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「はじめまして、水森です」
旧姓を名乗る意味は特になかった。けれど夫の姓は出したくない。なんとなく。
「どうもどうも松本くんの彼女さん。よく来てくれたねぇ、沢山食べていってよ」
真っ黒に日焼けした社長は相好を崩して白い歯を見せた。若々しくてとても50代には見えない。
埼玉県の新興住宅地に建てられた一軒家の庭、天然芝が張り巡らされていて、テニスコートくらいの広さがある。
中堅の広告代理店社長。その稼ぎがいかほどかは想像出来ないが、埼玉県に豪邸を建てるほどには稼いでいるようだ。
「悪いな優香」
「ううん、全然」
社長の趣味で年に数回、自宅の庭で開かれるバーベキュー。社員は自分の奥さんや彼女を連れてくるのが通例で、ゆうくんもまた社長に詰められて私を誘ったらしい。
「結城さんの彼女さん?」
「あ、はい」
女子社員もいたが連れを帯同させている人間はいない。このご時世、そんな事を女子社員に強要したらどうなるか分かっているくらいの常識はあるようだ。
「ビールでいいかな?」
「ありがとうございます」
クーラーボックスから冷えた缶ビールを取り出して私に手渡した女性社員。若い、そして可愛い。
そう意識して周りを見渡すと若い女性が多い。男性社員の年代はバラバラなのに女性は全員、私よりも年下に見えた。
「松本ー! 彼女紹介しろよー」
すでに酔っ払っているのか、顔を真っ赤にした体格の良い男がゆうくんの肩に手を回してきた。
「潮田さん、もう酔ってます?」
「ばっか、シラフだよ。こんにちは潮田です。松本の上司でーす」
「あ、そうなんですね。お世話になります」
私はぺこぺこと頭を下げた。意味もなく。
「同級生なんだって?」
「あ、はい」
「結婚しないの?」
「あ、いずれは……」
ゆうくんの上司、潮田さんは辺りをキョロキョロと見渡してから小声で言った。
「こいつさぁ、女子社員から人気あるから気をつけなよ。寝取られたりしないように」
「ちょ、潮田さん!」
ゆうくんが慌てて否定すると彼はワッハッハと豪快に笑って離れていった。
アットホームな雰囲気の会社、私服のせいか大学のサークルみたいだ。社員同士で恋が生まれてもなんら不思議はない。
しかし、周りを見渡してもゆうくんより良い男は皆無だった。改めて思い知る。松本結城はかなりの優良物件だと。
急に女子社員の視線が苦痛になってきた。みんな私を品定めするように次々に話しかけてくる。
そのほとんどが安堵の表情を浮かべているように私は感じた。私はもよおしたフリをして自宅内にあるトイレを借りた。
鏡に映る自分の顔を見て後悔した、もう少しキチンと化粧してくれば。こんな野暮ったい服装で来なければ。
トイレから出るとキッチンから話し声が聞こえる。換気扇の下でタバコを吸う女性が二人。ヒラヒラした可愛い服装。
「なにあれ? ふつー」
「ね、話になんないっしょ」
「気もきかねえし、働けよブスって感じ」
言ってない、私のことだなんて一言も言ってない。でも顔から火が出るほど恥ずかしかった。
誘われたからお客さんだと思って何もしなかった。他の女の人たちは動き回ってたのに。でもそれは社員かと思ったから。初めてで分からなかったから。
だからテメーは派遣なんだよ一一。
夫の言葉が頭の中を反響する。
私はダメな女だと思い知る。今更。
旧姓を名乗る意味は特になかった。けれど夫の姓は出したくない。なんとなく。
「どうもどうも松本くんの彼女さん。よく来てくれたねぇ、沢山食べていってよ」
真っ黒に日焼けした社長は相好を崩して白い歯を見せた。若々しくてとても50代には見えない。
埼玉県の新興住宅地に建てられた一軒家の庭、天然芝が張り巡らされていて、テニスコートくらいの広さがある。
中堅の広告代理店社長。その稼ぎがいかほどかは想像出来ないが、埼玉県に豪邸を建てるほどには稼いでいるようだ。
「悪いな優香」
「ううん、全然」
社長の趣味で年に数回、自宅の庭で開かれるバーベキュー。社員は自分の奥さんや彼女を連れてくるのが通例で、ゆうくんもまた社長に詰められて私を誘ったらしい。
「結城さんの彼女さん?」
「あ、はい」
女子社員もいたが連れを帯同させている人間はいない。このご時世、そんな事を女子社員に強要したらどうなるか分かっているくらいの常識はあるようだ。
「ビールでいいかな?」
「ありがとうございます」
クーラーボックスから冷えた缶ビールを取り出して私に手渡した女性社員。若い、そして可愛い。
そう意識して周りを見渡すと若い女性が多い。男性社員の年代はバラバラなのに女性は全員、私よりも年下に見えた。
「松本ー! 彼女紹介しろよー」
すでに酔っ払っているのか、顔を真っ赤にした体格の良い男がゆうくんの肩に手を回してきた。
「潮田さん、もう酔ってます?」
「ばっか、シラフだよ。こんにちは潮田です。松本の上司でーす」
「あ、そうなんですね。お世話になります」
私はぺこぺこと頭を下げた。意味もなく。
「同級生なんだって?」
「あ、はい」
「結婚しないの?」
「あ、いずれは……」
ゆうくんの上司、潮田さんは辺りをキョロキョロと見渡してから小声で言った。
「こいつさぁ、女子社員から人気あるから気をつけなよ。寝取られたりしないように」
「ちょ、潮田さん!」
ゆうくんが慌てて否定すると彼はワッハッハと豪快に笑って離れていった。
アットホームな雰囲気の会社、私服のせいか大学のサークルみたいだ。社員同士で恋が生まれてもなんら不思議はない。
しかし、周りを見渡してもゆうくんより良い男は皆無だった。改めて思い知る。松本結城はかなりの優良物件だと。
急に女子社員の視線が苦痛になってきた。みんな私を品定めするように次々に話しかけてくる。
そのほとんどが安堵の表情を浮かべているように私は感じた。私はもよおしたフリをして自宅内にあるトイレを借りた。
鏡に映る自分の顔を見て後悔した、もう少しキチンと化粧してくれば。こんな野暮ったい服装で来なければ。
トイレから出るとキッチンから話し声が聞こえる。換気扇の下でタバコを吸う女性が二人。ヒラヒラした可愛い服装。
「なにあれ? ふつー」
「ね、話になんないっしょ」
「気もきかねえし、働けよブスって感じ」
言ってない、私のことだなんて一言も言ってない。でも顔から火が出るほど恥ずかしかった。
誘われたからお客さんだと思って何もしなかった。他の女の人たちは動き回ってたのに。でもそれは社員かと思ったから。初めてで分からなかったから。
だからテメーは派遣なんだよ一一。
夫の言葉が頭の中を反響する。
私はダメな女だと思い知る。今更。
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