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第8話 画策する女ストメリナ
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一方その頃グレンダン公国では、アザレアの異母姉のストメリナが、配下の報告に目を吊り上げていた。
「アザレアの誘拐に失敗したですって?」
魔道具製の通信機から伝えられる言葉に、ストメリナは真っ赤に塗りたくった唇を歪め、声を荒げる。
通信機の本体は箱型をしていて色は黒っぽい。箱の中央には金色に輝くラッパ型の拡声器がついていた。
「申し訳ありません、ストメリナ様。予定時刻よりも早く戦船はイルダフネ港へ到着し、賊の手配も問題なく出来ましたが、その……イルダフネ家のサフタール様が駆けつけてしまい」
「サフタールが?」
ストメリナの脳裏には騎士のような体格をした、一見すると魔法を使う者には見えない男の姿が浮かぶ。
(また、あの男が邪魔をしたのね……!)
ぎりっと奥歯を噛み締めると、ストメリナは「引き続き、アザレアの監視を続けなさい」とだけ言い、通信機の接続を苛立たしげに切った。
サフタールとは魔石鉱山の共同発掘絡みでも一悶着あったのだ。
「まったく、どいつもこいつも私の邪魔をして……!」
ストメリナはがりがりと銀色に輝く髪を掻く。
彼女には、ある企みがあった。
(アザレアは忌々しい後妻が産んだ不義の子だけど、一応は大公の娘……。アザレアに何かあれば、ブルクハルト王国との戦争の火種に出来ると思ったのに)
ストメリナはグレンダン公国を治める現大公の長女。我こそは次期大公に相応しいと考え、玉座に座ろうとしている。
だが、大公はそれをよしとはしなかった。
大公は腹心の臣下である、クレマティスを次期大公に据えるつもりだ。
クレマティスはグレンダン公国軍を率いる若き将軍で、現在二十八歳。彼の父親は現宰相で政にも明るい。彼こそが次代の大公に相応しいと大公は言い、戴冠に向けて準備を進めているのだ。
グレンダン公国は、約百五十年前に北にある帝国から一部の貴族が独立して出来た国。まだ歴史は浅く、国内の有力貴族の中から特に優秀な人物を選び出し、支配者──大公として戴いている。王家は存在しておらず、大公も世襲ではなかった。
ストメリナは、自分に流れる血が何よりも尊いものだと思い込んでいる。
ストメリナの父はグレンダン公国の大公、彼女を産んで亡くなった母は帝国の王女だった。
大公になった自分を中心としたグレンダン公国の王家を作り、末代までその血を伝える。それがストメリナの願いだ。
ブルクハルト王国と一度戦争になれば、魔法を扱える者は女でも召集される。ストメリナとて例外ではない。彼女は武功を上げ、父である大公に認められたいと考えていた。ついでに戦死に見せかけて憎きクレマティスを殺せれば万々歳だ。
大公はクレマティスのことを重用していて、ストメリナは嫉妬の炎を燃やし続けているのだ。
(アザレアを始末して戦争を起こし、クレマティスを戦死に見せかけて殺す……!)
ストメリナは長く伸ばした人差し指の爪を噛む。
(アザレアの穢れた血が、他国だからと言って残るのは許せない。サフタールとの間に子が出来る前に始末しなければ……!)
自分の血が尊いと考えるストメリナにとって、アザレアは許し難い存在だった。後妻の娘というだけでも忌々しいのに、一族にはない朱い髪をしている。
今は亡き後妻が不貞を犯したのは明らかで、ストメリナはアザレアを城から追い出したいと幼い頃から考えていたが、大公はそれを許さなかった。
(お父様は甘すぎるのよ……!)
大公は多忙で、二人いる娘と接することはほとんど無かった。だが、大公はアザレアの誕生日に小鳥を飼い与えたり、魔法研究所でも優秀だと評判の女を教師に付けた。アザレアの婚姻も、政略結婚とはいえ年齢が近い名門侯爵家の男と娶せている。
大公がアザレアに配慮をしていると思われることは今までいくつもあった。
(……私には、何もして下さらなかったのに)
一方ストメリナには、大公は何もしていない。彼女がさんざんねだっても、誕生日に贈り物をしたことは一度もなく、魔法の教師をつけてほしいと言っても聞き入れて貰えなかった。
ストメリナは「正妻の娘である私に期待するからこそ、お父様は厳しく接するのよ」と父の行動に対して解釈していたが、不満は心に溜まり続けている。
父への積もり積もった不満はすべて、アザレアへぶつけられていた。
(……絶対に、アザレアを殺す)
ストメリナの、灰が混じる青い瞳に陰鬱な光が宿った。
◆
同時刻、謁見の間へ向かって歩を進める男の姿があった。公国軍の将校の証である房飾りを胸に下げた、その男の表情は固い。
(アザレア様がイルダフネ港で賊に遭遇したとの報告があった。やはり、私もついていくべきだった……)
男の名はクレマティス。公国軍を率いる将軍であり、現宰相の息子でもある。光輝くような明るい金髪に、青空色の瞳を持つ美丈夫だ。
彼の表情が浮かないのは、大公から呼び出しを受けているだけではない。
アザレアの輿入れについて行かなかった、己の判断を悔いているのだ。
季節風に煽られた戦船は予定よりもずっと早くイルダフネ港に着き、兵達はアザレアとゾラを二人だけで桟橋に下ろした。自分がその場にいれば、絶対にそんな危険な判断はしなかった。イルダフネ家から迎えが来るまで、二人を戦船に留め置いただろう。
クレマティスは、輿入れの護衛の任に就かせて欲しいとアザレアに頼んだが、断られてしまっていた。
厳重すぎる警備で輿入れなどしたら、サフタールによく思われないかもしれないとアザレアは言い、クレマティスは後ろ髪を引かれる思いで戦船に乗る彼女を見送ったのだ。
賊に遭遇はしたが、幸いにもアザレアとゾラは無事で、その後イルダフネの城塞へ入ることが出来たと、ブルクハルト王国に常駐している間者から報告があった。
(アザレア様……)
クレマティスの脳裏には、沈んだ表情をして俯くアザレアの顔が浮かぶ。
ストメリナから度々嫌がらせを受けていた彼女は、暗い顔をしていることが多かったが、それでもクレマティスが話しかければ、笑顔になった。
無理をして笑っているのは明らかで、クレマティスはアザレアの笑顔を目にするたびに、どうにか自分の力で彼女を救ってやりたいと思っていた。
だが、その願いはとうとう叶わなかった。
クレマティスは大公から次期大公に推薦したいと告げられた際、アザレアをぜひ妻に欲しいと願い出た。
しかし、その願いを大公は受け入れなかったのだ。
『アザレアはこの国では幸せになれないだろう。隣国に、生まれを気にせぬ貴族家がある。イルダフネ家だ。そこの嫡男はアザレアと歳も近く、誠実な人柄だと評判だ。アザレアは、ブルクハルト王国のイルダフネ家へ嫁がせる』
アザレアはこの国では幸せになれない。それが大公がクレマティスの願いを退けた理由だった。
クレマティスではストメリナの魔の手からアザレアを守れないと大公は判断した。
(大公閣下のご判断は正しい……)
クレマティスがいくらアザレアを守ろうと息巻いていても、グレンダン公国軍の将たる彼は多忙だ。それに大公の座につけば、妻となったアザレアと一緒にいられる時間は僅かかもしれない。ストメリナはアザレアがクレマティスの妻になったところで嫌がらせをやめないだろう。こちらが強く注意したところで、どこ吹く風とばかりにアザレアへの悪行を続けるはずだ。
(ストメリナが死ねば……)
クレマティスはストメリナを暗殺することも考えた。だが、万が一自分が犯人だと明らかになれば、自分だけでなく家族にも影響が及ぶ。彼の父は宰相で、兄弟や親戚もこの国の要職に就いている。
彼は心の中で、自嘲した。
(……結局私は自分や家族が大事なのだ。保身ばかり考えて行動に移さない)
確かにこんな男ではアザレアを幸せに出来ないだろう。
そう思うのに、大きな喪失感が彼の胸に渦巻いていた。
「アザレアの誘拐に失敗したですって?」
魔道具製の通信機から伝えられる言葉に、ストメリナは真っ赤に塗りたくった唇を歪め、声を荒げる。
通信機の本体は箱型をしていて色は黒っぽい。箱の中央には金色に輝くラッパ型の拡声器がついていた。
「申し訳ありません、ストメリナ様。予定時刻よりも早く戦船はイルダフネ港へ到着し、賊の手配も問題なく出来ましたが、その……イルダフネ家のサフタール様が駆けつけてしまい」
「サフタールが?」
ストメリナの脳裏には騎士のような体格をした、一見すると魔法を使う者には見えない男の姿が浮かぶ。
(また、あの男が邪魔をしたのね……!)
ぎりっと奥歯を噛み締めると、ストメリナは「引き続き、アザレアの監視を続けなさい」とだけ言い、通信機の接続を苛立たしげに切った。
サフタールとは魔石鉱山の共同発掘絡みでも一悶着あったのだ。
「まったく、どいつもこいつも私の邪魔をして……!」
ストメリナはがりがりと銀色に輝く髪を掻く。
彼女には、ある企みがあった。
(アザレアは忌々しい後妻が産んだ不義の子だけど、一応は大公の娘……。アザレアに何かあれば、ブルクハルト王国との戦争の火種に出来ると思ったのに)
ストメリナはグレンダン公国を治める現大公の長女。我こそは次期大公に相応しいと考え、玉座に座ろうとしている。
だが、大公はそれをよしとはしなかった。
大公は腹心の臣下である、クレマティスを次期大公に据えるつもりだ。
クレマティスはグレンダン公国軍を率いる若き将軍で、現在二十八歳。彼の父親は現宰相で政にも明るい。彼こそが次代の大公に相応しいと大公は言い、戴冠に向けて準備を進めているのだ。
グレンダン公国は、約百五十年前に北にある帝国から一部の貴族が独立して出来た国。まだ歴史は浅く、国内の有力貴族の中から特に優秀な人物を選び出し、支配者──大公として戴いている。王家は存在しておらず、大公も世襲ではなかった。
ストメリナは、自分に流れる血が何よりも尊いものだと思い込んでいる。
ストメリナの父はグレンダン公国の大公、彼女を産んで亡くなった母は帝国の王女だった。
大公になった自分を中心としたグレンダン公国の王家を作り、末代までその血を伝える。それがストメリナの願いだ。
ブルクハルト王国と一度戦争になれば、魔法を扱える者は女でも召集される。ストメリナとて例外ではない。彼女は武功を上げ、父である大公に認められたいと考えていた。ついでに戦死に見せかけて憎きクレマティスを殺せれば万々歳だ。
大公はクレマティスのことを重用していて、ストメリナは嫉妬の炎を燃やし続けているのだ。
(アザレアを始末して戦争を起こし、クレマティスを戦死に見せかけて殺す……!)
ストメリナは長く伸ばした人差し指の爪を噛む。
(アザレアの穢れた血が、他国だからと言って残るのは許せない。サフタールとの間に子が出来る前に始末しなければ……!)
自分の血が尊いと考えるストメリナにとって、アザレアは許し難い存在だった。後妻の娘というだけでも忌々しいのに、一族にはない朱い髪をしている。
今は亡き後妻が不貞を犯したのは明らかで、ストメリナはアザレアを城から追い出したいと幼い頃から考えていたが、大公はそれを許さなかった。
(お父様は甘すぎるのよ……!)
大公は多忙で、二人いる娘と接することはほとんど無かった。だが、大公はアザレアの誕生日に小鳥を飼い与えたり、魔法研究所でも優秀だと評判の女を教師に付けた。アザレアの婚姻も、政略結婚とはいえ年齢が近い名門侯爵家の男と娶せている。
大公がアザレアに配慮をしていると思われることは今までいくつもあった。
(……私には、何もして下さらなかったのに)
一方ストメリナには、大公は何もしていない。彼女がさんざんねだっても、誕生日に贈り物をしたことは一度もなく、魔法の教師をつけてほしいと言っても聞き入れて貰えなかった。
ストメリナは「正妻の娘である私に期待するからこそ、お父様は厳しく接するのよ」と父の行動に対して解釈していたが、不満は心に溜まり続けている。
父への積もり積もった不満はすべて、アザレアへぶつけられていた。
(……絶対に、アザレアを殺す)
ストメリナの、灰が混じる青い瞳に陰鬱な光が宿った。
◆
同時刻、謁見の間へ向かって歩を進める男の姿があった。公国軍の将校の証である房飾りを胸に下げた、その男の表情は固い。
(アザレア様がイルダフネ港で賊に遭遇したとの報告があった。やはり、私もついていくべきだった……)
男の名はクレマティス。公国軍を率いる将軍であり、現宰相の息子でもある。光輝くような明るい金髪に、青空色の瞳を持つ美丈夫だ。
彼の表情が浮かないのは、大公から呼び出しを受けているだけではない。
アザレアの輿入れについて行かなかった、己の判断を悔いているのだ。
季節風に煽られた戦船は予定よりもずっと早くイルダフネ港に着き、兵達はアザレアとゾラを二人だけで桟橋に下ろした。自分がその場にいれば、絶対にそんな危険な判断はしなかった。イルダフネ家から迎えが来るまで、二人を戦船に留め置いただろう。
クレマティスは、輿入れの護衛の任に就かせて欲しいとアザレアに頼んだが、断られてしまっていた。
厳重すぎる警備で輿入れなどしたら、サフタールによく思われないかもしれないとアザレアは言い、クレマティスは後ろ髪を引かれる思いで戦船に乗る彼女を見送ったのだ。
賊に遭遇はしたが、幸いにもアザレアとゾラは無事で、その後イルダフネの城塞へ入ることが出来たと、ブルクハルト王国に常駐している間者から報告があった。
(アザレア様……)
クレマティスの脳裏には、沈んだ表情をして俯くアザレアの顔が浮かぶ。
ストメリナから度々嫌がらせを受けていた彼女は、暗い顔をしていることが多かったが、それでもクレマティスが話しかければ、笑顔になった。
無理をして笑っているのは明らかで、クレマティスはアザレアの笑顔を目にするたびに、どうにか自分の力で彼女を救ってやりたいと思っていた。
だが、その願いはとうとう叶わなかった。
クレマティスは大公から次期大公に推薦したいと告げられた際、アザレアをぜひ妻に欲しいと願い出た。
しかし、その願いを大公は受け入れなかったのだ。
『アザレアはこの国では幸せになれないだろう。隣国に、生まれを気にせぬ貴族家がある。イルダフネ家だ。そこの嫡男はアザレアと歳も近く、誠実な人柄だと評判だ。アザレアは、ブルクハルト王国のイルダフネ家へ嫁がせる』
アザレアはこの国では幸せになれない。それが大公がクレマティスの願いを退けた理由だった。
クレマティスではストメリナの魔の手からアザレアを守れないと大公は判断した。
(大公閣下のご判断は正しい……)
クレマティスがいくらアザレアを守ろうと息巻いていても、グレンダン公国軍の将たる彼は多忙だ。それに大公の座につけば、妻となったアザレアと一緒にいられる時間は僅かかもしれない。ストメリナはアザレアがクレマティスの妻になったところで嫌がらせをやめないだろう。こちらが強く注意したところで、どこ吹く風とばかりにアザレアへの悪行を続けるはずだ。
(ストメリナが死ねば……)
クレマティスはストメリナを暗殺することも考えた。だが、万が一自分が犯人だと明らかになれば、自分だけでなく家族にも影響が及ぶ。彼の父は宰相で、兄弟や親戚もこの国の要職に就いている。
彼は心の中で、自嘲した。
(……結局私は自分や家族が大事なのだ。保身ばかり考えて行動に移さない)
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そう思うのに、大きな喪失感が彼の胸に渦巻いていた。
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