ハンリュウ! 〜隋帝国の野望〜

魔法組

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96 終章・またな!

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「でもまあ、確かにあいつの言うことにも一理ある。今回の戦いなんか、一から一〇〇まで乙支文徳ウルチ ムンドクに頼りっきりだったと言っても過言かごんじゃないからな。ちょっとくらい休ませてやってもいいだろう」

 国の復興ふっこう作業なら、ずい軍の侵攻しんこう中に口ばっかり偉そうに動かして散々文句を言っていたくせに、自分の頭や手足は全然動かさなかった重臣が大勢いるから、そいつらに乙支文徳の分までたっぷり汗を流してもらうさ、と嬰陽王ヨンヤンワンは言葉を続けた。

「それで陛下へいか。乙支文徳閣下かっかは結局どちらへ行かれたんです?」

「それが分からないんだよ、高建武コ チェンム。乙支文徳の奴。休暇をとって外国へ旅行に行くことは決めていたくせに、肝心かんじんの目的地は決めていなかったらしいんだ。そんなものは歩きながら決めればいいんだとか言ってたな」

「えーっ? そんないい加減な……」

「あいつのいい加減は、いまに始まったこっちゃない。そのせいで僕なんか散々迷惑をかけられたもんだよ。君だってそうじゃないのかい? あいつとは幼なじみな分、ぼくよりもつきあいが長いんだから分かるだろ?」

「……まあ。そう言われればそうなんですけどねえ」

 嬰陽王の言葉になにかを思い出したのか、高建武は苦笑とも微笑びしょうともつかない妙な笑いを浮かべながら、小さく肩をすくめた。

 その後。しばし三人ともえて言葉を発することはなく、石のような沈黙の時間が続いた。高建武はなんとなくと言うように窓の前に歩み寄り、この広い世界のどこかにいるであろう乙支文徳の姿を探すがごとく、地上を見渡した。少し遅れて大陽テ ヤンもそれにならい、さらに少し遅れて嬰陽王も同じように下界の景色をながめる。

「……いつか。帰ってきますよね?」

 誰に言うともなしに、高建武はぽつりとそう呟いた。

「当然だ。ここはあいつの故郷こきょうだからな」

 嬰陽王は平然と応える。そう。それだけは絶対に間違いない。あいつはいつか必ず、この国に戻ってくる。自分が守り抜いたこの国へ。あいつにとって大切な人が大勢いるこの国へ。あいつのことが大好きな人が沢山いるこの国へ。

「……おーい、乙支文徳ーーっ!」

 そう思った途端とたん。嬰陽王は両手を口元に当て、窓の外に向かって大声でそうさけび声をあげていた。隣では大陽や高建武が驚いたように目を丸くしているけれど構うことはない。嬰陽王はさらに言葉を続けた。

「早く帰ってこいよーっ! 高句麗の有給休暇はそんなに長くないんだからなー!」

「乙支文徳ーーっ!」

「乙支文徳閣下ーーっ!」

 嬰陽王の真似をしてと言う訳でもないだろうが、大陽と高建武も両手を口に当てて、嬰陽王に負けないくらいの大声をあげた。

「帰ってきたら、戦略せんりゃく戦術せんじゅつについて、もっと色々教えてくださいねー! 待ってますからねー! 絶対ですよー!!」

「お体に気をつけて下さーい! 寝冷ねびえしてお腹冷やしたり、その辺に落ちているものを食べたりしてお腹を壊したりしたら駄目ですよー! 元気に帰ってきて下さいね!!」

 代わる代わる、三人は乙支文徳に向かってそう声をかけ続けた。もちろん、どんな大声を出しても、それが乙支文徳に聞こえるはずはないと言うことは分かっていたけれど。

 それでも。嬰陽王と大陽と高建武は声がれるまで、大声でずっと叫び続けていた。

    ☆          ☆

「……ん?」

 平壌城の街を背にして、人の姿などはほとんどないうらぶれてさびれた街道を一人黙々もくもくと歩いていた乙支文徳は、誰かに名前を呼ばれたような気がしてついと後ろを振り返った。

 だがそこには人の姿はおろか、動くものの姿は鳥一羽虫一匹すら見ることは出来ない。気のせいかと思い、右肩にかけていた荷物を左肩にと移しながら、乙支文徳は再び歩みを進めた。

「さて。どこに行こうかな、と」

 歩きながら大きなあくびをして、乙支文徳はぽつりと呟いた。嬰陽王にも言ったことだが、旅に出ることは決めたものの目的地をどこにするのか全く考えていなかったのだ。

 まあ、目的のない旅というのも悪くない。適当にぶらぶら歩いて行って、目についた街があったらそこに向かって進むということでも構わないとも思う。だが方向音痴の乙支文徳のこと。あまりに適当に歩き続けていると知らない間にぐるりと一回りして、いつの間にか平壌城に戻ってしまったなんてことも充分にあり得た。

「せめて東西南北いずれに行くかくらい決めとくか。その後は基本的にその方向にだけ向かって歩いていけば、少なくともスタート地点に逆戻りなんてことだけはないだろう」

 さて、どうしようか。手軽なところでは南に行って新羅シルラ百済ペクチェの様子を見てくるのもいいだろう。西のほうにはシルクロードとやらを通って東洋にやって来た西洋人たちが多く商売をしている土地があると聞いたから、そちらに向かってみるのも面白い。北に進んで靺鞨まっかつ族などの騎馬きば民族に交じり、さらに北の寒い地域を旅して回るのも楽しそうだ。東なら海を渡って、国の風俗ふうぞく見聞けんぶんして回るというのも興味をひかれる話である。

 しばし考えた末、乙支文徳は地面をキョロキョロとさがし始めた。それから葉っぱが一枚だけついた木の枝を見つけると、おもむろにかがみこんでそれを拾い上げ、空に向かって勢いよく放り投げる。

 木の枝は空中でくるくると回転した後、バサリと軽い音を立てて地面に落ちた。乙支文徳はそれを確認すると木の枝の先、葉っぱのついている方角の先をじっとながめた。

「なるほど。こっちの方角か」

 乙支文徳は呟くと、小さく鼻歌などを口ずさみながら、そちらの方角に向かいゆっくりと歩を進め始めた。だが途中、一度だけ立ち止まってはるか後方にそびえる平壌城の威容いようを見上げると、かすかに微笑ほほえんでから右手を軽く振って見せた。

「じゃあ、またな!」

 もちろんその声が平壌城まで届く訳はないけれど。それでも満足しきった表情を浮かべて、乙支文徳は再び振り向くことはなくまっすぐに歩き続けていく。

                                                                                                              《了》





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