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今朝も聞こえる夫の本音
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「おはよう、チェチナ。良い朝だね」
「おはようございます、旦那様」
チェチナは十九歳。伯爵家当主の夫ウィンストゲンと結婚して今日で十日目になる。
彼女は貴族家出身の令嬢にしては快活な性格で、比較的誰とでも仲良くなれる性質の持ち主だったが、夫と向かいのテーブル席につく彼女の表情は浮かない。
《今日も今日とて、チェチナと何を話したら良いのだろうか……。家同士の付き合いだから仕方が無いとはいえ、十歳も年下の女の子を娶ることになってしまうだなんて……。はぁ、今朝も憂鬱だ》
突然聞こえてきたため息混じりの声にチェチナはバッと顔を上げる。が、目の前にいる夫はため息をついているどころか、珈琲を飲みながら穏やかな表情を浮かべていた。
(や、やっぱり、今朝も聞こえるわ……)
チェチナの背に汗がじわりと滲む。やはり、気のせいではない。
彼女はこの十日間、新婚の夫の心の声が聞こえるという、何とも摩訶不思議な現象に悩まされていた。
◆
「チェチナ、明日は休みが取れそうなんだ。天気もよさそうだし、街へ買い物に出ようか」
「本当ですか? 嬉しいです!」
食後、二人は腹ごなしに中庭を散歩していた。端から見れば微笑ましい光景も、夫ウィンストゲンの本音が聞こえてしまっているチェチナの心中は複雑だった。
《こんなおじさんと買い物へ行っても楽しくないだろうな……。うん、私は財布に徹しよう》
ウィンストゲンは柔和な笑みを絶やさないが、心の声は自虐に満ち満ちている。
彼の心の声を聞いてしまったチェチナは下唇を噛む。
(ウィンストゲン様はおじさんなんかじゃないわ……!)
チェチナは全力で否定したかったが、心の声が聞こえると知られたら、気味悪がられて離縁されてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
ウィンストゲンはチェチナにとって憧れの男性だった。いつも社交の場では遠くから眺めることしか出来なかったが、誰に対しても優しく落ち着いた対応をするザ・大人の男である彼のことがこっそりいいなと思っていたのだ。
ウィンストゲンは自分のことを『おじさん』だと卑下しているが、彼はまだぎりぎり二十代である。外見もすらりと背が高く身体付きも均整が取れていて、軍人のような体型をしていた。艶のある黒髪に、長いまつ毛に縁取られた瞼からは闇色の瞳が覗く。スッと通った鼻梁に整った口許が印象的な美男子だ。顔立ちは整っているが、人の良さそうな笑みを絶やさないので、いつも人に囲まれている。
一応此度の婚姻は貴族家同士の繋がりを持つためとされているが、チェチナの気持ちを知った両親が娘可愛さに半端無理やり縁を結んだものだ。
娘の幸せを願う両親のためにも、ここはウィンストゲンと何が何でも仲良くなりたい。
気合いを入れたチェチナはふんと息を吐いた。
「旦那様。私、舞踏会のドレスを新調したいと思っているのです。街へ買い物に出るついでに選んで頂けませんか?」
舞踏会のドレス選びは新婚夫婦にとってありがちなお出かけイベントである。それにウィンストゲンの心の声が聞こえるという、何ともありがた迷惑な現象を上手く活用出来るかもしれない。夫のドレスの好みを知ることが出来るかもしれないのだ。
「ああ、いいよ」
「わぁっ、ありがとうございます」
柔らかく微笑みながら頷くウィンストゲンに、チェチナが手を叩いて喜んだのも束の間。即座に彼の本音が飛んできた。
《私は子どもの衣装には詳しくないんだが……。ドレス選びに付き合っても大丈夫だろうか?》
子どもの衣装、の言葉が、チェチナのあまり膨らんでいない胸にぐさりと突き刺さる。妻の舞踏会のドレスを子どもの衣装とは。しかもバカにした感じではなく、あきらかに困っている様子だ。
(ウィンストゲン様は、いったい私がいくつだとお思いなのかしら……)
結婚してまだ十日だが、ウィンストゲンは優しい。いつも柔らかな笑みを絶やさない大人の男性だ。表向きはチェチナを伴侶と認め、対等な関係を築こうとしてくれているが、心の中では彼女のことを完全に子ども扱いしていた。
それがチェチナは悔しくて堪らない。
どうにかして、夫に自分のことを一人前の女性として認めさせたい。彼女は心の中でぐぬぬと唸った。
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