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72 乙支文徳VS于仲文・その4
しおりを挟む高句麗軍から投降してきた乙支文徳将軍を于仲文の天幕に送った後。衛玄は特にすることもないので、辛世雄を誘って自らの天幕の中で白湯を飲んでいた。
「本当は茶か酒でも欲しいところじゃが」
湯飲みに口をつけ、その中身を形ばかりすすりながら、衛玄は愚痴をこぼすように呟いた。
「ここ最近は中国本土からの補給もなくて、食料事情が非常に厳しいものになっておるからのぅ。十二将軍と言えどもそう贅沢は言っていられないのじゃ」
「大方、運ばれてくる途中でどこかの土地の役人なり責任者なりが横領や横流しでもしているのでござろうな」
辛世雄は湯飲みの中の白湯を豪快に飲み干しながら、親友に続いて苦々しげに言葉を紡ぐ。
「長い時間をかけて食料を初めとする大量の補給物資を長距離間運ぶとなると、それだけ多くの人の手が関わることになるでござる。だがどういう訳だか、物資を運ぶのに関わる人間が増えれば増えるほど、それら物資の絶対量がどんどん減っていき、あるいは高価な品が安い粗悪品へすりかわっていくでござるからな」
「そのため出発した時には一〇〇あった食料が、到着した時には三〇くらいにまで減っているということも珍しくない、と。今回の高句麗遠征のように兵站線が極端に長くなる場合などは特にひどいものじゃ。一〇〇のうち一〇でも届けばまだいいほう。下手をすれば氷が溶けて水になりどこかに流れていくように全く消えてしまうということだって、ザラなのじゃからの。前線で戦っている人間にしてみれば、たまったもんじゃないわい」
衛玄も酒を飲んでくだを巻くように、ぐちぐち文句を垂れた。
今回も予定ならとっくに届いてなければならないはずの物資が全然まるっきり音沙汰がないことを考えると、多分その口だろう。あるいは途中で盗賊にでも奪われたのかもしれないが、どちらにしても前線に食料が届かず兵士たちが飢えていることに違いはない。
煬帝や彼が連れてきた寵姫、その世話をする者たちにはまだ充分に行き渡るだけの食料が残っているのだが、彼らがそれを一般の兵士たちに分けてくれる訳はない。もっともそのつもりがあったとしても、一〇〇万を超える数の兵士たち全員に分けられるほどの量ははないのだから同じことだが。
衛玄や辛世雄は十二将軍の一人だから、その気になれば一般兵士よりも多くの食料を得ることが出来る。どうしても欲しければ酒や茶を手に入れることも出来なくはないのであるが、二人とも兵士たちが飢えに苦しんでいるというのに自分たちだけいい思いをしたいなどと思うタイプではなかった。
「しかし……話は変わるでござるが先程投降してきた高句麗の乙支文徳将軍。衛将軍はあれをどう思うでござるか?」
「どう思うか、とは?」
衛玄が尋ね返すと、辛世雄は分かっているくせにと言いたげな視線を向けてくる。
「乙支文徳将軍は、降伏の使者としてこの本営にやって来たと言っていたでござるが。あれは果たして真実でござろうか?」
「偽りの降伏ではと、辛将軍はおっしゃりたい訳ですかの?」
辛世雄はこっくり頷いた。
「先程、拙者たちが乙支文徳将軍を司令官閣下のもとに送り届けた時。彼は鋭い目つきで周囲の様子や我々の姿を観察しているような気配がござった。本人は巧みにごまかしているつもりだったようでござるが、拙者たちの目は欺けないでござる」
「単に隋軍の様子がもの珍しくて見ていたのだ……という訳ではないじゃろうな。確かに」
衛玄もそのことには気づいていたので小さく首肯する。
「降伏してきた武将にしては、あの者の目は未だ闘志や戦意を失ってはいないようじゃった。じゃが、降伏がフェイクであったとして一体その目的は? あの者はなんのため降伏を装ってまでこの本営に?」
そう言うと、二人はそろって首を傾けた。しばしの後、辛世雄が自信がなさそうにだが再び口を開こうとする。
「考えられることと言えば、兵の士気や食料事情などを探りに来たのではないか、ということくらいでござるな。しかし、仮にも一軍の首魁たる者がそれだけのことのために、自ら単身で敵陣に乗りこんできたりするでござろうか?」
「普通なら、ありえないじゃろうな。じゃが相手はあの乙支文徳。『まさか!』が当たり前のように出てくる男じゃ。可能性は充分あるとしか言いようはないのう」
衛玄がぽつりとそう呟きかけると、天幕の外のほうで何者かがどたばたとやかましい足音を立てながら駆けてくるような音が聞こえてくる。なにごとかと眉をひそめているといきなり天幕の入口が開き、よく見知った顔が飛びこんできた。
元隋軍司令官であり、現在は副司令官職にある宇文述だった。
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