リドル・ストーリーズ!~riddle stories~

魔法組

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第22話 あなたは誰?(Who are You?)

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 大学を卒業して運よく念願の大手出版社に就職することがかない、ジャーナリストになるという夢に向かって大きな一歩を踏み出すこととなった俺は、会社の先輩から研修も兼ねているというある課題を出された。

 その課題とは知らない街を訪れて知らない人に声をかけて、その人の生い立ちか人生観、あるいは信念や信条、はたまたこれまでの人生で最も楽しかったことや嬉しかったこと、悲しかったこと腹が立ったことなどなど、なんでもいいから話を聞いてきて、それをレポートにまとめて提出すること。それを最低でも百人分やれと言うのだ。

 ジャーナリストなどというのはえんもゆかりもない赤の他人の所に図々しく押しかけ、相手がしゃべりたいことだろうが喋りたくないことだろうが関係なく、こちらが聞きたい話だけを引き出すのが商売みたいなものである。

 その練習のため見知らぬ他人に声をかけ、とにかくなんでもいいから話を聞いてこいというのはまあ、理にかなっていないこともないのだろうけれど。それが百人というのはさすがにきつい……と言うか面倒くさい。

 もちろん俺だって、入社してすぐに総理大臣への取材とかノーベル賞受賞者へのインタビューとか、オリンピックの金メダリストに密着取材などという大仕事が任されるとは思っていなかったけれど。それにしても初仕事が名もない市井しせいの人々からその生い立ちやら信念やらといった、他人からすれば思いっきりどうでもいいような話を聞き出してレポートにまとめることというのは、さすがにちょっとへこむ。しかもそれを百件もなんて……。

 とは言え社会人ピッカピカ、友達百人出来るかなの一年生である俺に、会社の上司でもある先輩の命令に逆らう度胸などありっこない。仕方なしに表向きだけはいかにもやる気満々といったふうに、しかし本音では塩をかけられたナメクジと同じくらいげんなりしながら『分かりました。必ずやご期待に沿えるレポートを作成してごらんに入れます』などとありもしない意気ごみを伝え、こうして知らない街に出向いてきたというわけだ。

 友達ならぬ、見知らぬ百人から話を聞くために。

 あまり楽しい仕事ではないが、こうして街まで来た以上はぐずっていても仕方がない。ジャーナリストを目指しているくらいなのだから、元々他人と話をするのは嫌いではないし。ちょっと本気になって根性を出せば、百人に話を聞くくらいあっと言う間だろう。

 だけどやっぱり面倒臭いし気が乗らない。なので俺はとりあえず目についた喫茶店の扉をくぐった。ここでコーヒーでも飲んで一休みしようと思ったのだ。本気を出すのはそれからである。

「いらっしゃい」

 扉につけられた古風なカウベルの音が響くと、カウンターの奥で暇そうにスマートフォンをいじっていた三十歳くらいの男性……恐らくこの店のマスターがこちらを振り返りもせずおざなりに声をあげてくる。

 客らしき人物はいない……いや、一人いた。三つしか椅子のないカウンター席の端っこで、身なりのよいインテリ風の老紳士が飲むと言うよりたしなむと言った風情ふぜいで、優雅にコーヒーカップを傾けていたのだ。

 老紳士……と言ったが、実際にはさほど年配と言うわけではないかもしれない。よくよく見てみればせいぜい行って六十代後半といったところだろう。

 ただきれいに整えられた髪の毛は完全に白く、顔には刻みこまれた年輪のごとく多くのしわが走っており、その瞳にはいかにも人生にくたびれきった老人と言わんばかりのにごった光がともされているため、実年齢以上に年を食って見えるのだ。

 身につけている衣服は、さほど高級ではなく派手さもないが清潔で落ち着いた雰囲気で趣味のいいもの。左手に巻いている腕時計も、名前を聞けば誰でも知っているような有名ブランドの製品である。

 ただその首に、皮膚ひふのかなり深いところまで食い込んでいるんじゃないかと思えてしまうほどきつくまっているチョーカーが似合わないと言うか、なにか不自然な感じだ。

 チョーカーはまるで純金で出来ているかのように、店の照明を反射してキラキラと輝いている。一見してかなりの高級品であると分かるが、この老紳士は何故そんなものを身につけているのだろう? しかもこんな首がまらないのが不思議なくらいにきつく……。

 俄然がぜん興味がいてきた俺は他に空席がいくつもあるにも関わらず、えてカウンター席の真ん中……つまり老紳士の隣に腰掛けると、いまもスマートフォンに目と指を向けているマスターにアイスコーヒーを一つ頼み。出来るだけ親しみを感じさせるような表情を作ると、ニッコリ微笑ほほえみながらこんにちはと挨拶あいさつをした。

 どうせこれから見知らぬ百人に声をかけなければいけないのである。その第一号がこの老紳士だったとしても別に不都合はないだろう。

「……失礼ですが、どこかでお会いしましたかな?」

「いえ。初対面です」

 片方の眉毛を跳ね上げ、不審ふしんそうに尋ねてくる老紳士に対して、おれはゆっくりとかぶりを振った。

「ただ素敵なチョーカーをしていらっしゃるなと思って、思わず声をかけさせていただきました次第で」

 この老紳士が似合いもしないチョーカーなんぞを身につけているのは、恐らくそれが誰かからの贈り物だからではないか?

 それも多分、溺愛できあいしている孫娘からとかだ。そうでもなければ、こんな見ているだけで息苦しくなるようなシロモノを着けて外に出ることはないだろう。

 だとすれば、それをめられれば相手も悪い気はするまい。自然とこちらに対する警戒感がゆるみ、口も軽くなって色々な話を聞くことが出来るはず……と踏んでのことだったのだけれど。そんな俺の予想に反して彼は実に苦々しげな表情を浮かべると、右手の指先でチョーカーをピンと叩いた。あたかも、テーブルの上に落ちていた小さなゴミをはじいて捨てようとするかのごとく。

「お前さん。このチョーカーがなんなのか知っているのかね?」

「え? あ、いや。その、存じ上げませんが」

 吐き捨てるような口ぶりで言う老紳士の雰囲気に圧倒されて、俺はしどろもどろになった。まずい。これでご機嫌を取れるだろうと踏んで言ったお世辞だったが。彼の反応からするとご機嫌取りどころか、とんだ地雷を踏みつけてしまったようだ。

「ま、そうだろうな。知っていたらこいつを見て冗談でも素敵なチョーカーですね、などとは言わんだろうし」

 はあと一つ湿しめったため息をこぼすと、老紳士はやや口調をやわらげてからそんな謎言葉を放ち。それっきり俺に対する興味などまるで失ったかのように正面に向き直った。

 一方俺は、そんな老紳士の言葉と態度に逆に興味を覚えた。なんだかワケありのようである。どうやら彼はこのチョーカーをひどく嫌っているようだが、それなら何故わざわざそんなものを身に着けているのだろうか。

「……あの。よろしければ少しお話を聞かせていただけませんか? そのチョーカー、一体なんなんです?」

 注文したアイスコーヒーが無言でカウンター席の上に乗せられたタイミングで、俺は老紳士に対して恐る恐る声をかけた。

 老紳士は一瞬面倒臭そうな表情を浮かべはしたけれど。やがてひょいと肩をすくめて、手に持ったコーヒーカップを置いてから、ゆっくり俺のほうにと再び顔を向けた。

「聞きたいか? つまらん話だぞ。聞いても多分時間の無駄にしかならんと思うがな」

「構いません」

 老紳士の言葉に、俺は即座にうなずいた。たとえそれが実際につまらない話だったとしても、時間の無駄にはならない。もともと今日俺は見知らぬ百人から、面白くもないであろう話を聞く予定でこの街に来たのだから……とはさすがに声には出さず、心の中だけでつけ加える。

 そんな俺に老紳士は苦笑と微笑の中間のような曖昧あいまいな笑みを浮かべて見せる。

 ちなみに店のマスターはアイスコーヒーを出すともう俺に対する義務は全て果たしたと言わんばかりに、そっぽを向いてスマートフォンの画面にのみ目を向けている。この分では俺とこの老紳士の話など、耳には入っていても到底とうてい脳みそまでは届いてなさそうだ。

「ならいい。話してやるさ。減るもんじゃないしな」

 そのように前置きし、老紳士は軽く両目を閉じてから静かに言葉をつむいでいく。



 昔、ある夫婦の元に一人の男の子が生まれたと思ってくれ。名前はどうでもいいが、仮に太郎とでもしておくか。太郎は天才とは言わないまでも頭のいい子で。小学校中学校は地元の公立に通っていたが、高校はこの国でも最高峰さいこうほうとされる難関校に容易たやすく入学し、大学も赤門で有名なあの国立大学の入学試験をストレートで合格した。それもかなりいい成績でだ。

 卒業後はとある省庁に就職し、そこを天下あまくだってからは一流の民間企業に重役として迎えられ。さらには美人で気立てのいい奥さんをもらって長男も生まれた。まさに絵に描いたような順風満帆じゅんぷうまんぱんの人生だったと言うべきだろうな。

 だがいいことばかりは続かなかった。

 最初のつまづきの原因を作ったのは太郎と奥さんの間に生まれた男の子だった。その子の名前は次郎としよう。次郎に悪気や悪意があったわけではないが。不幸なことに次郎は父である太郎に似ず、非常に頭の悪い不出来な息子だったのさ。

 端的たんてきに言うなら馬鹿だったわけだ。それも小学校すら卒業出来ないのではないかと言われるほどにね。もちろん実際には小学校はもちろん中学も無事卒業出来たが。高校は地元民にヤンキー校と揶揄やゆされていた最底辺レベルの所になんとか入学したものの、そこですら勉強についていくことが出来ず二か月も経たないうちに自主退学することと相成あいなった。

 さらに、仕事に就くことも出来なかった。太郎は自分に使えるだけのコネを使って、なんとか次郎をどこかの企業に入れようとしたが。次郎は馬鹿なだけでなく、やる気と言うものに非常にとぼしい男だった。折り悪く、その頃世間は不景気の真っただ中だったこともあり、結局次郎は学校にも行かず就職することも出来ず、いまで言う引きこもりのニートのような生活を送り続けていたのさ。

 うん? どうした、不満そうな顔だな。……ああ。このチョーカーがなんなのかということに興味があったのに、なんで関係のないニートの話なんか聞かなければいけないのかと思ったのか。まあそうあせるな。物事には順序と言うものがあるんだから。

 それでええと、どこまで話したかな。

 そうそう。太郎の苦心の甲斐かいもなく、息子の次郎は勉強も就職活動もすることなく、日がな自宅でゴロゴロしているだけだった。それだけでも太郎にとっては激しい頭痛の種だったが、悪いことは続くもんで、今度は太郎自身に大きな問題が降りかかってきたのさ。

 それまで明晰めいせきだった彼の頭脳に、突然おとろえが見え始めてきたんだ。つい昨日起きたはずのことが思い出せなくなったり簡単な計算が出来なくなったり、何度も会ったことがあるはずの人の顔や名前を忘れたり。その他エトセトラ、エトセトラ。

 最初は単なるド忘れか疲れのせいだと思っていた太郎だったが。あまりにもそれが続くものだからさすがに不安になり、大学時代の友人が勤めている病院で検査をしてもらったのだが。そこで驚くべきことが分かった。太郎は次第に脳が萎縮いしゅくしていくという病気にかかっており、しかもそれには効果的な治療法が存在しないらしい。

 その症状は劇的に進行すると見込まれており、おそらく太郎はあと一年も経たないうちにほとんど全ての記憶や知識を失い、重度の認知症にんちしょうにかかったような状態になってしまうだろうとも言われた。

 それを聞いた太郎や彼の奥さんがどんなに絶望し恐怖したかは、わざわざ説明するまでもないだろう。

 なんとかならないかとすがる太郎に、彼の同級生である医者は一つの案を示した。病気自体を治すことは残念ながら現在の医学では不可能。だが彼の知識と記憶とがこれ以上失われないようにすることは可能かもしれない、と。

 そうして医者が見せたのが、わたしがいましているこのチョーカーさ。一見ただの趣味の悪い装飾品としか思えないシロモノだが。実はこれは首につけることで脳のシナプスと量子的な通信を行ない、衰えた脳の機能を補佐することが出来るという、いわばサブ・ブレインとでも呼ぶべき機能を持った最新鋭のデバイスなのだよ。

 パソコンと外付けHDハードディスクのようなものだと言えば分かりやすいかな? パソコンのメモリ機能が衰えてきたのでHDを接続して、これまでパソコン本体が行なってきた仕事の大部分をそちらに代行させるといった感じか。

 つまりこれをつければ脳が本来やるべき仕事……物事を記憶したり考えたり生命活動を維持いじしたりといった作業の大部分を代わりに行なってくれるようになるらしい。そのため脳が萎縮して役に立たなくなっても、デバイスが脳の代わりに思考活動やらなんやらをしてくれるから、日常生活にはなんの支障もないというわけだ。すごいだろう?

 こいつはとある大企業が認知症治療のために極秘に開発していた試作品で。実用化のための臨床りんしょう試験を行なう被験者ひけんしゃ探しをその医者に依頼していたんだ。医者はその役をになう認知症患者を探していたのだが、そこに丁度よく——という言いかたもなんだが——太郎が来たというわけだ。

 さすがに太郎もこんな得体の知れないものを装着することには二の足を踏んだが。このままでは事実上、彼は一年を待たずに脳が萎縮して死亡することとなる。死ななかったとしても全ての知識と記憶を失い、自分が誰かも分からないまま残りの一生を過ごしていかなければならない。

 そのように聞かされて太郎は決心せざるを得なくなり、手術によってこのデバイス……チョーカーを首に埋めこんだ上で内部に伸びた人工神経を脊椎につなぎ、脳幹のうかんと接続した。そう。こいつはただ首に巻いているのではなく、首の皮膚に埋め込んでいるのだよ。

 それからどうなったかって? デバイスは見事太郎のおとろえた脳の代わりを勤めることに成功した。それから太郎はこれ以上記憶や知識を失うことなく、十年後に心筋梗塞こうそくでこの世を去るまで、しっかり自我と意識をたもち続けながら生きていくことが出来たんだ。

 さて、それでめでたしめでたし……とは残念ながら言えない。問題はもう一つあっただろう? そう。太郎の息子の次郎だ。

 次郎は父親の太郎が死んだ後も相変わらず家に引きこもり続けていた。次郎の母親……太郎の奥さんはそんな彼になんとかしてなんらかの仕事にいてもらいたいと思っていたが。ただでさえ馬鹿な上に高校を中退してから十年以上も引きこもり生活を続けていた次郎に、いまさら健全な社会生活が送れるとは思いにくいし。そもそも本人に外に出て働こうという意欲がない。

 そこで母親はある相手に相談をした。その相談相手とは太郎にこのチョーカー・デバイスを埋めこむことを勧めた太郎の友人の医者だ。

 相談を受けた医者は少し考えた後、太郎につけたチョーカーを次郎にもつけてみたらどうかと提案した。

 このチョーカーは十年間、太郎の脳の代わりに思考したり記憶を保ったり知識をたくわえたりし続けていた。つまりこれはもはや太郎の脳そのものであると言える。

 幸い、太郎の死後にチョーカーは取り外して保管してあるし、そこに蓄えられた彼の記憶や知識も初期化してはいない。なのでそれを別の人間に装着させれば、彼は太郎が死ぬ直前までに得た知識を全て自分のものにすることが出来るはずだ。

 頭脳明晰と言われた、太郎の知識を。

 次郎がまっとうな社会生活を送ることが出来なかったのは……彼がなまけ者だったからとか社会が不景気で就職が難しかったからとか色々理由があるが、一番の理由はやはり彼の知能程度がいちじるしく低かったせいだろう。

 そんな次郎がもしも太郎の潤沢じゅんたくな知識を手に入れることが出来たならば……。高校中退後十年以上引きこもっていたというマイナス要素を計算に入れたとしても、就ける仕事などいくらでもあるだろうと医者は言った。

 それを聞いた母親は一も二もなくうなずくと、半ば強引に次郎を医者の元に連れて行って、その首にチョーカーを埋めこんでもらったのさ。太郎の形見……いや、もはや太郎そのものであると言ってもいい、このチョーカーをね。




「このチョーカーをね」

 そう言うと老紳士は右手の人差し指で、忌々いまいましげに首のチョーカーに触れた。

「……それで。次郎はどうなったんですか?」

 その次郎とはつまり、俺の目の前にいるこの老紳士のことであるに違いなかったが。俺はえて『あなたは』とは言わず『次郎は』どうなったのかと尋ねた。彼が自分のことではなくあくまで他人ごとという立場で話している以上、そうするのが礼儀だと思ったからである。

「次郎か」

 そんな俺の思いをみ取ったのか、老紳士は苦笑いと共に息をついて、わずかに微笑みながら言葉を紡いだ。

「チョーカーをつけ、太郎の知識と記憶を手に入れた次郎は、それまでとは打って変わって勤勉かつ活動的になったよ。ね」

「はあ」

高認こうにん試験に合格して高校卒業の資格を得ると、父親が通っていた大学の入学試験も受けてこれも合格。優秀な成績で卒業してからはあるシンクタンクで研究職に就き、いくつかの実績を残した後でめでたく定年退職。結婚はしなかったが、贅沢ぜいたくさえしなければ残りの一生を遊んで暮らせるくらいの金は手に入れ、こうして余生をのんびり過ごしているというわけさ」

 これで話は終わり。満足したかね。最初に言った通りつまらない話だっただろう?

 そのようにつけ加えると、老紳士は皮肉げと言うかさびしげな笑顔を浮かべ、そのまま俺から視線を外して前へと向き直りコーヒーカップを口元へと運んだ。まるで、俺という人間など最初からこの場に居なかったかのように。

 このチョーカーにはそんな秘密があったのかと俺は驚愕きょうがくしきりだった。同時に、そんなものを着けて高認試験や大学の入試試験を受けたのではカンニングと大差ないのではないかとも思ったけれど……まあこの際それは言うまい。

 しかし、である。いまの老紳士の話が事実であるなら、彼……次郎はこのチョーカーのお陰で人生がいいほうに一変したことになる。

 チョーカーをつけたこと自体は次郎の意志ではないにせよ。地方の底辺高校さえ卒業出来ず十年以上も引きこもりのニート生活を続けていて、これから先も死ぬまでその生活を続けるしかなかったはずの次郎が、チョーカーのお陰で一流大学を卒業して立派な職に就き、それなりの財産を築くことが出来たのだから。

 なのに何故次郎は……いや、もう老紳士はでいいか。この老紳士は何故、ラッキーアイテムとも言えるチョーカーのことを、このように憎々しげに扱っているのだろう。

 と、そこまで考えてから俺は唐突とうとつに、あることに気がついてハッと大きく息を飲みこんだ。

「あの。最後に一つだけいていいですか?」

 老紳士に、俺は声をかけた。彼はなにも応えなかったけれど、俺はそれを肯定こうていの印であると勝手に解釈して、勢いこんでさらに質問を続ける。

「そのチョーカーには次郎の父親である太郎の知識と……それから記憶が蓄えられていたんですよね? だけどそれだけではなくひょっとして、太郎の人格も一緒に入っていたんじゃないですか?」

 ありえないことではないだろう。太郎は病院を訪れてから一年以内に、脳が萎縮して認知症のようになってしまうと言われていた。それでチョーカーを埋めこみ、そのため記憶の衰えは回避されたのだけど、だからと言って脳の萎縮が止まったわけではない。太郎の脳は確実に、一年で使い物にならないほど萎縮していたはずだ。

 にも関わらず、太郎は心筋梗塞で亡くなるまで十年間、記憶のみならず『自我と意識』を保ち続けていた。それはつまり太郎の人格そのものまでもが脳からチョーカーのほうへと移っていたからとしか考えられない。

 と、いうことはだ。もはや父親の脳そのものとも言えるチョーカーを装着し、そのチョーカーに蓄えられていた知識のお陰で人並み以上の知識を得て、大学を卒業し立派な職を得て悠々自適ゆうゆうじてきの生活を送っているこの人物は……いま俺の隣に座っているこの老紳士の身体を支配して操っているのは、一体どちらなのだ?

 太郎(父親)か? それとも次郎(息子)なのか?

 老紳士が自分の人生を劇的に改善させたこのチョーカーのことをうとましく思っているのは……。

 自分は父親にはるかに劣っているということを自覚しており、その父親に対して憎しみにも似たコンプレックスを抱いていたのに。その父親のお陰で人並みの生活を手に入れたのだという忸怩じくじたる思いからなのか?

 それとも。自分の自我と意識が封じられているチョーカーを息子が身につけたため、心ならずも自分が息子の人格と身体を乗っ取るような羽目になってしまったことに対するいきどおりと悲しみゆえなのだろうか?

「……教えてください。あなたは太郎なのですか? それとも次郎なんですか?」

 ごくりと一つ音を立ててつばを飲みこんでから、俺は老紳士に尋ねたが。

 老紳士はただただ、正面を向いたまま悲しげに微笑み続けるだけだった。


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