敵討ち

しま せひろ

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敵討ち

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 目の前で、最愛の妻を殺された。巨大な右手で一撃だった。

 夏になると大量に現れて、痒みという不快感をもたらす、「ヒト」にとってはやっかいな存在。そんな俺たち「カ」が疎ましく思われるのは構わない。しかし、こちらも生きるために必要としてやっている行為である。死をもって償わなければならないほどの危害を加えたわけでもない。その程度のことで愛する妻を殺されたとあっては、身勝手な「ヒト」どもに対して、積年の恨みと共に一矢報わずにはおれぬのは当然であろう。
 さりとてこのちっぽけな「カ」である俺が、強大な「ヒト」に一矢、しかも愛する妻と同じように「死」を与えようとは、蒲公英の綿毛で岩を貫くかのような至難事、いや不可能事でしかない。
 だが、愛する者を奪われた怒りが、それでも何とかしてこの大志を成し遂げたいと俺を突き動かした。

 やがて一つの考えが浮かんだ。それは「ウィルス」。できるだけ致死性の高いウィルスを、かの「ヒト」に注入してやるのだ。即効性のある方法ではないが、俺たち「カ」の特性を活かした、いや「カ」にしかできないやり方だ。
 俺に残された時間は短い。その短い時間を一瞬たりともムダにすることなく、今この身に携えて来たのは、この国でははるか昔に絶滅したとされている病原菌。愛する俺の妻を叩き殺した、憎き「ヒト」にこの菌を注ぎ込むのだ。その体にこの針を刺し込むことができれば、潰されても構わぬ。我が一生に悔いはない。喜んで妻のいる天に召されよう・・・。

 だが俺はしくじった。
 標的に向かって一目散に進んでいたところで、気づかぬうちに狭い空間に閉じこめられてしまったのだ。その中をいくら飛び回っても、俺のこのちっぽけな身体さえ通り抜ける隙間はなかった。しかし、「しくじった」というのはこの程度のことではない。一夜明け、志半ばで倒れてしまうのかと己のふがいなさを悔やんでいるとき、助けられたのだ、「ヒト」に。
 よりにもよって我が愛する妻を叩き殺した、憎き張本人に。

 意識朦朧となっていた俺は、夜が明けてまもなく、奴に見つかった。今こそ志を遂げる時と言わんばかりの至近距離でありながら、俺は奴を睨み付けたまま動けなかった。何とか全身の力を振り絞って飛び上がってはみたものの、バランスを崩してまた元の場所に落ちてしまった。奴は、そんな俺をしばらく見下ろしていたが、やがてその巨大な右手で俺の身体をつまむと、俺を下界から隔てていた扉を開け、そっと、外に出してくれたのだ。

 その時は何も考えられなかった。とにかく最大のピンチを切り抜けたのだ。
 俺に残された時間は少ない。英気を養い、再び敵に挑むのだと、そんな思いしかなかった。

 ところが、やがて気力を取り戻した俺は、思い悩むようになってしまった。命を奪うべき敵に、我が命を救われてしまった・・・。
 奴が俺の妻を殺したのは間違いない。その罪は、死をもって償わせたい。しかし、俺自身は奴に命を救われた。この恩も返さねばならない。
 俺はどうすればいいのか!

 だが、思い悩む時間も残されていなかった。
 復讐のために我が身に携えてきた病原菌は、この身をも蝕む能力を持っていたらしい。
 もはや飛ぶことさえできなくなった俺は、薄れゆく意識の中、今まで知ることのなかった大地の温かさだけを感じていた・・・。
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