鏡の城の魔導士 ~魔法が効かない少女と時空の謎~

宵町あかり

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第10話 王都からの使者

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 鏡の城に静かな朝が訪れていた。

 昨夜の聖域での出来事から一夜明け、アイリスは城の屋上で朝の風を感じていた。記憶に刻まれた古代の記録は、まるで重い宝物のように胸の奥に眠っている。石の手すりに手を置くと、夜露で濡れた冷たい感触が指先に伝わってきた。

「おはようございます」

 階段を上がってきたジークが、穏やかに声をかけた。

「おはようございます、ジークさん」
アイリスが振り返る。

「朝の空気って、清々しいですね」

「ああ。君の心境はどうだ?昨夜のことで、随分と重いものを背負うことになったが」

 ジークの言葉に、アイリスは少し考えてから答えた。

「重いです。でも、一人じゃないから大丈夫です」

 その素直な答えに、ジークは微笑んだ。しかし、その笑顔の奥で、リオを守れなかった自分への苛立ちが疼いている。

「そうだな。私がいる。今度こそ、君を守り抜く」

 レイナも屋上に姿を現した。

「おはよう、二人とも。私も眠れなくて......昨夜の記録のことを考えていたら、頭の中がぐるぐるしちゃって」

「レイナさんも同じですね」
アイリスが安心したように言う。

「私だけじゃなかったんだ」

 三人は並んで朝の景色を眺めていた。城の庭園では、早朝の手入れをする職員たちの姿が見える。平和な日常の風景が、昨夜の重大な出来事を遠い夢のように感じさせる。

「今日はどうしましょうか?」
アイリスが尋ねる。

「そうだな。まずは——」

 ジークが答えかけた時、城内に響く鐘の音が彼らを遮った。三回の短い音。これは来客を知らせる合図だった。

「珍しいですね」
レイナが首をかしげる。

「この時間に来客なんて」

 三人は急いで城内に向かった。石段を駆け下りる足音が、朝の静寂に響いている。

   * * *

 城の正門には、見慣れない馬車が止まっていた。

 黒い漆塗りの車体に金の装飾が施された、明らかに高級な馬車だった。車体には王国の紋章が刻まれている。

「王都からですね」
バルドが緊張した面持ちで近づいてきた。

「かなり位の高い方のようです」

 馬車から降りてきたのは、深紅のローブを纏った中年の男性だった。威厳のある顔立ちで、目の奥に鋭い知性の光を宿している。

「鏡の城管理者クラティア・ラルゼン殿はいらっしゃいますか?」

 男性の声は朗々として響いた。

「はい、私がクラティアです」

 クラティアが姿を現す。いつもの穏やかな表情だが、どこか警戒の色が見える。

「王都魔導院上級顧問、エドワード・グランフィールドと申します」

 男性は丁寧に頭を下げる。

「この度、王都より重要なお話がございまして、参りました」

「王都から......」
クラティアの表情が微かに曇る。

「どのようなご用件でしょうか?」

「こちらにいらっしゃるという、アイリス・ノルヴェイン嬢にお会いしたく」

 エドワードの視線が、アイリスに向けられた。

 アイリスは思わず身を縮めた。突然名前を呼ばれて、何が起こっているのか理解できずにいる。

「私......ですか?」

「はい」
エドワードが優雅に頭を下げる。

「王都より、正式にお招きしたく参りました」

「招き?」
ジークが前に出る。

「いったい何の用で?」

「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「ジーク・ヴァルドナインです。彼女の保護者として同行しています」

 エドワードの目に、一瞬の認識の光が宿った。

「ヴァルドナイン......存じ上げております。リオ・ノルヴェイン氏の親友でいらっしゃいましたね」

「ええ」
ジークの表情が厳しくなる。

「それで、アイリスに何の用が?」

「詳しいお話は、内部でさせていただければと思いますが」

 エドワードは慎重に言葉を選んでいる。

「王国としても、大変重要な案件でございます」

 クラティアとジークが視線を交わした。何かを警戒している様子が見て取れる。

「分かりました」
クラティアが決断を下す。

「応接室へどうぞ」

   * * *

 応接室に集まったのは、エドワード、クラティア、アイリス、ジーク、レイナ、そしてバルドだった。

 重厚な木製のテーブルが、会議の緊張感を演出している。椅子に座ると、革張りのクッションが体に馴染んだ。

 エドワードは改めて一同を見回してから口を開いた。

「まず、お集まりいただいた皆様に感謝申し上げます」

 彼の言葉遣いは丁寧だが、どこか計算された印象がある。

「この度、王都にて特別な研究プロジェクトが立ち上がりまして、アイリス嬢にぜひご協力いただきたく」

「研究プロジェクト?」
レイナが身を乗り出す。

「どのような内容ですか?」

「魔法無効体質に関する包括的研究です」

 エドワードの言葉に、一同の空気が張り詰めた。

「アイリス嬢のような特異な体質は、学術的にも非常に貴重で......」

「研究材料として、ということですか?」
ジークの声が低くなる。

「いえいえ、決してそのような」
エドワードが慌てて手を振る。

「あくまで協力者として、です」

 しかし、その言葉に込められた微妙なニュアンスを、アイリス以外の全員が察知していた。

「具体的には、どのような協力を?」
クラティアが尋ねる。

「王都の魔導院にて、数週間の滞在をお願いしたく。最新の魔導技術による詳細な検査と、いくつかの実験への参加を」

「実験......」
アイリスが不安そうにつぶやく。

「ご安心ください」
エドワードが優しく微笑む。

「決して危険なものではありません。アイリス嬢の体質を理解し、より良い支援方法を見つけるための研究です」

 だが、その笑顔の奥に隠された意図を、経験豊富な大人たちは感じ取っていた。

「もちろん、王国からの正式な要請でもあります」

 エドワードが懐から文書を取り出す。王室の印璽が押された、格式高い書面だった。

「お断りした場合は?」
ジークが直截に尋ねる。

「お断り?」
エドワードが困ったような表情を見せる。

「王国の正式な要請を断るということは......」

 言葉の後に続く含みが、部屋の空気をさらに重くした。

 アイリスは周りの大人たちの表情を見回していた。みんなが何かを心配している。でも、自分には何が問題なのかよく分からない。

「あの......」
アイリスが小さく手を挙げる。

「私が行けば、皆さんは安心するんですか?」

 その純粋な質問に、エドワードの表情が一瞬緩んだ。

「ええ、もちろんです。アイリス嬢のような貴重な体質の方に、最高の環境で研究に協力していただけるのですから」

「でも、私にはよく分からないことばかりで......」

 アイリスの困惑した様子に、ジークが立ち上がった。

「少し相談の時間をいただけませんか?」

「もちろんです」
エドワードが頷く。

「重要な決断ですから、十分にご検討ください」

   * * *

 エドワードが一時退席した後、五人だけの話し合いが始まった。

「どう思いますか?」
クラティアが口火を切る。

「怪しいの一言に尽きます」
バルドが即答する。

「王国が突然このような要請をしてくるなんて」

「研究という名目ですが......」
ジークが眉をひそめる。

「実際は監視か、もしくは能力の軍事利用を狙っているのでは」

「えっ?」
アイリスが驚く。

「軍事利用って何ですか?」

「アイリスの能力は、防御に関しては無敵に近いからね」
レイナが説明する。

「魔法攻撃が一切効かないということは、戦争になった時、とても価値のある能力なの」

「戦争......」
アイリスの顔が青ざめた。

「私、そんなことに使われたくありません」

「だから我々が反対しているんだ」
ジークが彼女の肩に手を置く。その手の温もりが、アイリスの不安を少し和らげた。

「君を危険にさらしたくない。リオとの約束を、今度こそ守り抜く」

 しかし、クラティアは複雑な表情をしていた。

「問題は、これが王国の正式な要請だということです」

「つまり?」
レイナが尋ねる。

「断れば、王国と敵対することになりかねません。この城も、王国の庇護の下にあるのですから」

 その言葉に、一同の顔が曇った。

「でも、アイリスを危険にさらすわけにはいきません」
ジークが強い調子で言う。

「もちろんです。しかし......」

 クラティアが言いかけた時、アイリスが立ち上がった。

「あの、皆さん」

 彼女の声には、昨夜の聖域での出来事以降に芽生えた、新しい強さが込められていた。

「私が決めます」

 その言葉に、一同が振り返る。

「アイリス......」
ジークが心配そうに見つめる。

「昨夜、聖域で学びました。過去の観測者たちは、いつも一人で決めていたって」

 アイリスの瞳に、強い意志の光が宿っている。

「でも、私には皆さんがいます。だから、一人で背負う必要はないけれど......最終的な決断は、私がしなければいけないんだと思います」

 その成長した姿に、四人は驚きと感動を隠せなかった。

「それで、君はどうしたいんだ?」
ジークが優しく尋ねる。

 アイリスは少し考えてから答えた。

「行ってみたいと思います」

「え?」
レイナが驚く。

「でも、一人では行きません」
アイリスがきっぱりと言う。

「皆さんも一緒に来てください」

 その提案に、一同の表情が明るくなった。

「つまり、全員で王都に行くということか?」
バルドが確認する。

「はい」
アイリスが頷く。

「私を研究したいなら、私を支えてくれる人たちのことも理解してもらわないと」

 その論理に、ジークが笑みを浮かべた。

「さすがアイリスだ。一人で行くと言わないところが君らしい」

「私たちは家族みたいなものですから」
アイリスが自然に言う。

「離ればなれになるなんて、考えられません」

 その言葉に、クラティアの目に涙が浮かんだ。

「そうですね。私たちは確かに、家族のようなものです」

「それじゃあ、全員で王都に行きましょう」
レイナが声を弾ませる。しかし、その明るさの裏で、研究者としての複雑な感情が渦巻いていた。

「王都の魔導院......正直に言うと、研究者として興味深い場所です。でも、アイリスさんが実験台にされるかもしれないと思うと......」

 バルドが決意を込めて言った。

「だからこそ、私も護衛として同行いたします。政治の中心地は、思惑が渦巻く危険な場所ですから」

 五人の手が重なった時、アイリスは床の硬さを足裏で感じながら、仲間たちとの絆の強さを実感していた。

「ありがとうございます、皆さん」

 アイリスの感謝の言葉に、四人が温かい笑顔で応えた。

   * * *

 エドワードが戻ってくると、五人の結論を聞いて困惑した表情を見せた。

「全員で、ですか?」

「はい」
アイリスがはっきりと答える。

「私を理解してもらうためには、私を支えてくれる人たちのことも知ってもらう必要があると思います」

 エドワードは少し考え込んだが、やがて頷いた。

「......確かに、そうかもしれませんね。アイリス嬢の環境を理解することも、研究の一環として重要です」

 だが、その表情には微かな困惑が見て取れた。おそらく、一人だけを連れて行く予定だったのだろう。

「では、全員分の宿泊施設の手配をいたします」

「ありがとうございます」
クラティアが代表して答える。

「出発は明日の朝でよろしいでしょうか?」

「はい」
アイリスが頷く。

「楽しみです」

 その素直な反応に、エドワードは複雑な表情を見せた。

「それでは、明日の朝、再びお迎えに参ります」

 エドワードが去った後、五人は準備について話し合った。

「王都か......」
ジークがつぶやく。

「久しぶりだな」

「ジークさんは行ったことがあるんですか?」
アイリスが尋ねる。

「ああ、学生時代に何度か。華やかな場所だが、同時に複雑な場所でもある」

「どんな風に複雑なんですか?」

「色々な人の思惑が絡み合っている場所だ。表面的には優雅で美しいが、その裏で様々な駆け引きが行われている」

 アイリスは少し不安になった。

「大丈夫でしょうか......私、そういうの苦手です」

「だから私たちがいるんだ」
レイナが力強く言う。

「アイリスは自分らしくいればいい。複雑な事情は私たちが何とかするから」

「そうです」
バルドも頷く。

「私たちが守ります」

 クラティアが立ち上がった。

「それでは、明日の準備をしましょう。久しぶりの旅になります」

「はい」
アイリスが元気よく答える。

 その夜、アイリスは一人で城の屋上に立っていた。夜風が頬を撫でて、昼間の暖かさとは違う、ひんやりとした空気が肌に触れている。

 明日からは新しい世界が始まる。王都という、これまで見たことのない場所。そして、自分の能力に興味を持つ人たちとの出会い。

 少し不安もある。でも、それ以上に期待の方が大きかった。

「お兄さん」
アイリスが夜空に向かって語りかけた。

「私、また新しい場所に行きます。今度は、みんなと一緒です」

 風が優しく頬を撫でていく。まるで兄が応援してくれているかのように。

「一人じゃないって、こんなに心強いことなんですね」

 翌朝、五人は荷物をまとめて王都への馬車に乗り込んだ。馬車の座席は思っていたより柔らかく、旅の疲れを和らげてくれそうだった。

 アイリスにとって、これまでで最も大きな冒険の始まりだった。そして、仲間たちと共に歩む新しい道への第一歩でもあった。

 鏡の城を離れる馬車の中で、アイリスは窓から見える景色を眺めていた。

 変わっていく風景のように、自分の人生も変わっていくのだろう。でも、それは一人での変化ではない。

 大切な仲間たちと共に歩む、希望に満ちた変化だった。

「王都、楽しみですね」

 アイリスの言葉に、四人が笑顔で応えた。

 新しい冒険が、今始まろうとしていた。
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