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離ればなれになりたくない
「えっ! ……これからは王城勤務になるんですか⁉︎」
「ああ、陛下の勅命らしい」
王城から戻った夫を出迎えた彼女は、夫から告げられた言葉に絶句する。
いきなり愛する夫と別居することになったからだ。
「これからは夏と冬の休暇にしかこちらへは戻れない。息子のことを頼む」
「随分と急な話ですね……」
「そうでもない。先王陛下が崩御されてもう一年になる。遅いぐらいだ」
「いつ、王城へ行かれるのですか?」
「明日の早朝にはここを立つ」
淡々と紡がれる夫の言葉に、彼女は息を呑む。そして、眉尻を下げてしゅんと俯く。
王城からの急な呼び出しに嫌な予感はしていた。
「寂しくなりますね」
「エミリオは泣くかもしれないな」
彼らは共に三十代の夫婦だった。彼女の名はリオノーラ。ティンエルジュ侯爵家の跡取り娘だ。
かつて社交界では白薔薇の妖精などと呼ばれていたこともあったが、四人の子持ちとなった今では見る影もない。少々背が低く、腰まわりが太めなどこにでもいる女性だ。
そんなリオノーラの夫の名は、アレス・デリング。彼女の歴とした伴侶で入り婿ではあるが、彼は妻の実家を継ぐことが出来ず、父方の家名を名乗っている。職業は近衛部隊所属の騎士。
アレスはつい最近まで妻の実家領であるティンエルジュ領の見回りの任に就いていたが、先王が亡くなり、国が新たな王を戴いたことで王家の護衛を担う近衛部隊の編成が大きく代わり、此度の人事異動で王城勤務となった。
妻のリオノーラは普通の域を出ない平凡な外見をしているが、夫のアレスは皆が皆、ハッと振り向くほどの美形だった。短く整えられた艶やかな黒髪に、切れ長の瞼から覗く深緑の瞳。整った小さな顔にすらりとした長身の持ち主で、細身の騎士服を颯爽と着こなしている。
「夏と冬の休暇にしかティンエルジュに戻れないだなんて……。私たちもこの屋敷を出て王都で暮らします!」
愛する夫と離れて暮らすだなんて耐えられない。
十八歳の時に結婚して、早十年以上。三十代になった今でも変わらず夫のことを愛し続けているリオノーラは、即座に幼い息子を連れて自分も王都へ行く決断をした。
すでに上の娘三人は進学の為、このティンエルジュ領を出ている。これを機に自分と息子も王都へ行けば、家族皆で集う機会が増えるのではないか。
そう考えアレスへ提案したが、彼の表情は浮かない。
「君の申し出はありがたいが、駄目だ」
「だめ……? どうしてですか?」
「末っ子のエミリオはまだ小さいし、君はここでの仕事があるだろう?」
「うう……」
リオノーラは頭を抱えた。彼女は夫が家を継げない分、実家領の運営の一部を担っている。端的に言って、むちゃくちゃ忙しい。
「いいえ! なんとかします!」
文字通り手で頭を抱えていたリオノーラは、両手の拳をぎゅっと握りしめるとそれを勢いよく振り下ろした。
しかし、アレスは無表情で首を横に振る。
「なんともならないだろう。まず、義父上の許しが出ない」
「そんなことないです。私は王都での仕事も持っていますし、お父様の説得ぐらい出来ますよ!」
「無理はするな」
アレスはそう言うと、リオノーラに背を向けて奥の部屋へ入ってしまった。
彼の少々そっけない態度に、もしかして付いて来て欲しくないのでは? とリオノーラは一瞬心配になるが、ぶんと頭を振る。
(旦那様はシャイなだけよ。本当はこれからも私やエミリオの側にいたいのに、上手く態度や言葉に出せないのよ、きっと。まったくいい歳して不器用な人なんだから!)
と、都合よく解釈して、幼い息子と二人、王都へ移り住むための算段をする。アレスは王の警護にあたるため王城敷地内に住むが、王城で働くわけではない自分は一緒には暮らせないだろう。なんとか王城の近居で暮らせればいいが。
王城近隣の借り屋敷の家賃は恐ろしく高額だ。もちろん払えなくはないが、出来れば節約したい。それに屋敷を借りるとなると人手も必要になる。息子と二人、お手頃な賃料のところに住む方法は無いだろうか。
リオノーラは顎に手を当てて天井を見上げる。
そして、彼女は一つの案を思いつく。
「……母子寮」
王城の周辺にはいくつか母子寮が建っている。
母子寮とは、王城内で働く男性の家族や、単身赴任中の夫や父親を持つ女性や子どもが暮らすための施設で、家賃は格安だ。ティンエルジュ家も近々王都に母子寮を建設予定で、施工管理者を選定している最中だった。
そうだ、母子寮で暮らそう。と、リオノーラはぽんと手を打つ。
一番下の息子のエミリオには、つねづね市井の暮らしに触れて欲しいと思っていた。母子寮暮らしは息子にとっても良い機会になるのではないか。
リオノーラの父親であるティンエルジュ侯爵は、娘と孫の王都の母子寮移住を良く思わないかもしれないが、『新しく建てる母子寮をより皆が使いやすい施設にするために、実際に母子寮で暮らして実態を調査したいのです』とかなんとか言えば、屋敷を出る許可は降りるのではないか。エミリオのことも、進学前に王都の生活に慣らすためと言えば、なんとかなりそうだ。
そうと決まれば、早速自分達も王都移住の準備をしなくては。リオノーラは自分の部屋へ向かって小走りした。
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