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第13話 月へ……(Fly Me To The Moon)
しおりを挟む空は見渡す限り青一色に染まっており、どこまで行っても雲一つない文字通りの快晴だった。
風もまたそよりとも吹いておらず、暑すぎも寒すぎもしない。まさに、これ以上はないというほど絶好の気象条件である。今日ロケットを打ち上げないのであれば一体いつ打ち上げるのかと、ビールがいっぱいに注がれたジョッキをテーブルに叩きつけながら主張したくなるほどに。
そう。今日は我が国がアポロ計画以来、初めて人類を月に送りこむという、全世界全人類にとって記念すべき日となる予定なのだ。もっとも本来であればその記念日はカレンダーを六枚ほど前にめくった日となっていたはずなのだが気象条件のため二回、計器の異常が発見されたため一回と、合計三回もの延期を余儀なくされたため、今日へとずれこんでしまったのである。
しかし、延期した甲斐もあったというものだろう。
ただでさえ我が国のロケット製造技術は世界随一だし。この日のため十年以上にもわたって厳しい訓練を続けてきた乗組員たちはみな、宇宙飛行士としてはあらゆる点で我が国のみならず世界で最高水準の実力を有している。
唯一の不安要素が天候だったのだけれど、それもこれだけの好天候となれば文句の言いようもない。打ち上げが失敗する要因を探すほうが難しいというものだ。
そう確信しているのは僕だけではない。国内のみならず海外からもわんさと集まってきたマスコミ陣や、歴史的瞬間を目撃するためにやって来た野次馬……もとい、観衆たち。視察に訪れた政治家や官僚らもみな、今日の打ち上げ大成功を信じて疑っていないかのような満面の笑みを浮かべている。
とは言え。航空宇宙局の職員であり、宇宙飛行士たちを地上からフォローするという重要な役割をおおせつかった僕たちオペレーターは、そう呑気にしてはいられない。
いまさら言うまでもないことだが、宇宙というのは地球人類の常識が通用しない場所である。トラブルとアクシデントがくす玉の中の紙吹雪よりも濃い密度で詰まっており、ちょっとした油断や失敗が容赦なくあっさりと人の生命を奪っていく。
万全の準備と入念な用意を重ねがけし、百万に一つの瑕疵もないと自信を持っていても、一千万に一つのほんの小さなミスによって全てが瓦解してしまう。そんなミもフタもない厳しい世界なのだから。
だが慢心するわけではないが、今回はさすがに大丈夫だろう。宇宙飛行士たちは今日という日に備えて体調を万全に整えていたし、天気も上々。計器パネルに目をやってみれば、機体の状態を示すランプはオールグリーンで全てが順調、万事が好調。
もし宇宙に神様がいるのであれば、その神様が僕たち地球人類に向けてニッコリと満面の笑顔を浮かべてくれているのだとしか思えないほどだった。無論、好事魔多しという言葉もあるので、最後の最後まで油断は禁物だが。
そうこうしているうちに、打ち上げ予定時間まで残り五分を切った。いよいよ世紀の瞬間が目の前に迫ってきたのである。間違いなく世界史の一ページに記載されるであろう偉業にオペレーターとして立ち会えるのだという期待と興奮に、普段どちらかと言えばドライなほうである僕もさすがに心臓の鼓動が早くなるのを覚えずにはいられない。
しかし……。
(? うん?)
それは一瞬。一秒にも満たないわずかな時間のことだった。それまで緑色のランプでいっぱいに占められていた僕の視界の一部に、一つだけ赤い光が点されたのだ。
え!? と思った瞬間には赤ランプは緑に変わっていたので、沢山あるランプのうちどれが赤く光っていたのかは分からない。しかしほんの一瞬のこととは言え、ランプのどれかが異常を示す赤にと確かに変わったのである。
そうなればオペレーターである僕は当然、その事実を上司に報告しなければならない。異常が発見されたならばそれがたとえほんの小さなものであっても、迅速に報告するのが僕たちオペレーターの義務だからだ。宇宙局のお偉がたからも、そのことは耳にタコが出来るほど言い聞かされている。
しかし。しかし、だ。
世の中には本音と建前というやつがある。偉い人がもっともらしい口調で言ったことが、本心からの言葉とは限らない。そこを勘違いし、上司の建前の言葉を本音だとバカ正直に信じてその通りにしていたら、空気の読めない奴と馬鹿にされ蔑まれ疎まれて、出世コースから外されてしまうということも決して珍しくないわけで。
何故そんなことを思うのかというと、実は僕には前科があるからだ。
先程、宇宙船の打ち上げは三回延期され、うち一回は計器の異常が発見されたためと言ったが。もう少し詳しく説明するなら、コンピューターによる微細部品の点検時に、機体を安定させるための装置にごくごく小さな不具合が発生したことが判明したのである。
その不具合とは本当に小さなもので。もしこの部品が搭載されているのが地上の製品であったなら『まあいいや』の一言で異常を無視したとしても、なんの問題もないものであった。いや、尋常でない精密さを要求される宇宙船の部品としても、この程度であれば大した問題はないと判断されてもおかしくないほどの、本当に小さな小さな小さな異常だったのだ。
実は不具合を発見したのは誰ならぬ、この僕だったのである。もちろん僕はマニュアルや上司からの指示に従って律義にその事実を報告した。それによりその日のロケットの打ち上げは中止となり、不具合の原因が特定され改善されるまで、打ち上げは延期ということに相成ったのだけど。
その後、その小さな異常を発見して報告した僕が褒められたかというと、残念ながらそうはならなかった。むしろすごく怒られたのである。
ロケットの打ち上げ延期となれば、次の打ち上げまで機体を万全の状態に保っておかなければならないし、飛行士たちの体調管理もその日に合わせて再調整しなければならない。さらに再点検のための作業には時間もお金も手間もかかってしまう。
そのためにかかる費用は軽く億を越える。また、この日のためにわざわざ足を運んできたマスコミや観客たちを失望させる事態となり、彼らがテレビや新聞雑誌やSNSなどでそのことに不満を漏らせば、批判の矢面にさらされるのは当然宇宙局となるためである。
だからまあ、ぶっちゃけた話。本当に重大な異常ならともかく、ほんの些細な異常ならば上層部の意思を忖度し、見て見ぬふりをするというのが宇宙局の暗黙の了解だったりする。
空気が読めなかった僕はそんな常識も知らず正直に報告などをしてしまったため、上層部からひどく睨まれたというわけである。同じことを二度も繰り返したとなれば、今度は睨まれるくらいでは済まないだろう。
いくら僕が空気の読めない愚か者でも、さすがにそれくらいのことは分かる。ここは赤ランプが一瞬点ったかもしれないなどといった不確かなことからは断固目を背けて、おとなしく口を閉じておくのが賢明というものだろう。
とは言え、本当にそれでいいのか? 人が乗っていない、人工衛星などを積んだだけの貨物用ロケットならともかく(それでももちろん打ち上げ延期となれば、相当の金額が飛んでいくことになるが……ロケットだけに)、今回の打ち上げは有人ロケット。つまり、人が乗っているのだ。
もし本当に計器に異常があり、それを僕が報告せずに打ち上げを行なった結果事故が起こったなら、彼らはまず間違いなく生命を落とすことになる。
さらに事故後の調査で計器に異常があったことが発見され、しかもそれを見つけていながら報告していなかったオペレーターがいたとなったら、そのオペレーターの立場は一体どういったものになるだろうか? あまり……と言うか、ものすごく想像したくない事態に陥ることは確かだろう。首を賭けてもいい。
ではやはり報告すべきか。だが先程も言ったように、前回に続いて二度も続けて僕の報告のせいで打ち上げ延期になったとなれば、それはそれで僕の立場はかなり悪いことになる。しかも今回は国内外のマスコミ観衆に加えて、政治家や高級官僚たちも多勢来ているのだ。ここで打ち上げ中止というのは、すこぶるまずい。
さらに、打ち上げ延期が決まった後の調査で結局なんの異常も発見されなかったとなれば最悪だ。こうなったらもう僕一人の問題ではなく、宇宙局全体が責任を問われることとなる。国際社会からは嘲笑を浴び、国民からは怒りの声がぶつけられ、議会では叩かれて。最悪、月面に宇宙飛行士を送るという世紀の大プロジェクトが無期限延期という羽目にもなりかねないわけで。
「打ち上げ、一分前です」
僕がそんなことを思っているうちに、別の女性オペレーターが嬉々としてそのような声をあげた。僕は頭を抱えたくなった。誰か教えて欲しい。僕はどうすればいい?
計器の異常を示すランプが一瞬とは言え赤く光ったことを報告すべきか? それとも、しないほうがいいだろうか?
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