ハンリュウ! 〜隋帝国の野望〜

魔法組

文字の大きさ
20 / 97

20 前哨戦・その1

しおりを挟む


 ずい軍一一三万の兵と八〇万余りの車夫使役夫しえきふまかないなどが琢郡たくぐん北京ペキン)に集結してから二か月後の大業たいごう八(西暦六一二)年の三月。最初に琢郡を発った隋軍第一陣四〇万名は着々と歩みを進めていき、隋と高句麗コグリョの国境である
遼河リョハの西岸まで近づいてきているという情報が細作さいさく(スパイ)より征虜せいりょ大将軍乙支文徳ウルチ ムンドクのもとにもたらされた。

 意外と遅かったなというのが、乙支文徳の正直な感想である。琢郡から遼河までなら、かなりゆっくり進んだとしても一か月とかからない道のりだ。それが倍の二か月もかかったということは、隋は行軍にかなり手間取ったと見て間違いないようである。

 確かに、普段比較的温暖おんだんな地域に暮らしている隋の一般兵たちにとっては慣れない北の大地の環境は戸惑いの連続だったに違いない。特に肌を刺すような吹きすさぶ寒風、行く手をふさぐがごとき荒れ狂う砂嵐はかなりの難関だったろう。二〇〇万という超大軍の行進であったこともネックだったに違いない。

 もちろん敵の歩みが遅いことは文句を言う筋合いではない。じっくり策をりさまざまな仕掛けをほどこすための時間が出来た訳だし、行軍に時間がかかればかかるほど隋軍の糧食りょうしょくは少なくなり、兵士たちの疲労も溜まるからだ。対して高句麗軍は本拠地ホームで休息と食事を充分とりながら、気力を高めじっくり腰をえ敵を待ち受けることが出来る。

 高句麗北部の要害ようがいの地、遼東城ヨドンソン(中国の遼寧りょうねい遼南りょうなん遼陽りょうよう市)に二万の兵とともにめていた乙支文徳は全ての兵に出撃命令を出し、隋との国境である遼河にと向かった。遼河とは内蒙古うちもうこ興安嶺こうあんれいみなもとを発し、そこから数多くの支流と合流した後、遼寧省を経て遼東湾に注ぎこむ大河だ。その全長はおよそ二二〇〇キロメートル。流れは比較的ゆるやかなものの、河幅は二、三キロと広く川床かわどこが高い。

 大まかに言えば、この河川かわの西側が隋、東側が高句麗と言ったところである。この当時の高句麗は最盛期に比べればいささか力が落ちてはいるものの、依然いぜんとして朝鮮チョソン半島の北部と西部、さらに中国大陸旧満州まんしゅう地域といった広い地域を支配統括とうかつしている強大国なのだ。もちろんそれでも隋には到底及ばないのだけれど。

 乙支文徳は指揮官用の金の鎧とかぶとを身に着けると(全然似合っていないが)高句麗の兵士たちに遼河東岸の武麗邏ブレイラ(中国の遼寧省瀋陽しんよう新民しんみん県付近?)という場所に陣を張るよう命令を出した。これは訓練で何度も行なっていることなので、兵士たちも手慣れたものである。

 一方、向こう側の西岸にも隋軍の兵士が続々と集まっている様子が見え始めた。

 本当ならばまだ敵が態勢たいせいを整えきっていないいまのうちに矢を射かけるなりなんなりして攻撃したいところだが、遼河の川幅は薩水サルスのそれよりもはるかに広く、対岸にいる兵たちの姿など豆粒のようにしか見えない。この距離で矢を射っても到底届かないだろう。

 射撃兵を何人か小舟に乗せて送りこんで、射程距離ギリギリの位置から攻撃するという策も考えたがボツにした。こちらが射程距離内ということは向こうからも射程距離内だし、舟の上では身動きがとりにくい上、れるためねらいが定めにくい。それに隋軍だって馬鹿ではないから、高句麗軍が舟から攻撃してくる可能性くらいは考慮こうりょして、警戒けいかいしているに決まっている。

 あせる必要はない、と乙支文徳は自分に言い聞かせた。自分たちは迎撃げいげきする側なのだから、敵が攻撃してきてからそれに対応して柔軟じゅうなんに動くほうがいい。そういう訳で乙支文徳は部下たちに第二級臨戦りんせん態勢をとって、いつでも攻撃に移れるように待機しているようにと命じたのだった。

「敵が攻撃してくるのを待つだけというのは、なんか嫌ですね」

 乙支文徳のかたわらで不安げな様子を隠しきれずにそう呟いたのは、嬰陽王ヨンヤンワン末弟まっていである大陽テヤンだ。彼は平壌城ピョンヤンソンを動けない嬰陽王の名代みょうだいとして、征虜大将軍である乙支文徳の働きを補佐ほさあるいは監督するために、この最前線までおもむいてきたのである。

 ……と言うのは建て前。まだ若くて経験も少なく、しかも王族の一員としてお坊ちゃん育ちの大陽が乙支文徳の助けになれるようなことなど全くないだろうし。嬰陽王から全権を与えられている乙支文徳が、いまさら王の弟などに行動を監督されるいわれなどないのだから。実際のところは、高句麗の命運をけるであろう戦いの様子を自分の目で見てみたいと思った大陽が、わがままを言ってついてきたというだけのことである。

 末弟に甘い嬰陽王は何事も経験だと言ってあっさり随行ずいこうを許したし、乙支文徳も、以前から色々と自分になついているこの聡明そうめいな少年のことは弟のように思っていたので、異論いろんはなかった。

 次兄の大成テ ソンだけはそれは危険だと顔をしかめたが、隋軍の圧倒的な兵力が迫ってきているいま、おとなしく平壌城に引っこんでいたとしても必ずしも安全とは言いがたいと反論されるとなにも言い返せなかったらしく、渋々ながらも承諾しょうだくした。

 大陽は初めての戦いを前にして緊張している……と言うよりおびえている様子で、椅子の上で身体を細かくふるわせていた。

「落ち着いて、殿下。いや、大陽」

 そんな少年に、乙支文徳はそっと耳打ちをした。

「初めての戦で緊張しているのは分かるけど、大元テ ウォンの……陛下の名代として来ている大陽がそんなにおどおどしていては、兵の士気しきに関わる。ふりでもいいからもっと堂々としていなさい」

「え? あ、はい。すみません」

  乙支文徳の言葉に大陽は真面目くさった顔でうなずくと、表情をキリリと引き締め偉そうに腕を組んで、足は肩幅よりも大きく開くと、いかにもふてぶてしそうに顔を空に向けて見せた。

 そこだけ見ると、さすがに嬰陽王の弟というような威厳いげんと余裕にあふれた姿だが、よく見ると足などが細かくぶるぶる震えており、やっぱりねとおかしくなってしまう。

『ぼくはいま、虚勢きょせいを張っているところでーす』と喧伝けんでんしているようなものだ。近くにいる兵士たちもそれに気づいているようで、必死に笑いをこらえる様子を見て取ることが出来る。

 もっともこの場にいる人間の中で、大陽を馬鹿にしたり軽蔑けいべつしたりしている者は一人もいない。彼は王族としては末席であり、経験も知識も少ない未熟な少年だが、その素直さとなにごとにも一生懸命な性格から、国民の誰からも愛され親しまれているのだ。






しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

処理中です...