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のぞみのぞまれ白い結婚?

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 目覚めたリネットはメイドたちに手伝って貰って、ようやくウエディングドレスから着替えることができた。そして食堂に通されたリネットの前には、アスランがいる。

「母の若い時のモノがあったので選ばせて貰ったが……それで良かったかな?」
「はい、着替えまで用意して頂いて。ありがとうございます」

 食堂で長いテーブルを挟んで向かい合うアスランとリネット。テーブルの上には彩り豊かなご馳走が並んでいた。

「いやいや。元はと言えば甥っ子のせいだから……」
「はぁ……」

(そうです、とも言いにくいわ……今日、初めて会った方ですし。そもそも王弟殿下ですもの。……えっ? と、いう事は、いま私の着ているドレスは前王妃さまの?)

 リネットが今着てるのは、オールドローズカラーのドレスだ。くすんだ赤の生地をたっぷりと使い、淡いパウダーピンクのレースがあしらわれている。デザインも可愛いし、サイズ的にもゆとりがあってゆったりと着られ、緊張を強いられて疲れていたリネットにはありがたかった。

(でも、前王妃さまのモノとなると話が違うわ)

「ん、母は前王妃ではあるが。気にしないでくれたまえ」
「……はい……」

(アスランさまは私の心が読めるのかしら?)

 などと考えながら、リネットは目の前に並ぶ料理を見る。突然の訪問だったのにも関わらず、アスランの屋敷では女性好みの美味しそうな夕食を用意してくれていた。

「朝から何も食べていなかったのだろう?」
「ありがとうございます」

 料理の美味しそうな香りに、リネットの胃袋は再びグーと音を立てた。

「ふふ。足りなければ、持ってこさせるから。遠慮なく食べてくれ」
「……はい」

 リネットは遠慮がちに食べ始めた。

「若い女性が屋敷にやって来ることなど無かったからね。料理長が張り切っていたよ」
「そうなのですね」

(アスランさまは、若々しくてお美しいのに。やはり、呪いの噂があるせいで……)

「貴女のお家には、昼間のうちに手紙を出しておいたから」
「え?」
「こんな形での結婚を、公爵殿は承知しておられたわけではないだろう?」
「父、ですか?」

(そう言われてみれば、そうですわね。あまりに忙しくて忘れていましたわ)

「返事も昼の内に返ってきた。結論から言えば。貴女には、しばらくこちらに滞在して頂くことになったよ」
「そう……ですか」

 厳しい王妃教育に眉一つ動かさずに送り出していた父が、婚約破棄をすんなりと受け入れるとは思っていなかったのでリネットは驚いた。

(お父さまも婚約の解消には賛成なさっている、ということだわ。納得できない部分はありますが……)

 リネットは首を傾げた。父の思惑が分からない。

「婚約についてのゴタゴタは、アチラで処理してくださるそうだ。その間、私が貴女を預かることになったよ。私としては、このまま結婚でも構わないのだが……」
「えっ?」

 にっこりと笑みを浮かべてこちらを見るアスランに、リネットの頬は一気に赤く染まる。

(これはアレの展開ですわね。白い結婚。そうよ、そうだわ、そうに違いない)

 動揺したリネットは大きめに切ったチキンを口に詰め込んでしまい、むせそうになったが根性で飲み込んだ。

(お父さまは、この結婚に賛成ですのね? 意外ですわ。でも冷静に考えてみれば、王弟殿下との結婚も公爵家のメリットにはなるわよね)

「そうそう。貴女の侍女も、コチラに来るそうだ。身の回りの品なども、その時に持ってきてくれるそうだから安心して」
「はい。わかりました」
「侍女は、明日には来るそうだから。不便をかけるのは今夜くらいだと思うよ」
「そう……ですか。一晩くらいでしたら大丈夫ですわ」
「それは良かった」

 アスランはニコッと笑顔を浮かべた。どことなく無邪気で幼さの残る表情に、リネットの心臓はドキリと跳ね上がる。

(あぁ、いけませんわ。いくらアスランさまが魅力的でも、好きになってはダメ。……あぁ、でも……なんて素敵なのアスランさま……いいえダメよ。いけないわ、リネット。後から辛くなるのは貴女よ……)

 リネットはアスランから気を逸らすために、目前の食事と、これから何をして稼げばよいのかについて考えることに意識を向けた。

◆◇◆

 翌日。朝を待っていたかのように早い時間に、リネット付きの侍女はやってきた。

「お嬢さまぁ~、大丈夫でしたか?」
「大丈夫よ、アンナ」

 久しぶり、といっても一日会わなかっただけなのにアンナは茶色の瞳を潤ませてリネットを見上げてくる。

「ケンドリックさまがいくら王太子であるとしても、今回の仕打ちはひどいです。お嬢さま。このアンナ、何があってもっ! お嬢さまの味方ですからねっ!」
「ふふ。分かっているわ」

 赤毛で小柄な侍女は、リネットよりも年下だというのに。何かにつけてリネットを守ろうとする。

(そういうところが可愛いけれど。暴走しないか、ちょっと心配)

 紺地の地味なドレスを着た侍女の肩を両手でトントンと軽く叩く。

「大丈夫よ。私が自分で何とかしますからね。アナタは肩の力を抜いて、安心して私の側にいてね?」
「はい、お嬢さま」

 と、いったそばから問題が降って来るとは、誰が予測できようか。少なくとも、リネットは考えてもいなかった。アンナが慣れた手つきで身支度を整えてくれた後に向かった昼食の席で、アスランはこともなげに爆弾発言を投げ込んできたのである。

「料理長のお勧めはキッシュだそうだよ。あと、正式に婚姻が整ったから」
「えっ?」
「お勧めはキッシュだよ」
「確かにキッシュは美味しそうですけど……そっちではありません。婚姻のほうです」
「あっ、そっち? ん、私たちは正式に婚姻することになりました」
「な、なぜ?」
「甥っ子が面倒なんで結婚しちゃえば? って貴女の父上がおっしゃってね」
「でも、私の父と直接は会ったことすらありませんよね?」
「んっ。確かに。でも貴族同士の結婚が手紙のやり取りだけで決まるのなんて、普通でしょ?」
「ですが……」
「まだアチラはゴタゴタしているみたいだけど。私は、この結婚をもって臣籍降下する。爵位を賜り、カルデリーニ公爵となるのだ。王族ではなくなるけど、まぁ、困りはしない。後のことは貴女の父上が引き受けてくださるそうだから任せたよ。頼りになる父上だね」
「そんな、婚姻だなんて……」
「書類は届いているから、後でサインしてね。あ、ホントだ。キッシュ美味しいよ」
「……」

 リネットは怒涛の展開について行けない、と、思いつつキッシュを口に運んだ。

 昼食後は執務室に移動し、婚姻に伴い必要になる書類へ目を通す。

「頼りになる父上だね。あ、ココにサインして……ココにも頼むよ」
「あ……はい」

 ニコニコしているアスランに言われるがままサインしていくリネット。最後の書類にサインを入れると、アスランは満足そうにうなずいた。書類を束ねてトンと端を揃えると、リネットに向き直り会心の笑みを浮かべて言う。

「これで私たちは正式な夫婦だね」
「はぁ……」
「ん、アルフレッド。これをセナケリア公爵殿にお届けして」
「はい、承知いたしました」
「あ、少しでも早くね」
「分かっております、旦那さま」

 アルフレッドの背中をニコニコしながら見送ったアスランは、リネットを見る。執務机の前、左横に座っているリネットは、どこか茫然自失といった様子だ。その横顔を、アスランは楽しげに見つめた。

(夫婦になってしまえばコッチのもの。時間をかけて口説き落としてみせる)

 モテ男、アスランの固い決意とは裏腹に、我に返ったリネットは言う。

「白い結婚ですね。承知しました」
「いや……あの……愛のある生活がしたいんだけれども……」
「白い結婚ですもの。愛など望みませんわ。ですが私、タダ飯喰らいは性に合いませんの。そこで、商売を始めることにしましたわ」
「……は?」

 今度はアスランがポカンとする番だった。リネットは自分を取り戻したように、立て板に水と話し続ける。

「私は王太子殿下の婚約者として、日々精進して参りました。とはいえ、王妃にならないと決まった以上、王妃教育により得た知識などたいして役には立ちません。けれど。だからといって、怠惰に日々を過ごすわけには参りませんわ。今の私は公爵夫人。しかも白い結婚でございます。ぼんやりと日々を過ごしている場合ではありませんわ。私、何かすべきですわよね? ええ、すべきですわ」
「えっ?……え? 白い結婚⁈ なぜ、白い結婚⁈ いや、それに商売とか。そんな必要は……」
「ございます。ございますわよ、アスランさま。王妃になる予定だったものが、公爵夫人になったのですもの。しかも白い結婚。我が家の方が身分も下ですし。おそらく、経済的にも下ですわ。愛すらないのですから、お仕事のひとつもしないでどうします?」
「いやいや。そんなことはないから……」

 アタフタとするアスランは焦りのあまり上手な言葉が浮かばない。片や言いたい事を吐き出したリネットは、スッキリした顔をして続ける。

「私はご存じの通り、王妃となるべく教育を賜りました。普通の貴族女性とは受けた教育が異なりますので、持っている知識は偏っております。けれど。足りない分はこれから補うとして、王妃教育で得た知識も活用できると思いますの。それに、王妃になれなかった身ですけれど……国益となることは少しでも多くやったほうが良いと思っておりますの、私」
「いやいや。必要ないから……」

 アスランの言葉など耳に入っていない様子のリネットは断言する。

「そこで私は商会を立ち上げて商売をすることにしますわ。自分の食い扶持くらいは自分で稼ぎます。アスランさまのお手間はなるべく取らせないようにさせていただきますわ。よろしいですわよね?」

 有無を言わせぬ迫力に、アスランは頷くしかなかった。

 こうしてカルデリーニ公爵夫人となったリネットは、アスランの反応はガン無視して自分が決めた通りに商会を立ち上げることになったのである。

「私、こうしてはいられませんわ。商売を始めるなら、どのようなモノを扱うのか決めなくては。いえ、他のことも諸々決めていかなければいけませんわ。お部屋に下がらせていただきますね」
「えっ? ちょっと? リネットさま?」
「あ、名前は呼び捨てで構いませんわ。私のことは『リネット』と、お呼び下さい。私は『アスランさま』もしくは『旦那さま』と呼ばせていただきますわ」
「えっ? えっ?」
「では、これにて失礼いたします」

 リネットはバンと音がせんばかりに勢いよく立ち上がると、執務室の入り口で美しいカーテシーを決め、クルリと踵を返して部屋から出て行った。優雅さと迫力を秘めた美しい身のこなしに感嘆の唸りを上げながら、アスランはつぶやく。

「どうしてこうなった?」

(止める隙もないほど完璧に自分の世界に入ってたよね? あの子)

 ポカンとした表情のまま椅子に座っているアスラン。その横に立っていたアルフレッドはクックッと肩を揺らしながら笑っている。

「面白いお嬢さまですね。……いえ、もう奥さまですね。面白い奥さまにお仕えできて、私は楽しゅうございます」
「アルフレッドぉ~」

 アスランは初めて知るタイプの女性であるリネットに振り回され気味である。
(私の知ってるタイプのご令嬢じゃない……アレは、どう口説き落としたらいいわけ?)

 そんなアスランを見て、執事アルフレッドはホッホッホッと楽しげに笑う。
(面白いことになりそうですね。奥さま、旦那さま、ファイトです)
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