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第12話 幸福な死(To Die a Happy Death)
しおりを挟むベッドの上に横たわった老人の耳元に向けて、私はそっと囁くように言葉を紡ぎあげていく。
「……あなたは幸せだ。悔いが全くないわけではないにせよ、生まれてから今日までとても幸福で満ち足りた人生を過ごすことが出来たのだから」
私の言葉に老人はその顔にうっすらと笑みを浮かべると、満足げな表情で人生最期の息を吐いた。
「ありがとうございました、先生」
老人の臨終を確認すると、ベッドの脇に立っていた中年の男女三人が私に向けて深々と頭を下げてくる。
「父は幼い頃に両親を失い、親戚中をたらい回しにされながら少年時代を送ってきました。厄介者扱いを受け、いじめや虐待を受けることも少なくなかったそうです」
「ほとんど学校にも通わせてもらえなかったためなかなか就職することも出来ず、ようやく入れた会社は悪名高きブラック企業。安い給料で朝から晩までほとんど休みなく働かされ続け、その疲労が原因で事故に遭い片腕切断の重傷を負ったのに。会社はなにもしてくれなかったばかりか、働けない人間など要らないとばかりに退職金すらなく馘首にされてしまい……」
「それでも母や、わたしたち三人の子供を養うため日雇いの仕事を転々としながら何十年も働きに働き続け、ようやく一息ついたと思ったら死病に侵されて余命一か月の宣告を受けてしまいました。楽しいことなどほとんどない、辛いことばかりの人生だったのでしょう。一体自分はなんのために生まれてきたのかと、口には出さないまでも悔しい思いでいっぱいだったと思います」
ハンカチでそっと目元を押さえながら、三兄妹は父親の思いを代弁するかのごとく次々と言葉を綴っていった。
「だけど先生のお陰で最後の最後には幸せな思いで天国に向かえたと思います。本当に、先生には感謝の言葉も思いつきません。なんとお礼を言ったらいいのか……」
「そのお気持ちだけで充分。感謝の言葉など不要ですよ。何故ならそれこそが私の仕事であり、神から与えられた使命なのですから」
老人の息子や娘たちの言葉を途中で遮り、私は微笑みと共に静かにそう語ったが。彼らはそれでも感謝の気持ちを抑えきれないと言うかのように、何度も何度も頭を下げ続けたのだった。
私は終末医療に携わる臨床実験医だ。平たく言うなら、近い将来の死を免れ得ない患者に心の安らぎと安寧を与え、幸せな気持ちであの世に旅立ってもらう手伝いをする仕事である。
具体的には、まず強力な鎮静剤を与えて患者の身体の痛みや苦しみを取り除き。次に催眠術を使って不幸だった人生の記憶を全て忘れさせ、代わりに幸せな人生の記憶をその脳内に深く埋めこむことで『自分は幸福だった』と思わせながら、安らかな気持ちでその人生の幕を閉じてもらうのである。
どのような『幸せな人生の記憶』を埋めこむかは人それぞれだ。
たとえば貧乏で苦しんでいた人には、裕福な家庭に生まれて一生お金で苦しむことはなかったという記憶を。病魔に悩まされ続けた人には健康な肉体を持って生まれスポーツマンとして名をなしたという記憶を。家族も恋人も友人もなく独りぼっちの寂しい人生を送ってきた人には多くの人に好かれ愛され、沢山の子や孫やひ孫たちに惜しまれながらその人生を終えるという記憶を与えるのである。
また、特に不幸な人生を送ったわけではないものの、これといって特筆する出来事もなく平凡で面白みもないまるで生きがいの感じられない人生しか送れなかったという人もたまにやって来るが。そういった人たちには、この私の人生をモデルにした記憶を埋めこむことにしている。
私は裕福な家庭に生まれ両親や家族から充分すぎるほどの愛を与えられながら育ってきた。頭もよく運動神経も人並み以上のものを持って生まれてきたし、また背も高く容姿もそこそこ以上だったので女の子にはもて、そのお陰で美人で気立ての優しい働き者の女性と出会い、ドラマか映画を思わせる激しい恋の末に結婚することも出来た。
その上仕事は、報われない人生を送ってきた挙げ句に絶望の中でその生を終えるしかなかった人たちの心を癒すことで安らかな死を与え、しかも遺族には感謝されるという高尚かつ非常にやりがいのあるもの。
はばかりながらそんな勝ち組である私の人生の記憶を追体験出来るのであれば、平凡でつまらない人生しか送ることが出来なかったと嘆く負け組の人たちも満足しながら生を終えることがかなうのではないだろうかと思ってのことだ。
もちろんしょせんはニセモノの記憶であり人生である。どんな幸せで満ち足りた記憶を埋めこんだとしても、彼または彼女が送ってきた不幸な人生の道のりがほんの少しでも変わるわけではない。
だがそれがどうした? 本物の辛い記憶を背負いながら黄泉への道へ旅立つのと、たとえ嘘でも自分は幸せだったのだという思いと共に満足して彼岸の地に逝くのとどちらがいいと思う? 言うまでもない。本人はもちろん、その家族や友人にとっても後者のほうが百倍も万倍も幸せであるに決まっている。
なので私は、この仕事に誇りを持っている。いや、これはもはや仕事などではない。神によって与えられた、私にしか遂行することの出来ない使命であると言うべきであろう。したがってこの生ある限り、私は永遠にこの使命を果たし続けるに違いない。そんな予感があった。
その予感の通り、私はそれから三十年四十年と終末医療に携わり続け、本来であれば苦しみと悔恨の中で死んでいくしかなかった人たちに安らぎの中での死を与え続けてきた。とは言え、残念ながら私も人間。不死というわけではなく。いずれその生を終える時が来るのを避けることは出来ない。
そして、百歳の誕生日を目前に控えたある日。ついに私も死の床につくこととなった。
だが、恐怖はない。私は自分の人生を精一杯生き、神から与えられた使命を果たすことによって多くの人たちを救い続けてきたのだから。充実した人生を送ってきた人間にとって死はリタイアではない。栄光のゴールなのだから、恐怖などあるはずがないのである。
もちろん、この世にはまだまだ私の救いを必要とする人たちが大勢いるに違いない。そんな人たちをもう救うことは出来ないのだと思うと悲しいし残念だが、これは仕方がないだろう。私もしょせんは人間。出来ることには限りがあるのだから。
「……あなたは幸せだ。悔いが全くないわけではないにせよ、生まれてから今日までとても幸福で満ち足りた人生を過ごすことが出来たのだから」
ベッドの上で横たわる私の耳元で、誰かがそっと囁くように言葉を紡ぎあげてきたような気がする。きっと神様の声だろう。恵まれない人たちを救うためにその一生を捧げ続けてきた私に向けて、最後の最期に神様がねぎらいの言葉を贈ってくださったのだ。
そのように確信すると私はうっすらと笑みを浮かべ、満足した表情で人生最期の息を吐いた。
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