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第2話 政略結婚
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(……夢?)
さざなみが聴こえるなか、アザレアは目を覚ます。
ゆっくりアザレアは身体を起こした。ここは貴人のために用意された部屋で、軍船の中とは思えぬほど豪奢な空間だった。一人で眠るには広過ぎるベッドから這い出たアザレアは、微かな光が漏れる分厚いカーテンをそっと開ける。
「あっ……」
朝日を受け、煌めく海。その遥か先に大陸が見える。
昨日から季節風が吹いており、予定よりも半日以上早くブルクハルト王国へ到着するのではないかと、船長から昨夜説明を受けていた。
(ま、まだ、心の準備が……)
アザレアは早鐘を打つ胸を押さえる。
グレンダン公国大公の娘である彼女が、ブルクハルト王国へ向かっているその理由はただ一つ。
婚姻の為だった。
(ブルクハルト王国の筆頭貴族、イルダフネ侯爵家嫡子サフタール様……)
現在、グレンダン公国とブルクハルト王国は魔石鉱山の共同発掘を行っており、魔石鉱山のある領地を治めるイルダフネ家が調整役を担っていた。
アザレアは二国の友好のため、十八歳という若さでイルダフネ家へ嫁ぐこととなった。
アザレアは大公の娘。自分で好きな相手を選ぶことは出来ないと子どもの頃から覚悟していた。国の為ならば、親子ほど歳の離れた相手にだって嫁ぐ可能性があった。
結婚相手のサフタールは、アザレアと歳が二つしか離れていない。サフタールはまだ二十歳と若いが、誠実な人柄だと聞いている。
顔すら知らない相手に嫁ぐという典型的な政略結婚だが、年齢が近いそれも人柄が評価されている男に嫁ぐことが出来るというのに、アザレアの表情は冴えない。
(私はとても運が良かった……。でも、サフタール様は……)
アザレアは不義の子という疑いがある。一族の誰も持っていない髪色をしているからだ。
サフタールも、自分の存在を穢らわしいと思っているのではないか。ストメリナが言っていたように、厄介払いに使われたと考えているのではないか。
嫌な考えが次々に湧いてくる。
アザレアは胸に下げていたペンダントを握りしめる。ツツジを模した銀の飾りがついたそれは、彼女の母親の形見であった。
(お母様、どうか見守っていてください……)
◆
着替えを自分で済ませたアザレアは、食堂へ向かいながら考えていた。
今朝方見た夢のことだ。
十年前、ツツジが咲く中庭で出会った、回復魔法を使う少年。国の研究機関で調べれば、魔法で髪色を変えられるかもしれないと言っていたが、結局あれから一度も会えなかった。
だが、今アザレアはブルクハルト王国へ向かっている。
あの少年はブルクハルト王国の医法院で暮らしていると言っていた。
(もしかしたら、イルダフネ家であの子に会えるかもしれないわね)
ブルクハルト王国は魔法の研究が盛んで、魔石の一大産地であるイルダフネ領は特に魔法に力を入れている。
その力の入れようは並々ならぬものがあり、イルダフネ家は血統で跡継ぎを決めず、魔法の素養のある者を養子にし、領主としている程だ。
アザレアの婚約者であるサフタールも養子らしい。
家臣らも魔法の造詣が深い者ばかりだという。あの少年がイルダフネ家に関わっている可能性はあるだろう。
魔法のことを考えると、アザレアの胸はときめいた。
十年前、医法士の卵だと言う少年に出会ったのがきっかけで、アザレアも魔法を学ぶようになったのだ。
「アザレア! もう起きていたのね!」
廊下の向かいから、黒いローブを着たふくよかな女性が歩いてくる。
アザレアの姿を目に留めると、その顔がパッと明るくなった。
「ゾラ!」
「そろそろ起こしに行こうと思っていたのよ」
「ありがとう。一緒に食堂へ行きましょう」
ゾラはアザレアに魔法を教える教師だ。年齢は三十歳。肩まで伸ばした黒い巻き髪と、ぽっちゃりとした身体付きが特徴的な可愛らしい女性だ。
アザレアがブルクハルト王国に嫁ぐと聞き、自分も侍女としてついていくと言ってくれたのだ。
十年前、アザレアは思い切って父である大公に魔法を学びたいとお願いした。不義の子と噂されている自分の願いを聞き入れて貰えるのか不安だったが、父はなんとグレンダン公国の魔法研究所一の秀才と謳われていたゾラを魔法の教師にと連れて来てくれたのだ。
アザレアは自分のわがままに巻き込んでしまったと思い、ゾラに謝ったが、ゾラは「魔法研究所を辞めたいと思っていたところなので、ちょうど良かったです」とカラッと笑ったのだった。
ゾラはよくも悪くもマイペースで、誰に対しても物怖じしない女性であった。アザレアに嫌がらせを繰り返していたストメリナにさえ、堂々と意見した。
いつも明るく元気なゾラのおかげで、アザレアはどれだけ虐げられても卑屈にならず、素直さを失わずに済んだのだ。
(ゾラのおかげで、今の私がある……)
アザレアは何かと自分を助けてくれるゾラに対し、ただの教師以上の想いを抱いている。アザレアはゾラを姉のような存在だと思い、慕っているのだ。
「アザレア、窓の外を見た? 大陸がもう見えていて驚いたわ」
「ええ見たわ。早く着く分には良いと思うわ。遅刻したら大変だもの」
「それもそうね。ねえ、イルダフネ港についたら街を見て回らない?」
ゾラはブルクハルト王国出身で、母国に戻るのは十二年ぶりらしい。街を見て回りたいと言うその声は浮かれていた。
「いいわよ。私もイルダフネがどういうところなのか知りたいわ」
グレンダン公国にいた頃は、城から出ることはほとんどなかった。魔法の訓練をする時以外はずっと自室に引きこもっていたのだ。まともに話す相手はゾラぐらいで、部屋付きの使用人とすら必要以上に何かを話すことはなかった。
(……今までは閉じこもってばかりいたけれど、私は将来イルダフネの侯爵夫人になるのだもの。これからは積極的にならなきゃ)
アザレアはこの婚姻を機に、自分を変えたいと思っている。もう、自分を虐めていたストメリナは近くにいない。これからは気持ちを切り替えて生きていくのだ。
◆
グレンダン公国を出る前日の夜。
城内の廊下を一人歩いていたアザレアは、後ろから声を掛けられた。
「待ちなさいよ、アザレア」
棘のある声にアザレアは恐る恐る振り向く。
そこには前妻の娘のストメリナがいた。
ストメリナは腰まで伸ばしたワンレングスの銀髪を揺らしながらやってくる。
胸元が大きく開いた、身体に張り付くような黒いドレスを着たストメリナは、廊下中に漂うほどの強い薔薇の香りを纏わせていた。
アザレアは恐怖で俯くことしか出来ない。
「……あなた、イルダフネ侯爵家へ嫁ぐらしいわね。おめでとう」
祝いの言葉を贈られたというのに、少しも喜べない。
ゆっくりとしたストメリナの口調は冷たく、嫌味が含まれているのがありありと伝わってきたからだ。
「次期ご当主様に可愛がって貰えるよう、せいぜい媚びることね。……ああ、男をたぶらかすのは得意なんだっけ? あなたの母親も淫乱だったものね。お父様の後妻に入ったあと、裏では男漁りをするなんて……」
「お、お母様は淫乱じゃないわ……! そ、それに、サフタール様に媚びるだなんて……。この婚姻は二国の和平のためのものです」
亡き母を侮辱されたアザレアは咄嗟に言い返す。
自分のことを悪く言われるのはまだ耐えられるが、母のことは許せない。
必死の思いで言い返したアザレアに、ストメリナは一瞬キョトンとした顔をすると、すぐにプッと笑い声を漏らした。
(……一体何がおかしいのよ)
アザレアが冷や汗をかきながら立ち尽くしていると、ストメリナは笑いを堪えながらこう言った。
「アザレア、あなたまさか……この婚姻に使命感を持っているの? 無知って怖いわね」
アザレアは宰相から、此度の婚姻は魔石鉱山の共同発掘を行う二国の関係強化のためのものだと聞かされていた。
アザレアは大公の娘としての務めを果たそうと、意気込んでいたのだ。
「あなたの結婚はただの厄介払いよ。イルダフネ侯爵家は魔法の力さえあれば出自に拘らない家。父親が誰だか分からないあなたを押し付けるにはうってつけだっただけよ。ま、せいぜい次期ご当主様と仲良くやることね」
ストメリナはくすくすと笑いながら去っていく。
アザレアはこの結婚に使命感を持ちながらも、心のどこかでは厄介払いではないかと感じていた。
それを今、ストメリナにはっきり言われてしまった。
胸の奥にずんと重たいものを感じる。
だが、落ち込んではいられない。
(私は私の、為すべきことをしなくては……)
たとえ本当に厄介払いの結婚だったとしても、夫となる人やその家とは上手くやっていきたいと思っている。
この結婚を機に、重苦しかった自分の人生を変えたいのだ。
アザレアはドレスの上から胸元にあるペンダントを握りしめると、ぎゅっと瞼を閉じた。
さざなみが聴こえるなか、アザレアは目を覚ます。
ゆっくりアザレアは身体を起こした。ここは貴人のために用意された部屋で、軍船の中とは思えぬほど豪奢な空間だった。一人で眠るには広過ぎるベッドから這い出たアザレアは、微かな光が漏れる分厚いカーテンをそっと開ける。
「あっ……」
朝日を受け、煌めく海。その遥か先に大陸が見える。
昨日から季節風が吹いており、予定よりも半日以上早くブルクハルト王国へ到着するのではないかと、船長から昨夜説明を受けていた。
(ま、まだ、心の準備が……)
アザレアは早鐘を打つ胸を押さえる。
グレンダン公国大公の娘である彼女が、ブルクハルト王国へ向かっているその理由はただ一つ。
婚姻の為だった。
(ブルクハルト王国の筆頭貴族、イルダフネ侯爵家嫡子サフタール様……)
現在、グレンダン公国とブルクハルト王国は魔石鉱山の共同発掘を行っており、魔石鉱山のある領地を治めるイルダフネ家が調整役を担っていた。
アザレアは二国の友好のため、十八歳という若さでイルダフネ家へ嫁ぐこととなった。
アザレアは大公の娘。自分で好きな相手を選ぶことは出来ないと子どもの頃から覚悟していた。国の為ならば、親子ほど歳の離れた相手にだって嫁ぐ可能性があった。
結婚相手のサフタールは、アザレアと歳が二つしか離れていない。サフタールはまだ二十歳と若いが、誠実な人柄だと聞いている。
顔すら知らない相手に嫁ぐという典型的な政略結婚だが、年齢が近いそれも人柄が評価されている男に嫁ぐことが出来るというのに、アザレアの表情は冴えない。
(私はとても運が良かった……。でも、サフタール様は……)
アザレアは不義の子という疑いがある。一族の誰も持っていない髪色をしているからだ。
サフタールも、自分の存在を穢らわしいと思っているのではないか。ストメリナが言っていたように、厄介払いに使われたと考えているのではないか。
嫌な考えが次々に湧いてくる。
アザレアは胸に下げていたペンダントを握りしめる。ツツジを模した銀の飾りがついたそれは、彼女の母親の形見であった。
(お母様、どうか見守っていてください……)
◆
着替えを自分で済ませたアザレアは、食堂へ向かいながら考えていた。
今朝方見た夢のことだ。
十年前、ツツジが咲く中庭で出会った、回復魔法を使う少年。国の研究機関で調べれば、魔法で髪色を変えられるかもしれないと言っていたが、結局あれから一度も会えなかった。
だが、今アザレアはブルクハルト王国へ向かっている。
あの少年はブルクハルト王国の医法院で暮らしていると言っていた。
(もしかしたら、イルダフネ家であの子に会えるかもしれないわね)
ブルクハルト王国は魔法の研究が盛んで、魔石の一大産地であるイルダフネ領は特に魔法に力を入れている。
その力の入れようは並々ならぬものがあり、イルダフネ家は血統で跡継ぎを決めず、魔法の素養のある者を養子にし、領主としている程だ。
アザレアの婚約者であるサフタールも養子らしい。
家臣らも魔法の造詣が深い者ばかりだという。あの少年がイルダフネ家に関わっている可能性はあるだろう。
魔法のことを考えると、アザレアの胸はときめいた。
十年前、医法士の卵だと言う少年に出会ったのがきっかけで、アザレアも魔法を学ぶようになったのだ。
「アザレア! もう起きていたのね!」
廊下の向かいから、黒いローブを着たふくよかな女性が歩いてくる。
アザレアの姿を目に留めると、その顔がパッと明るくなった。
「ゾラ!」
「そろそろ起こしに行こうと思っていたのよ」
「ありがとう。一緒に食堂へ行きましょう」
ゾラはアザレアに魔法を教える教師だ。年齢は三十歳。肩まで伸ばした黒い巻き髪と、ぽっちゃりとした身体付きが特徴的な可愛らしい女性だ。
アザレアがブルクハルト王国に嫁ぐと聞き、自分も侍女としてついていくと言ってくれたのだ。
十年前、アザレアは思い切って父である大公に魔法を学びたいとお願いした。不義の子と噂されている自分の願いを聞き入れて貰えるのか不安だったが、父はなんとグレンダン公国の魔法研究所一の秀才と謳われていたゾラを魔法の教師にと連れて来てくれたのだ。
アザレアは自分のわがままに巻き込んでしまったと思い、ゾラに謝ったが、ゾラは「魔法研究所を辞めたいと思っていたところなので、ちょうど良かったです」とカラッと笑ったのだった。
ゾラはよくも悪くもマイペースで、誰に対しても物怖じしない女性であった。アザレアに嫌がらせを繰り返していたストメリナにさえ、堂々と意見した。
いつも明るく元気なゾラのおかげで、アザレアはどれだけ虐げられても卑屈にならず、素直さを失わずに済んだのだ。
(ゾラのおかげで、今の私がある……)
アザレアは何かと自分を助けてくれるゾラに対し、ただの教師以上の想いを抱いている。アザレアはゾラを姉のような存在だと思い、慕っているのだ。
「アザレア、窓の外を見た? 大陸がもう見えていて驚いたわ」
「ええ見たわ。早く着く分には良いと思うわ。遅刻したら大変だもの」
「それもそうね。ねえ、イルダフネ港についたら街を見て回らない?」
ゾラはブルクハルト王国出身で、母国に戻るのは十二年ぶりらしい。街を見て回りたいと言うその声は浮かれていた。
「いいわよ。私もイルダフネがどういうところなのか知りたいわ」
グレンダン公国にいた頃は、城から出ることはほとんどなかった。魔法の訓練をする時以外はずっと自室に引きこもっていたのだ。まともに話す相手はゾラぐらいで、部屋付きの使用人とすら必要以上に何かを話すことはなかった。
(……今までは閉じこもってばかりいたけれど、私は将来イルダフネの侯爵夫人になるのだもの。これからは積極的にならなきゃ)
アザレアはこの婚姻を機に、自分を変えたいと思っている。もう、自分を虐めていたストメリナは近くにいない。これからは気持ちを切り替えて生きていくのだ。
◆
グレンダン公国を出る前日の夜。
城内の廊下を一人歩いていたアザレアは、後ろから声を掛けられた。
「待ちなさいよ、アザレア」
棘のある声にアザレアは恐る恐る振り向く。
そこには前妻の娘のストメリナがいた。
ストメリナは腰まで伸ばしたワンレングスの銀髪を揺らしながらやってくる。
胸元が大きく開いた、身体に張り付くような黒いドレスを着たストメリナは、廊下中に漂うほどの強い薔薇の香りを纏わせていた。
アザレアは恐怖で俯くことしか出来ない。
「……あなた、イルダフネ侯爵家へ嫁ぐらしいわね。おめでとう」
祝いの言葉を贈られたというのに、少しも喜べない。
ゆっくりとしたストメリナの口調は冷たく、嫌味が含まれているのがありありと伝わってきたからだ。
「次期ご当主様に可愛がって貰えるよう、せいぜい媚びることね。……ああ、男をたぶらかすのは得意なんだっけ? あなたの母親も淫乱だったものね。お父様の後妻に入ったあと、裏では男漁りをするなんて……」
「お、お母様は淫乱じゃないわ……! そ、それに、サフタール様に媚びるだなんて……。この婚姻は二国の和平のためのものです」
亡き母を侮辱されたアザレアは咄嗟に言い返す。
自分のことを悪く言われるのはまだ耐えられるが、母のことは許せない。
必死の思いで言い返したアザレアに、ストメリナは一瞬キョトンとした顔をすると、すぐにプッと笑い声を漏らした。
(……一体何がおかしいのよ)
アザレアが冷や汗をかきながら立ち尽くしていると、ストメリナは笑いを堪えながらこう言った。
「アザレア、あなたまさか……この婚姻に使命感を持っているの? 無知って怖いわね」
アザレアは宰相から、此度の婚姻は魔石鉱山の共同発掘を行う二国の関係強化のためのものだと聞かされていた。
アザレアは大公の娘としての務めを果たそうと、意気込んでいたのだ。
「あなたの結婚はただの厄介払いよ。イルダフネ侯爵家は魔法の力さえあれば出自に拘らない家。父親が誰だか分からないあなたを押し付けるにはうってつけだっただけよ。ま、せいぜい次期ご当主様と仲良くやることね」
ストメリナはくすくすと笑いながら去っていく。
アザレアはこの結婚に使命感を持ちながらも、心のどこかでは厄介払いではないかと感じていた。
それを今、ストメリナにはっきり言われてしまった。
胸の奥にずんと重たいものを感じる。
だが、落ち込んではいられない。
(私は私の、為すべきことをしなくては……)
たとえ本当に厄介払いの結婚だったとしても、夫となる人やその家とは上手くやっていきたいと思っている。
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