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第27話 国境の町(Border Town)
しおりを挟む重く荘厳な響きと共に、城壁の扉がゆっくりと開かれていく。
いや、城壁というのは正確ではない。
十階建てのビルに匹敵する高さと厚み、さらには一つの町を真横一文字に貫く長さを有するその威容はたしかに城壁と呼ぶに相応しい外観ではある。
だがその向こうにもこちらにも、壁が守るべき城は存在しない。あるのは軍の詰所となっている小さな木造の建築物が一つと、軍用のバスやトラックを停めるための雑草だらけの駐車場。
あとは申し訳程度に舗装された小道が一本あるくらいで、他はただ寂寥とした荒野が辺り一面に広がっているばかり。この道の先を一〇キロほど進めば割と大きな商店街や繁華街にたどり着くのだけれど、逆に言えばそこまで行かなければこの辺りとさして変わらぬ殺風景な景色しかお目にかかれないということだ。
少なくとも壁のこちら側はそうだし、訪れたことは未だないけれど向こう側も多分似たようなものだろう。
では、この壁が守っているものとは一体なんなのか? 答えは、国そのものである。
そう。この巨大な壁は国境なのだ。
一つの町のほぼ中央を分断するかのごとく延びているこの壁の向こうとこちらにはそれぞれ正反対と言っていいほどに異なる主義主張と政治形態を持つ二つの国家が存在している。城どころではない。この壁は互いに相手の国から自国を守るための最後の防衛線なのである。
本来なら交流の窓口であるべき国境にこのような巨大で厳つい壁を設置しなければならないのだから、我が国と隣国はさぞかし仲が悪く一触即発、いつ戦争が始まってもおかしくない状態にあるのかと思う向きも少なくないだろう。
が……。
小官がそんなことを思っている間に扉は完全に開かれ、その向こうから垢抜けない格好をした三〇代前半くらいの若い女性がやって来た。さらにそのすぐ後からは一〇歳前後の、リュックサックを背負った子供たちが数十人ほどぞろぞろと列をなして歩いてきたのだった。
国境の扉を越える際、先導の女性はさすがに少し緊張したかのようにオドオドと足を震わせたり落ち着きなく辺りを見回したりしていたけれど。子供らのほうはそんな様子はまるでなく、はしゃぎ声をあげながら飛ぶような足取りで次々とこちら側へと入ってきては、遠くに見える街の様子を物珍しげに眺めている。
そんな子供たちの様子を目にして、ここが仲の悪い国同士が隣接している国境の町であると思う人はまずいないだろう。
実は我が国と隣国は確かに仲が良いわけではなく、それどころかかつては互いの領土と国民の全てを灰になるまで焼き尽くしてもなお飽き足らないと思うほどに憎み合っていた不倶戴天の敵同士だった。
だった。そう、過去形である。
両国はかつて何十年にも渡って激しい戦争を繰り広げていた。皮肉なことに両国の国力軍事力はきわめて拮抗しており、そのため戦いはいっこうに終息する気配を見せなかったのだ。
その結果、被害は人的物的共に呆れるほどに途方もないものとなっていた。我が国もそうだったし、無論のこと隣国も同じだっただろう。
なんの実りも名誉もなく、そのくせ失うものだけは甚大なこの争いに、さすがに両国の国民ともに疲労と厭戦の色が濃く見えるようになってきたのだが。ちょうどそのころ、隣国に一人の英雄が現れた。
戦いの英雄ではない。平和の英雄だ。
彼はその整った容姿と巧みな弁舌をもって戦争に倦んだ人々の心と気持ちをつかみ、たちまちのうちに隣国の政治的トップの座に就いた。
隣国の最高指導者となった彼は、自分に逆らう反対勢力を次々と潰していくことでその地位を確固たるものにすると、次は我が国に向けて和平条約を結び、戦争を終結させ共に平和と繁栄への道を歩んで行こうと提案してきたのだった。
我が国としても、本音ではこんな戦争などとっとと終わりにしたいと思っていたためその言葉は渡りに舟であった。こちらから停戦を申し入れるのはプライドや国内情勢の点からなかなか難しかったのだが、相手のほうから申し出てくれるのであれば願ってもないことだったのである。
もっとも、両国ともに和平など絶対認めないという徹底交戦派も少なからず存在していたためいきなり停戦というわけにはいかず、まずは休戦条約を結ぶという形になったのだが。どうせそんなものはすぐに破られるだろうという大方の予想に反し、条約締結後一〇年が経った現在でも、戦闘が再開されることはなかった。
逆に言えば休戦後一〇年が過ぎても未だ停戦合意には到れていないということだが。とりあえず両国の間には平和が生まれ、少しずつではあるが人やモノの行き来も解禁されるようになっていったのである。
そう。かつては両国の兵ら数万名以上が無惨な殺し合いを繰り返し続けてきた国境の壁を、遠足に来た小学生らが笑いざわめきながら越えることが出来るようになる程度には。
などと、小官が柄にもなく感傷的な気分に浸ってると、扉を通り抜けてきた小学生たちのうちの何人かが、不思議そうな表情を浮かべながらこちらの様子をじっと伺ってきていることに気が付いた。
無理もない。戦争が終わってから生まれてきた彼らのような子供たちには、何故国境に厳つい軍服を身に着けて小銃などを持ったむさ苦しい顔つきのおっさんなどがいるのか理解出来ないのだろう。
と、その時。こちらをじっと眺めていた子供たちのうちの一人がニヤリとどこかいたずらっぽい笑みを浮かべたかと思うと、おもむろに姿勢を正し踵をぴしりとそろえてから、小官に向けて敬礼をしてきたのだった。
それを目にした引率の女性教師は顔面を一気に蒼白にして、敬礼をやめさせようと慌てて子供の腕をつかんだ。
子供たちとは違って戦争時の生々しい記憶が残っているであろう彼女にとって、小官のような壁の『こちら側』の人間……特に軍人は、未だ得体の知れない鬼のような恐しい存在なのだろう。うっかりちょっかいなどかけようものなら、いきなり銃をぶっ放してくるとでも思っているのかもしれない。
そのように思った小官は小さく苦笑いを浮かべると、子供たちに向けて軍隊式の正式な敬礼をして返してやった。それを目にした女性教師はぽかんと呆気にとられたかのごとく口を大きく空けていたけれど、一方子供たちのほうは大喜びで、われ先にとばかりに次々にこちらに敬礼をしてくる。
「かわいいですね~」
そんな子供たちに向けて一人ずついちいち敬礼を返してやっているといつの間に現われたのだろうか。つい最近中尉としてこの国境警備隊に配属されてきたばかりの新任女性兵士が、子供らに手を振りながらからかうみたいな口ぶりで声をかけてきた。
「……ああ、そうだな。どこの国でも、子供というのはかわいいものだ」
「いえ。あの子たちではなくて、隊長が、です」
「……はあ?」
「いえ。いまは休戦状態とは言え、ずっと敵対関係だった敵国の子供たちにこんなに愛想良く接してあげているなんて。いつも不機嫌そうにむっつりしている隊長にしては意外だったって言うか。案外かわいいところがあるんだなって思ったって言うか」
上司を上司とも思わないでいるかのごとき口ぶりで言う中尉。そんな彼女に、小官はじろりと厳しい視線を向けて無言でたしなめたが、当の本人は全くこたえていない様子で、ただわざとらしくあさってのほうへと顔をそらすのみ。
……まったく。最近の若い者ときたら。
「でも、あれですね」
思わず嘆息せずにはいられなかった小官の気持ちなどまるで斟酌することなく、中尉はしみじみと言葉を続ける。
「もしも将来、休戦条約が破棄されるようなことがあったらわたしたち、あの子たちと殺し合いをすることになるんですよねえ」
「縁起でもないことを言うな」
これには小官もいささかならずムッとして、厳しい口調で中尉を叱責した。彼女のほうもさすがにこれは冗談にしても不謹慎だったと気付く程度の理性はあったようで、肩をすくめながら申し訳ありませんと謝罪してくる。
とは言え、彼女の言うことももっともではある。現在我が国と隣国は平和で友好的な状態を保ち続けているとは言え、それはあくまで暫定的な関係でしかない。
正式に停戦合意を行ない平和条約が結ばれるまでは、いつまた戦争が再開されても全く不思議ではないのである。
もっともこの一〇年もの間、仮初めとは言え平和が保たれてきたのだ。これがいきなりまた戦争状態に逆戻りなど、よっぽどのことがない限り起こり得ないだろう。
よっぽどのこと。そうたとえば現在隣国で大統領となっている、あの平和の英雄が突然死するなどといったことでもない限りは。
「た……隊長っ! たたたた……大変ですっ!!」
小官がそんなことを思っていると、詰め所のほうから一人の下士官が慌てて飛び出してきて、まろぶような足取りでこちらへと駆け寄ってきた。
下士官は顔面が真っ青を通り越して真っ白になっており、目は赤く血走っていて激しく息を切らし、額は大量の冷や汗でびっしょりと濡れていた。
これはどう見てもただごとではない。小官は一瞬ちらりと傍らにいる中尉と視線を交わしてから、なにがあったのかと尋ねた。
「軍務省からの緊急通信です! それによりますとつい先程隣国でクーデターが発生して、大統領が射殺されたそうです!」
「なんだとっ!?」
下士官の報告に、小官は我知らず大きく息を飲みこんだ。隣では中慰が口をおさえながら『ひっ!?』と悲鳴のような声をあげているのが聞こえたが、いまの小官にはそんなことを気にする余裕はない。
大統領が、殺された? 長きに渡る我が国と隣国との血で血を洗う争いに終止符を打ち、両国に平和と安定をもたらしたあの男が!?
「犯人は……我が国との和平を快く思っていない、隣国の徹底交戦派の連中か?」
あまりと言えばあまりの出来事に脳がまともに働いてくれない中、半ば脊椎反射的に訊き返した小官の言葉に、下士官は小さく頷いた。
「隣国では大統預の死を受けて、軍の最高長官が新たな国家元首に就任。彼は我が国との休戦協定を無効だとして一方的に廃棄を宣言し、国中に戦時体制への移行を命令したとのことです!」
「なんと……愚かな……」
小官は思わずそのように声をあげずにはいられなかった。何十年もの間膨大な量の血と涙を流し、無数の屍を積み上げた後にようやく得られた平和だったのに。それがたった一握りの、軽挙な人間の行動によって一瞬で崩れ落ちてしまったのだ。
「さらに、隣国は爆撃機六機を我が国に送って無差別の空爆を行なった模様! それにより我が国は……小学校と保育園がそれぞれ一校ずつ被害にあい、主に一〇代以下の子供たち五〇〇名近くが死傷したとのことです」
「なんだとっ!? それは確かなのか?」
「間違いありません。隣国軍が、これが自分たちの行なった成果だとばかりに、小学校空爆の様子をこれみよがしに動画投稿サイトに送って、全世界に向けて発信していましたから」
下士官はこれがそうですと言いながら、自らのスマートフォンを取り出し、その動画投稿サイトとやらを立ち上げ、小官に見せてくる。
その画面にはなるほど、小学校に爆弾が落とされ、教職員や生徒たちが慌てて逃げ惑う様子などが上空から映し出されていた。
中には崩れた瓦礫の下敷きになっているなどして、明らかに死亡していると分かる子供たちの姿も見られる。
画面を見る前はこれが悪趣味な悪戯で作った合成映像であることに一縷の望みをつないでいた小官だったが、残念ながらこれはもう疑う余地もない本物だ。
こうなればもちろん我が国としても黙っているわけにはいくまい。なんらかの報復措置をとらざるをえないだろう。
「隣国のこの蛮行を受けて、我が国の軍務省は報復を宣言」
小官の予想通り、下士官はしかつめらしい顔つきで言葉を続けてくる。
「空軍に向けて直ちに、現在動かせる全ての爆撃機を派遣して敵国の首都を無差別に攻撃するよう命令を出した一方、陸軍に対しては敵のさらなる攻撃に対する備えと民間人の保護に努めるようにと。そして我々国境警備隊には……」
そこまで言ってから何故か、下士官は言い澱むかのように口をつぐみ、なかなかその先の言葉を発しようとはしない。そんな彼の態度に、小官はこの上なく嫌な予感を覚えた。なんなのだ。我々国境警備隊には、一体どんな命令がくだされたというのだ?
「我々国境警備隊には……」
出来れば永久にその言葉の続きは聞きたくないと願った小官だったが、もちろんそんなものがかなうわけがなく。しばしの沈黙の後、下士官はためらいがちながらも再び口を開いた。
「……現在、国境を越えて我が国を訪れている小学生三十三名とその引率教師を、速やかに全員射殺するようにと」
「……!!」
「ちょ……そんなまさかいくらなんでも」
思わず絶句してしまった小官に、半笑いの表情を浮かべながら『冗談でしょう?』と言わんばかりの声をあげる中尉。
だがそんな彼女に対し、下士官はうつむきながらカなく首を横に振るのみ。小官もただ下口唇を強く噛みしめるしかなかった。
軍人にとって、上からの命令は絶対だからだ。ましてや今回の命令は、隣国による不意の急襲……なんの罪もない我が国の子供たち五〇〇名を爆撃によって殺傷したことに対する正当な報復行為である。
非情で残虐ではあっても、理不尽でも間違った命令でもない。むしろこれをやらなければ自国民からは弱腰であるとなじられ、隣国からは甘っちょろく与しやすしと侮られて、さらなる攻撃を受けるだけであろう。
だが理屈ではそうであっても、それを実際に行なうことが出来るかどうかは話が別だ。戦争のことなど知らず、ただ遠足で我が国に遊びに来ただけの、当然武器なども持っていない子供たちを問答無用で全員射殺することなど。
……本当に、小官に出来るのか?
「隊長ぉ」
傍らに目をやると、いまにも泣き出しそうな……あたかも、自分がくだらない冗談を言ったのがこのような事態を招いた全ての原因であると思いこんでいるかのごとき表情を浮かべて立ち尽くしている中尉と視線が絡まり合う。
そんな彼女に向けて小官はなんの言葉をかけてやることも出来ず、ただただ黙って立ち尽くしているしかなかった。
いつの間にか小官の周囲には部隊員のほぼ全員が集まってきていた。彼らは誰もが不安と緊張とが入り混じったような真剣な面持ちで、瞬き一つすることなくじっとこちらを見つめてる。
そう。彼らはこの部隊の最高責任者である小官の指示を待っているのだ。軍務省からの通達通り、隣国からやって来た罪もない子供ら三〇人以上を射殺せよという命令か。あるいは、それ以外の命令を。
人間として、軍人として、一体どちらの命令を口に出すべきか。悩み苦しむ小官の胸のうちなど当然知る由もなく、子供たちの中の一人が無邪気な笑顔を浮かべながら右手で指鉄砲を作ると、それをこちらに向け『バーン!』と声をあげたのだった。
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