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42 遼東城の戦い・その2
しおりを挟む「でもそれだと、隋軍はどのような手段を使ってくるのでしょうか? ぼくなんかではもう見当もつきません」
冬に吹く木枯らしのごとく乾いたため息をこぼしながら大陽は情けなさそうに呟いた。乙支文徳はそんな彼の頭を平手で数回、撫でるように軽く叩きながら、おもむろに口を開く。
「とにかく高句麗軍が嫌でも出てこざるを得なくなるようにする。あるいは喜んで出てきたくなるような状況を作ってやるんだよ。その点を踏まえて考えてみれば、思いつく方法は三つばかりある。一つは休戦を申しこんで話し合いの場所を作り、そこにノコノコと姿を現したおれを暗殺するか人質にすること。これが一番手っ取り早くて簡単だな」
その言葉に、大陽と小中隊長たちは思わず息を飲みこんで驚きの表情を浮かべた。そんな彼らの顔を、乙支文徳は面白がるように一通り眺めてから言葉を紡ぐ。
「だが多分隋軍はこの方法をとらないとは思っていた。東アジア最大の強国であり、世界の中心で覇権を叫んでいる隋が、東アジアナンバー2とは言え辺境の小国でしかない高句麗相手に、そんなせせこましい手段をとるのはプライドが許さないだろうからな」
「……なるほど」
「二つ目は遼東城に背を向けて、平壌城に兵を進めるふりをすること。そこで高句麗軍が隋軍の後背を突くチャンスだと喜び勇んで出てきたところを反転してゆっくり叩く訳だ。正直言えば、この戦術を使ってくる可能性が一番高いと思っていたんだがな」
乙支文徳はため息をこぼした。この方法を使ってこられれば、高句麗軍はそれが罠だと分かっていても出ていくしかない。出ていかなければ、隋軍はそのまま南進して平壌城を攻撃すればいいだけの話なのだから。
もちろんその場合の対策はいくつも考えておいたが、どんなにうまくいったとしてもかなりの数の兵士が犠牲になることは避けられなかっただろう。隋軍がこの方法を使ってこなかったことは、乙支文徳や高句麗軍にとって望外の幸運だったと言っていい。
「三つ目がいま、敵さんがやってる方法。つまり街に火を放って民衆を殺し回ることで、高句麗軍が嫌でも出てこざるを得なくなるようにするんだ。野蛮で卑劣な手段だけど、それなりに効果があることは残念ながら否定出来ない。大陽、外に布陣している隋軍の大将は宇文述か? それとも于仲文?」
「あっ、はい。え~と。斥候の報告によると、宇文述将軍の旗印が掲げられているとのことでした」
「……だろうな。こんな戦術は于仲文の好みじゃない。あのシビアな現実主義者は必要とあれば万を越える味方の兵を犠牲にすることも厭わないけど、逆に言えば必要でなければ一人の兵だって犠牲にすることはないし。ましてや民間人を虐殺するなんてことをして、周辺諸国の反感や嫌悪を買うような真似をするとは思いにくい」
乙支文徳はふんと鼻を鳴らしてそれに、と話を続ける。
「古今東西の軍略に詳しい于仲文なら、高句麗独特の防御システムである山城の存在も知っている可能性が高い。ならおれが戦いに先がけて街の民を山城に逃がすかもしれないくらいのことは考えついていただろう。だとしたらわざわざ街壁を破るなんて無駄で面倒なことをするはずもない」
もしも于仲文が指揮官なら乙支文徳が最も嫌がる方法、つまり遼東城を無視してまっすぐ平壌城に兵を向けるふりをする戦法を使うに違いない。そのほうが時間はかかるもの断然楽に高句麗軍を駆逐出来るのだから。
「でも……待ってくださいよ。もし于仲文将軍が山城のことを知っているなら、当然宇文述将軍にそのことを教えているはずじゃないんですか?」
「そこだよ!」
大陽の言葉に、乙支文徳は重々しく頷いた。
「そう。常識的に考えて、軍の副司令官が司令官の知らない敵軍独自の防御システム事情に詳しいのなら当然そのことを司令官に具申しているはずだし、そうでなければいけない。だけど現実、宇文述はどうやら山城のことを知らないようだ。果たして、これはなにを物語る?」
「于仲文将軍は山城のことを宇文述将軍に教えていない。つまり隋軍の司令官と副司令官の間には齟齬が存在しているということですか?」
驚いたように目を丸くして声をあげる大陽に、乙支文徳は軽く微笑んで見せた。
「あの二人が隋の勝利を第一に考え、我を捨て一致協力した上で高句麗に攻めてきたのなら、はっきり言ってこの戦いに高句麗が勝てる見こみはほとんどなかっただろうな。なんだかんだ言ってもあいつらは隋でも屈指の有能な将軍なんだから。だけど……」
「宇文述将軍と于仲文将軍は、多分あまり仲が良くない?」
「と言うより、はっきり仲が悪いと見ていいと思うよ。これは以前から薄々感じていたことではあるんだけど、今回のこれで確信したね。あの二人は互いにいがみ合い、足を引っ張りあっているんだって。だとすれば、いくらでもやりようはあるってもんさ」
乙支文徳はキシシと歯茎を見せて笑いながら、いかにも人の悪そうな表情を浮かべた。
「実は今回、無人の街中で隋軍がどれだけ暴れていようと知らんぷりを決めこむつもりだったけど、気が変わった。あの二人をさらに仲違いさせるため、ちょっとばかしちょっかいをかけてやるとしよう」
多分、于仲文はこの戦いで宇文述がぼろくそに負けて煬帝の怒りを買うことで、相対的に自分の地位と重要度が高くなることを狙っているのだろう。
ならば、その通りにしてやろうじゃないかと、乙支文徳はぼそりと呟いた。
もちろんそうなった場合、苦手なタイプである于仲文が隋軍の新総司令官の座に就くことはまず間違いないわけで、乙支文徳にとって今後はますます苦しい戦いになるだろう。
しかし自分にとって比較的戦い易い敵だからと言って宇文述をこのまま放っておくのも、それはそれでまずい。何度も言うようだが、宇文述とて決して愚将ではないのだから。このまま何度も何度も負け続けていたらさすがに考えを改め、たとえ不本意ながらにしても于仲文と本気で協力しようと思うようになるという可能性も、決して小さくはないのだ。
そんなことになったら、正直たまったものではない。それくらいならば苦手なタイプであるとは言え、于仲文単体を相手にするほうがいくらかマシである。
だから今回は于仲文の期待通り、宇文述を徹底的にぶちのめしてやろうと乙支文徳は思ったのだ。もっともそれはそこまでの話。于仲文の思惑通り宇文述が失脚して彼が隋軍総司令官の座に就いたとしても、その後の展開まで彼の期待に応えてやるつもりも義理もないがね、とも。
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