七年越しに叶った初恋は、蜂蜜のように甘い。

野地マルテ

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歳の差、十三の初恋

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 何度指折り数えただろう。
 十三という数字は、まだ十代の自分には途方もない差に思えた。何せ、両手の指だけでは本数が足りないのだ。

 私には、子どもの頃からずっと密かに想い焦がれている相手がいた。
 その相手は、侯爵家うちの長兄の親友だった。

 アセル・ファートナ。ファートナ伯爵家の嫡男で、手足が長く、すらりとした体躯と蜂蜜のように黄金に輝く髪をもつ、甘やかな美形の貴公子だ。

 アセルと私が出会ったのは、まだ私が十歳、彼が二十三歳の時。出会って一目で恋に落ちて、彼がうちの長兄と同い年だと聞いて、私はすぐさまこの恋を諦めようとした。
 二十三歳の貴族家嫡男。アセルはいつ結婚してもおかしくない年齢だったから。
 しかし出会ってから七年経っても、彼は何故か独身のままだった。
 そう、アセルは文字通りの独身貴族を貫いていたのだ。

「はあ……」
「どうしたんだ? フラウディナ。珍しくため息なんかついて」
「何でもないわ……、ただ」
「ただ?」
「アセルは結婚しないまま、三十歳になっちゃったなと思って」

 私の目の前にいる目も眩むような美男子は、なっがい黄金の睫毛をぱたぱたさせている。きょとんとしていてもカッコいいだなんて、ほんと美形はズルいと思う。

 アセルは今日で三十歳になった。
 まだ、おじさんになる気配はない。

 美形は三日で飽きるというが、アセルは会うたびに新たな恋に落ちてしまいそうになるくらい、素敵な容貌をしていた。
 美しいカーブを描く輪郭に、我が目を疑うほどに整った顔の造作。少し焼けた肌には艶があり、三十歳にはとても見えない。何より目を引くのが、癖のないサラサラの明るい金髪である。羨ましい。
 こんな華やかな美男子が、三十歳まで独身だなんて誰が信じるだろうか。
 うちのちょっとコワモテでごつい兄でさえ、結婚適齢期である二十五歳ですんなり結婚出来たのにと思うと、ため息が止まらなかった。

「……それで君がため息か? 君は俺の母親みたいだな」
「うちのお兄さまも心配してるのよ。ファートナ家の後継はどうするつもりなんだアイツは──って」

 うちの兄とアセルは全寮制の士官学校時代の同級生で、長い付き合いがある。我が家の嫡男である兄はとっくにお嫁さんを貰って二人の子の父親なっているのに、同い年のアセルはというと、未だに独身で、しかも恋人の噂すらない。

 ──もしかして、アセルは男色家なんじゃ。

 親友の妹である私ですら、ちょっと心配になる状況だった。貴族家の嫡男なのに三十路になっても恋人の噂すら無いなんて。女性に興味が無いのでは? なんて思わず下世話なことを勘繰ってしまう。

「……後継か。結婚したらしばらくは二人だけの生活を満喫したいな。そう思わないか? フラウ」
「そんな悠長なことを言ってる場合? アセルはもう三十歳じゃない。すぐにでもお嫁さんを貰わないと、おじいさんになっても隠居できないわよ」
「厳しいな、フラウは」

 ぱちぱちと、小さく弾ける泡が浮いた細身のグラスを手にしながら、アセルはくくっと喉を鳴らして苦笑いする。

「そういうフラウはどうなんだ? あと三ヶ月で十八じゃないか」
「私は王宮で働く予定よ。お父さまからは結婚も恋愛も仕事も、自由にしていいって言われているし」

 十八になったら、私は王宮で侍女をする予定になっている。私は侯爵家の末娘。父も婚約者をわざわざ決めるのが面倒だったのか何なのか分からないが、私に関しては昔からかなり放任主義だった。
 自分のことは何でも自分でするように躾けられた事以外は、特にうるさく言われることもなく、私はこの歳までのびのび育った。

 ──なんとなく、理由は分かるけど。

 私は後妻の娘で、赤ん坊のころに亡くなった母はあまり身分の高いひとではなかったらしい。その上、私はお世辞にも美人とは言えない顔立ちをしている。瞼に線が入っているのがほとんど分からない奥二重に、薄い唇。普段は厚い化粧で誤魔化しているが、閨でスッピンになったら旦那様に詐欺だと罵られそうだ。
 顔が地味で母の後ろ盾もない私は、政略結婚に不向きなのだろう。

「侯爵家のお嬢様が王宮勤めか……。身分が高すぎて浮かないか?」
「そんなこと……。王宮には私程度の元お嬢様はたくさんいらっしゃるわよ、きっと。それにお父様は、私では、貴族家の厳しいお見合い戦線や社交界で相手を見つけられないとお考えなのよ」

 華やかな社交の場で、ぽつんと壁の花になっている自分をふと想像し、ぞっとする。成果の上がらない出逢いの場に繰り出すより、働いたほうがずっとマシである。王宮での出逢いにワンチャンかけたほうがいい。それにたとえ結婚出来なくても、王宮勤めの経験があれば一生食いっぱぐれる事は無いだろう。


 ──本当はアセルの奥さんになりたかったけど。

 淡い期待が脳裏をかすめ、慌てて首を横に振る。こんな素敵な人が私を選ぶわけがなかった。アセルがいつまで経っても結婚しないから、私も初恋を諦めきれないのだ。

 アセルには何かあるのだろう。十三も歳下の私など、到底入り込めない深い事情が。でなければ、三十歳の節目の誕生日にわざわざ私を食事ランチに誘ったりはしないはずだ。
 私は親友の妹だ。それなりに長い付き合いがあり、二人きりでも気兼ねなく誘える相手。人には言えない本命を隠すためのダミーではないか? ……そう考えると、せっかくの美味しい料理の味が分からなくなってきた。

 気分が落ち込みそうになり、ふと隣に視線を移す。人の背丈程もある大きなガラス窓からは、柔らかな日の光が注がれている。窓から見える景色は絶景とは言えないが、青々とした木々の間から、小川がさらさら流れる風景は見ていて心が落ち着いた。前方に見える滑り出し窓が少しだけ空いていて、川のせせらぎが聞こえてくる。

 うちの屋敷のすぐ側にある自然派レストランで、私たちは二人きりでランチを摂っていた。
 ここはなじみの店という程でもないが、アセルと二人で何回か来たことがある。椅子が大きめで裾が広がったドレスでも座りやすいので気に入っていた。

 ──アセルは今夜のディナーを誰と愉しむのかしら。

 誕生日の食事とはいえ、もしかしたらこのランチにたいした意味は無いのかもしれない。……ディナーなら、まだしも。

 アセルに、私の知らない誰か大切な人がいるのかも──根拠のない不安が常に胸に広がるのは、それだけ私は彼に未練があるのだ。
 表向きはアセルの結婚の心配をしておきながら、心の奥底では、彼を誰かに取られたくないと思っている自分が嫌だった。


「……フラウは可愛いよ。七年前、木の上で子猫を抱える君を見て、一目でいいなと思った」
「そんなこともあったわね」

 私とアセルの出逢いは、あまり人に言えるようなものでは無かった。
 何せ、私は木の上にいたのだから。
 いくら自由奔放に育っているお嬢様とはいえ、侯爵家の令嬢が木登りしているのはかなり問題がある。
 私は木に登って降りられなくなっている子猫を助けている最中だった。ミーミー鳴く真っ白な仔を腕に抱き、さてどうやって降りようかと考えていた時、偶然通りかかったのがアセルだ。

「……あの後、君がまだ十歳だと聞いて驚いたな。フラウは大人っぽい子だったから、あとせいぜい三、四年もすれば迎えにいけると思っていたのに」

 ホワイトソースがかかった白身魚にナイフを入れながら、アセルは冗談にもならないような言葉を口にし、ため息をつく。
 昔からアセルはそうだった。おぼこな私に思わせぶりな事を言って、私の顔色が変わるのを楽しんでいるのだ。年若い女のほのかな恋心を弄るなんて悪趣味だと思うが、十三も歳が離れているからこそ出来る戯れかもしれない。

「残念ね……。もう少し歳が近かったら良かったのに。私はもう……」
「えっ、フラウにはもしかして、もう男がいるのか……?」
「ふふっ、どうかしら?」

 口の端をつり上げ、目の前にいる美丈夫に思わせぶりに微笑む。アセルは辺境地を管理する家の次期領主だ。うちの兄と同じく、民を守るために剣や槍をふるうこともある。フロックコートの上からでも体格が良いことが分かる見目麗しい男が、ぱっとしない若いだけの女の言葉に戸惑う様子は少し滑稽だ。

「フラウは歳の近い男のほうがいいのか? 俺のようなオッサンは恋愛の対象にならないのか?」
「好きになってしまえば、年齢なんか関係ありませんよ。いつもそう言っているでしょう?」

 この問いも、今まで何度となく繰り返されてきたものだ。
 男の人は、なぜ年若い世間知らずな女性を揶揄うのが好きなのだろうか? 本当に理解ができない。
 思わせぶりな冗談を言われたのだから、私は顔を赤らめるべきなのかもしれないが、アセルとは七年もの付き合いがある。今更何を言われたところで照れる気にもなれない。

「アセルはおじさんじゃないわ。告白されれば、好きにならない女性はいないわよ」
「フラウも?」
「……そうね」

 ──大好きよ。

 ずっとずっと、七年前から好きだったアセル。気持ちだけでも伝えられたら……と何度思ったことか。
 しかし私はアセルよりも十三も歳下で、親友の妹という立場があった。想いを伝えたら最後、この心地よい関係が崩れてしまうのではないか? アセルに避けられてしまうのではないかと思い、怖かった。
 アセルに逢えなくなるぐらいなら、お節介な親友の妹を演じ続けたほうがマシだ。この立ち位置を維持出来れば、アセルが今後結婚したとしても、逢うことは可能なはずだ。
 そんな浅ましいことを考えていたら、アセルは音を立てることもなくナイフとフォークを斜めにして皿の上に置いた。
 なんだろう? と思い顔をあげると、青空のような瞳が、まっすぐ私をとらえた。


「好きだ」

 
 たった今、自分の頭のなかに浮かんだ言葉が対岸から聞こえ、ひゅっと息をのむ。長年燻り続けてきた想いを口にしてしまったのかと思い、動揺のあまり両手で唇を覆った。そんなわけはない。でも、アセルの台詞だとも思えなかった。

「アセル……」
「なあ、フラウディナ。俺たち、結婚しないか?」

 アセルの三十歳の誕生日。節目の日。
 長年の憧れの人から思いがけないプロポーズを受けた私は驚きのあまり──気を失った。

 目の前がいきなり、すうっと暗くなり、このまま倒れたらいけないと思い、とっさに椅子から降りて、そのまま──崩れ落ちるように私は意識を手放した。
 
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