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第24話 さよなら、ハッピーエンド(Good−Bye,Happy−End)
しおりを挟むいよいよ最期の時が来たようだ……。
某大学病院、最上階に位置するVIP専用の集中治療室にて、わしはふうと一つ小さな息を吐きながら心の中だけでこっそり呟いた。
医師たちも、それは分かっているのだろう。その証拠に普段は面会謝絶が頑なに守られているこの病室において、わしが横になっているベッドの周りには老若男女おりまぜおよそ十数人ほどの人間が神妙な面持ちを浮かべながらどこか放心したように立ち尽くしていた。
彼らは全員がわしの家族……息子や娘、その配偶者たち、孫たちにその夫人や夫、さらにはひ孫たちだ。彼らは誰一人欠けることなく、わしを看取るためにわざわざこうして集まってくれているのである。
そして。最もわしの近くに立ち、もはや骨と皮だけのようになった手をしっかり握ってくれているのは、七十年間連れ添った最愛の妻だった。
わしはゆっくりと首を横に動かし、妻の顔を視界に映した。当然その顔はしわくちゃで、髪の毛は白髪だらけ。どこからどう見ても、これ以上ないというくらいの立派な婆さんだったが。
だけど、何故だろう。目に涙を浮かべながらせつなそうな表情を浮かべてわしの顔をじっと見つめ続けているその顔は、彼女と初めて出会った高校一年生の頃と全く変わっていないように思えた。
気の強そうな一重の瞳。やや上向きにとがった鼻。意志が強そうに引き締められている唇。際立った美少女と言うわけではなかったが気さくで誰にでも親切だったため、多くの男子や女子に好かれ愛されており、クラスのアイドル的存在だった少女。
そんな彼女に心惹かれたわしは高校二年生の時に思い切って告白。それが受け入れられてからはわしらは晴れて公認のカップルとなった。
それから先はもう怖いくらいのとんとん拍子。
まずは二人そろって、偏差値的にまず無理だと言われていた難関の国立大学に合格し。そこに在学中、ちょっとしたことから閃いたアイディアを元にある発明をして特許を取ったのだが。それが当時師事していたゼミ教授の紹介のお陰で、ある一流企業にとんでもない高値で売ることが出来たのである。
そうして得た大金を元に、わしは学生ながらも起業。当時のこの国は景気が低迷状態であったけれど。これまた恩師である教授が政界や財界のお偉方に声をかけ口をきいてくれたお陰で順調に成長していき、わしが大学を卒業するころには従業員五百人を超える上場企業にまでなっていた。
その後。高校時代から付き合っていた彼女と結婚。やがて生まれた三人の子供たちは……親の口から言うのもなんだが全員眉目秀麗の美男美女ぞろい。性格も素直で心優しく、頭も良くてスポーツ万能。まったく、非のつけどころがないとはこのことで。親の期待をはるかに超えるほど立派に成長してくれたのだ。
会社の業績は右肩上がりで、家庭も円満。悪いことが全くなかったとは言わないが、それでも普通の人から見れば充分に順風満帆の幸福な人生を送ってきたと言っても過言ではあるまい。
だが、人の生命には限りがある。
白寿を目前にして、わしの人生にもついにその時が訪れたようだった。だが遠からず訪れる死に際し、ほんのわずかばかりの悔いも恐れもわしにはない。あるのは単に、これまで幸福な一生を送ってこられたことに対する感謝の念と、これでようやく永過ぎた人生に終止符を打ち休むことが出来るという安堵の念のみ。
いや。正確にはたった一つだけ不安と言うか心配な思いがあるにはあるのだけれど、これに関してはいくら思い悩んだとしてもどうしようもないこと。それにそれが今度こそ単なる無用な心配に終わるという可能性だって充分にあると思うので、そのことについては考えないことにする。
「……お前たち。これまで世話になったな」
わしは最後の力を振り絞って、妻や家族たちに精一杯の笑顔を向けながら言葉を紡いだ。
「これまでわしの家族として、共に生きていてくれてありがとう。そして、さようならだ。わしがいなくなっても、どうか元気で、みな仲良く……」
だがその言葉を最後まで言い終えること叶わず。わしの心臓と呼吸はほぼ同時にその動きを止めることとなったのだった。
☆ ☆
気がつくと、わしは学校の教室のような場所で、目の前の机に手を置きながら椅子に腰掛けていた。
周囲にいるのは、紺色の学生を身にまとっている幼い顔立ちの少年少女たち。彼らはあるいは友人らと仲良く談笑し、あるいは自分の席に独り座って読書に勤しんでいたり、あるいは机に突っ伏して居眠りなどをしたりしていた。
(まさか……)
わしは心の中で恐る恐るそのように呟くと、自分自身の顔や身体を撫でるように叩き、次いで自分自身の身体を見下ろしていった。
そうして分かったことは二つ。わし自身も周囲の子供たちと全く同じデザインの紺色の制服を身につけているということと。手も顔も、これまでの百年近い人生において刻まれ続けてきたシワや染みなどが全てきれいに消えて、まるで高校生にでも戻ったかのような若々しいきれいな肌にとなっていたことだった。
いや、まるでではない。実際にわしは高校生のころの自分に戻ってしまっているのである。その証拠にこの場所はわしが高校二年生のころに通っていた学校の教室そのものだったし。周囲にいる生徒たちも、わしの高校時代の同級生たちそのものだった。
(……またか。またタイムリープしてしまったのか)
周囲の喧騒をよそに、わしは内心で独り言ちると、はあと深く重いため息を一つこぼしたのだった。
そう。つい先程、死に際のわしがたった一つだけ抱えていた不安と言うのがこれだったのである。
実を言うと、わしが死にかけて……と言うか実際に死んで、その後魂だけがタイムスリップして高校時代の自分の肉体に宿るなどという現象が起きたのはこれが初めのことではない。
正確に数えたわけではないが少なくとも十回以上、わしは経験し続けていたのだ。百歳間近で死亡し、その後一七歳の高校二年生として生まれ変わり。その後幸福な人生を過ごしながらも八十年を生き、その後に死亡。それからまた十七歳の自分自身に生まれ変わるという悪夢のような無限ループを。
何故そんな現象が起きるのかは分からない。確かなのは、何度も死と蘇りを繰り返した結果、わしは主観的にはすでに千年近くも生き続けているということである。
悩みと苦しみと痛みに満ちた人生ではなく、幸福ほぼ一色に彩られた人生ではあるのがせめてもの救いだが。それでも千年も生きていてはさすがにくたびれる。肉体的にではなく魂そのものが削られ摩耗し、少しずつ消滅していっているような、そんな疲労感を覚えてしまうのだ。
もちろんこの生まれ変わりはわし自身の意思で起きていることではない。むしろ肉体が死を迎える度に、わしはいつも今度こそ本当に死ねるのではないかと期待し、今度こそ生まれ変わりは起きませんようにと必死に願っていた。
だがその祈りは常に届かず。今回もこうして十七歳の自分に戻ってしまったのだ。ということはつまりわしはこれからまた約八十年間、もう一度これまでと同じ人生を繰り返さなければいけないということである。
しかも。これから百歳まで生きて、再び(と言うか、十何回か度)臨終の時を迎えたとしても、そのまま安らかに死ねるとは限らない。また魂だけがタイムスリップして、十七歳のころの自分自身に生まれ変わってしまう可能性が非常に高い。
正直もううんざりである。だがだからと言って、自分で自分の生命を絶つことも不可能だった。自ら死ぬ度胸がないと言うよりも、生命力に満ちあふれた若い肉体が、死を全力で拒否してくるのだ。すでに年老いた精神に、それに抗えるほどの力などあるはずがなかった。
「おはよ」
そんなことを思い、絶望の思いに頭のてっぺんまで浸っているわしの隣に、紺色の制服とスカートを身に着けた一重の瞳につんととがった鼻、意志の強そうな唇を持った少女が立ち、ふんわりと明るく無邪気な笑顔を浮かべながらそのように声をかけてきた。
そう。彼女は『前世』で死に際のわしの手を握り力づけてくれた老婆……つまりわしの妻だった。いや、この時点ではもちろんまだ老婆でも妻でもないが。これから数か月後にわしは彼女に告白し、彼女がそれを受けて公式に恋人同士になる。いまこの時点のでわしらの関係は友達以上、恋人未満と言ったところだろうか。
「どうしたの? 元気ないね。なんか顔色も悪いみたいだし。もしかして風邪でもひいたんじゃない?」
そんなわしの葛藤や苦悩も知らず、彼女はそのように言うとスカートの裾をふわりとたなびかせながらわしの目の前にと移動して、ごくごく自然というか当たり前の仕草で右手を伸ばすと、熱を測ろうとするようにその手のひらをわしの額にと当てたのだった。
初めてそれをされた時、そんな彼女の何気ない行動にわしは思春期の高校生らしい胸のときめきを覚え、顔を真っ赤にしながら心臓をドキドキと激しく波打たすこととなり。彼女の『やっぱり熱いよ。ちょっと熱があるんじゃない?』という天然の発言に、さらに顔を赤らめることとなったのだが。
だがさすがに十何回目ともなるとそんなときめきは覚えない。それどころか、なんだかむしゃくしゃしてきてしまった。自分はこんなに苦しんでいるのに、なんでお前はそんな呑気にしているんだという理不尽な怒りの感情さえ覚えてしまう。
それに……と、わしは唐突に気がついた。
そうだ。わしは妻のこういうところが、無邪気を装いながらずけずけと他人の領域内に踏み込んできたり、親切めかして人を子ども扱いしてきたり、なんの躊躇いもなく異性の身体に触れてきたりする、そういうところが、
大嫌いだったのだと。
「うるさい! さわるなっ!」
そう思うとわしは無意識のうちにそう叫ぶと、自らの左で彼女の右手を思い切り打ち払った。彼女は思わずと言うように『痛っ』と叫び、ついで怒りの……と言うより信じられないものを見るような目つきでわしの顔をじっと見やったのだった。
「な、なにするのよ?」
「なにするじゃない! 勝手に人の額に触ってるんじゃねえよ」
動揺して呟くような声をあげる彼女に対し、わしは嫌悪感丸出しでわめいた。
「そんな……わたしはただ、熱があるんじゃないかと心配して」
「誰がそんな心配してくれなんて頼んだ? 大きなお世話だ。余計なことするなよ、このブス!」
わしの暴言に彼女はもちろん、周囲のクラスメートたちも唖然としたように、目を丸く見開きながらわしの顔を見つめてくる。
これまでのわしは女の子に対してそのような汚い言葉を放ったことなどなかった。そんなわしがいきなり、人が変わったかのように怒りの表情を浮かべ、あまつさえ仲のいいクラスメートの少女に向けて人が変わったかのような罵りの言葉をぶつけたのだから、当然だろう。
「……ひどい」
妻は……いや、将来わしの妻となるはずだった少女は一瞬の沈黙の後目に涙を浮かべたかと思うと、そのままくるりときびすを返し、教室を出て行ってしまった。
後に残されたわしは、驚くほど清々しい気分だった。女の子を泣かせてしまったことによる罪悪感など微塵もない。あるのはただ、長年積もりに積もった鬱憤をようやく吐き出すことが出来たという爽快感だけだったのだ。
そんなわしに、クラスメートたちはほぼ全員非難に満ちた視線を向けてきたけれど。わしはそんな彼らを全員じろりと一瞥することで黙らせた。自慢ではないが千年近い人生を送ってきたこのわしが、二十年も生きていない赤ん坊のようなクラスメートたちに気合いで負けるはずがないのである。
その日一日、彼女はわしと口を利くどころか目をあわせようともしなかったが。次の日になると彼女は神妙な表情を浮かべながら再びわしの前に立ち、ぺこりと頭を下げながら謝罪の言葉を述べてきた。
いわく。正直、自分が悪いことをしたとは思えないのだけれど。それでもなにかわしの気に障ることをしてしまったらしいということは分かる。そのことは謝るから、昨日どうしてわしがあんなに怒ったのか教えて欲しい。治せるものなら治すし、二度とそんなことはしないように努力するとも。
「それで……許してくれないかな? そして出来たらその、また前のように仲良くしよ?」
少女は精一杯の笑顔を浮かべ、誠意のあふれる口調でそのように口にする。
以前のわしならそんな彼女の態度に心を打たれて、こちらこそごめん。わしのほうに全面的に非があった、君は少しも悪くなんかないと、それこそ土下座せんばかりの勢いで謝っただろう。
だが、いまのわしは到底そんな気分になれなかった。それどころか、わしは無言で立ち上がると、彼女の頬を握りこぶしで思い切り殴りつけたのだった。
彼女は悲鳴をあげることさえ出来ず、倒れ。遠巻きにわしらの様子を眺めていたクラスメートたちもさすがに驚きの声をあげる。
だがわしはもちろんそんなことには構わず。倒れている彼女の上に馬乗りになると、そのままさらに殴りつけてやろようと大きく拳を振るい上げた。
「馬鹿! なにしてやがるんだ!」
「気でも狂ったか、お前は!?」
わしのしようとしていたことに気づいた男子生徒数人が慌てて駆け寄ってきて止めようとしたが。わしはそんな彼らを振り払うと、さらに二度三度と彼女の顔を殴りつけたのだった。
女子生徒たちのあげる悲鳴を聞きつけた教師たちが教室にやって来て、数人がかりでおれを彼女から力づくで引き離すまで。
☆ ☆
それからどうなったか。
言うまでもないだろう。クラスメートの無抵抗の女子の顔を何度も殴り、怪我をさせたのだ。退学になってもおかしくなかったが、わしは校長室に呼びつけられ厳しい叱責を受けた後、一週間の停学を命じられた。
処分としてはかなり軽い。どうやらそれまでのわしが品行方正で真面目で成績優秀な生徒だったため、今回のことは出来心と言うか、なにか魔が差してのことだったのだと好意的に判断してくれかばってくれた先生たちがいたからのようだ。
当然だが。停学が解けた後、再び登校したわしを見る周囲の視線は液体窒素よりも冷たかった。
妻となるはずの少女はもうわしの顔を見ようともしなかったし。他の女子生徒たちは全員、酔っ払いの吐瀉物でも見るような白い目を向けてくる。男子生徒たちも大半は、わしに近づいてくることはなかった。
例外的に、それまでわしと仲の良かった数人の男子はあえて笑顔を浮かべ、なにごともなかったかのように普段どおりの態度で接してきた……と言うか、接してこようとしてくれていた。
だが、そんな彼らに対してもわしは感謝するでもなく、ひたすらわしに構うなオーラを発し続け、無視し続けていたためやがて愛想をつかされ、わしは独りぼっちになってしまった。
その後、わしは前世で通っていた大学を受験するにはしたが、合格することは叶わなかった。成績自体は落ちていなかったはずだったので、あの事件のせいで内申書がすこぶる悪くなっていたことが原因だろう。
結局、前世よりかなりランクの劣った大学にかろうじて入学したわしは、これまでの人生と同じようにある発明をした。
だがそれで特許を取ることが出来たのは、前世で通っていた大学の恩師のお陰なのだ。当然ながら今世でわしが通っている大学にはその恩師はおらず、従ってその発明品は特許をとることが出来なかった。
そうなればもちろん、その特許を一流企業に売って大金を得ることは出来ないし、その金を元にして起業することも不可能だ。
となれば、当然普通に就職しなければならない。
だが発明の特許が取れなかったことでふてくされていたわしはロクに講義も受けなかったため、成績は下降の一途。挙げ句留年を二度繰り返したわしは退学となり、就職活動をすることも出来なかった。
そこから先はもう、転落の二文字しかない。
しばし無職のまま実家でゴロゴロしていたわしは、やがて家族に追い出されてホームレスとなることを余儀なくされた。
金もなく家もなく友達もいない。もちろん、妻となるはずだった少女とはもうとっくに別れている。
そうしてなにかも失ったとある冬の寒い日。
雪の降る中、食料を探すためゴミ捨て場を漁っていたわしは、急激に心臓の痛みを覚えてその場に倒れこんだ。
この痛みには覚えがある。前世やその前世、そのまた前世などでわしの死の原因となった病気、心筋梗塞の痛みである。
となると、わしはもう死ぬのか。まだ百歳どころか、その三分の一も生きていないのだが。
まあ、前世までとは全く違う人生を送ってきたのだから。死ぬ時が違ったっておかしくない。むしろそれまでと同じ心筋梗塞が死因と言うのだから出来すぎているような気がする。
次第に意識が薄れていく中、わしは思った。こうして死んだ後、わしはまた十七歳の男子高校生として生き返るのだろうか。それとも今度こそ本当に死ねるのだろうか。
それが判明する時は、そう遠くはなさそうだ。だがなんとなく、本当になんとなくなのだけれど。今度こそわしは普通に死ぬことが出来るような気がする。
無論そんな思いは単なる気のせいで、フタを開けてみればやっぱり生き返ってしまうという可能性はあるが。そうなったとしてもわしはまた今回と同じかそれ以上に悲惨な人生を送ることになるのではなかろうか。
一度転落の道を選んでしまった以上、何度生まれ変わったとしてももう二度とあの絵に描いたように幸せだった人生には戻れない。そんな気がしてならなかった。
だが、それならそれで構わない。むしろ望むところである。
もう二度と、わしはハッピーエンドなんか目指すものか。ハッピーエンドはきれいに終わるから価値があるのである。何度も何度も同じことをぐずぐず繰り返すハッピーエンドなんてちっともハッピーではないし、エンドですらない。
そんなものはもう、心底ごめんなのだ。
「さよなら、ハッピーエンド」
身体を半分雪にまみれさせながら、わしは皮肉げに唇を歪めて笑いつつ、人生最期の言葉を紡いだ。
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