ほど経った頃だった。もともと文章を書くのが好きで、A4数枚に収まるような物語などをよく書いていた。それを知っている妻が、気分転換にでもなればと、持ちかけてくれたのだ。今後の人生に対する絶望感から、抜け殻のようになっていた洋一にとって、それは、再び生きる目的を与える言葉だった。
 そうだ。時間はいくらでもある。今まで書いたことのなかった長編でも書いてみるか。今の自分は、ただ養ってもらうだけの寄生虫だ。本でも出せれば、せめて経済的にでも楽をさせてあげられるかもしれない。

 しかし、現実は甘いものではなかった。本を出すどころか、文章が出てこないのである。ちょっと人より本を読み、ちょっと人より文章が書ける程度では、本の一冊には到底足りないのだと思い知らされた。
 妻は、気分転換にと勧めてくれたものだが、洋一にとっては、これで稼げるようにならなければと、目的が変わっていた。それが、才能などあるはずもない洋一を、さらに追い込んでいった。

 幸恵が夕食をお盆に載せて、洋一の部屋に入ってきた。
 あれ以来、食欲のわかない日々を過ごしているが、ギョウザは相変わらず大好物だった。
 手が使えないので、幸恵が一口ずつ食べさせてくれる。洋一が猫舌なのを知っている幸恵は、よく冷やすために、皮を破って中に息を吹き込んでくれた。

 ピンポーン

 ありふれたインターホンの音。
 幸恵が息子に声をかけて、応対させた。まだ保育園児だが、インターホンくらいには出られる。
「おかあさん、新聞の集金だって」
「あー・・・」
ギョウザをタレにつけたところだった。財布はバッグの中。さすがにそこまでは息子に言っても分からないだろう。
「ちょっと待っててね」
「あ、それだけ食わせて」
最初の一つを洋一に食べさせると、幸恵は部屋を出てリビングに置いてあるバッグの中を探し始めた。

 玄関先で幸恵が新聞屋と話をしている。隣のリビングからは始まったばかりのニュース番組の声が聞こえている。それらに耳を傾けるでもなく、洋一は、書きかけの文章の続きを考えていた。
 才能も何もないことを思い知らされる。自分ができるのは、「ただ文章を書く」という基本的なことだけだった。やっぱりやめると言えば、幸恵はにっこり笑って「そう。じゃ、次は何しよっか」なんて優しく言ってくれるだろう。だが・・・。
 考え込むと、大好物のギョウザも不味くなった。

 いや、不味い。

 何というか変な香り?舌にビリッとくるのは、ラー油にしては・・・。目をやったタレの小皿に、ラー油は注がれていなかった。そんなことを考えながらギョウザを飲み下した。
 幸恵はまだ終わらない。首を動かせばなんとか、皿のギョウザにかぶりつくことくらいはできそうだが、次はごはんが欲しいな。幸恵を待ちながら、洋一は口の中に残ったギョウザの後味を・・・楽しもうとしたが、妙な香りが気になった。舌の刺激も残っている。
 おかしい。腐っている?
 いや、そんなのじゃない。何か入ってる?
 そう思ったとき、身体全体に悪寒が走っているのを感じた。心臓の鼓動が、軽いジョギングをしたときのように速まっている。両手が使えるなら、反射的に胸を押さえている所だ。息が苦しくなってきた。額に脂汗がにじんでいるのが分かる。
 何だか、アレだ。物語の登場人物が、毒殺されるときの描写に似ている。死ぬ瞬間の描写なんて、未経験の人間が書いたってあてにならないと思っていたが、この症状が毒物なら、ああ、だいたいこんなもんで合ってるな。
 手足を動かせない洋一は、起こしたベッドに背中を押しつけ、歯を食いしばってひたすら苦痛に耐えた。
 しかし、何でだ。幸恵か?幸恵が俺に毒を・・・?

 それしかないよな。そうだよな。明るく振る舞ってるけど、辛いよな。俺、アレから情緒不安定で、ひどいこと言ったりもしたし・・・。完全に八つ当たりだよな。子供の世話と、俺の世話と、仕事と家事と・・・。せめて俺が死んだら楽になるよな。保険とかかけてんだろうか。ああ、でも殺人じゃ保険金は入らないんじゃないか?どうしよう・・・あ、自分で食えばいいんだ。そしたら事故ってことに・・・。
 襲ってくる身体の変調を、毒物によるものと解釈し、洋一は死を覚悟していた。
 でも死ぬ前に、ギョウザ、一口でも自分で食ってやるんだ。
 たった一つ残された首の力だけを使って、反動で前に突っ伏した。ちょうど、介護用テーブルに置かれたギョウザの皿の上だった。
 あとは一口・・・。
 歯をかみ合わせて、そこにあったギョウザを口腔に納めた。さっきより強い異臭、舌の刺激。それ以上、口を動かす力は、残されていなかった。

 新聞代の支払いを終えた幸恵がリビングに戻ってきた。
 「お父さんが終わったらごはんにするから、少し片付けなさい」
 財布をバッグに直しながら息子に声をかけると、夫の部屋に入っていった。
 リビングのTVからは、誰にも見られずにニュースが流れていた。

 「・・・基準値をはるかに超える農薬が検出されたのは、同じ工場のラインで製造されていた冷凍ギョウザで、輸入元の会社に事情を・・・」
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