鏡の城の魔導士 ~魔法が効かない少女と時空の謎~

宵町あかり

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第7話 城の守護者たち

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城の警備詰所に朝日が差し込む頃、バルド・クロウヴィスは書類から顔を上げることなく、昨夜の出来事を反芻していた。厚い石壁に囲まれた部屋には、古い羊皮紙と鉄の匂いが染み付いている。彼の前には事件報告書が積み重なり、その全てが同じ結論を示していた。

 アイリス・ノルヴェインという少女の力は、常識を超えている。

「隊長」

 詰所の扉が開き、副隊長のマルクが入ってきた。日に焼けた顔に深い皺を刻んだ古参の兵士は、いつもの朗らかさを欠いていた。

「昨夜の件について、隊員たちが動揺しております」

 バルドは羽根ペンを置き、振り返る。窓から見える城の中庭では、早朝の警備に当たる兵士たちが持ち場に向かっていた。いつもと変わらない光景だが、昨夜の出来事が全てを変えてしまった。

「話してみろ」

「あの少女の力です」

 マルクが困惑の表情を浮かべる。

「魔法が全く効かないなんて、聞いたことがありません。まるで──」

「化け物だと言いたいのか」

 バルドの声は低く、警告の響きを含んでいた。しかし内心では、彼も同じような恐怖を感じていたのは事実だった。

 魔法が効かない存在。それがどれほど恐ろしいことか、長年この城で戦ってきた彼には理解できる。しかし──

「いえ、そうではありません」

 マルクが慌てて手を振る。

「ただ、我々には理解できない力だということです。あの瞳を見た時、恐怖よりも別の感情が湧きました」

「別の感情?」

「純粋さ、とでも申しましょうか」

 マルクの言葉に、バルドは昨夜のことを思い出した。時空の迷い子と呼ばれる化け物に立ち向かう時、アイリスが見せた表情。恐怖も邪心もない、ただ純粋に「困っている誰かを助けたい」という想いだけがあった。

(あの瞳は、確かに純粋だった)

 バルドは立ち上がり、窓の外を見つめる。朝の光が城の石壁を照らし、長い影を作っていた。

「マルク、君は軍人として何を最も大切にしている?」

「城と住民を守ることです」

 即座に返ってきた答えに、バルドは小さく頷いた。

「その通りだ。そして昨夜、その目的を最も確実に果たしたのは誰だった?」

 マルクが黙り込む。答えは明らかだった。

「あの少女と、彼女の仲間たちだ」

 バルドが振り返る。

「力の源が理解できなくても、その心が純粋であることは感じ取れる。我々は兵士として、その事実を評価すべきではないか」

「隊長...」

「恐れや疑いは自然な感情だ。しかし、同じ目的を持つ者を遠ざけることが、果たして城のためになるだろうか」

 その時、詰所の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。若い兵士が飛び込んでくる。

「隊長!大変です!」

「落ち着け、何があった」

「城の外郭結界に異常が発生しています!魔法が不安定で、制御が効きません!」

 バルドとマルクは顔を見合わせた。昨夜の事件の余波かもしれない。


   * * *


 城の外郭で、バルドは眉をひそめていた。

 目の前で展開されている光景は、長年の軍歴でも見たことがないものだった。城を守る防衛結界が波打つように揺らめき、透明であるべき魔法の壁が虹色に輝いている。そして所々に、まるで鏡が割れたような亀裂が走っていた。

「状況報告」

「約一時間前から始まりました」

 現場を指揮していた小隊長が報告する。

「最初は小さな歪みでしたが、時間と共に拡大しています。通常の魔法修復では効果がありません」

 バルドが結界に近づく。魔力を込めた手を伸ばすと、ぴりぴりとした感覚が指先を駆け抜けた。

「時空の歪曲が混入している」

 背後から声がした。振り返ると、レイナ・ミストリュウが杖を手に立っていた。金髪が朝日に輝き、青い瞳が結界の異常を鋭く観察している。

「君は...」

「レイナです。昨夜はお世話になりました」

 彼女が軽く頭を下げる。その後ろから、ジーク・ヴァルドナインとアイリス・ノルヴェインも姿を現した。

「我々も異常を感じて駆けつけました」

 ジークが言う。

「この歪みは昨夜の事件と関連があると思われます」

 バルドは三人を見回した。昨夜の出来事の後、複雑な感情を抱いていたが、今は城の危機が最優先だった。

「君たちの分析を聞かせてくれ」

「結界の魔法構造に時空の歪みが干渉しています」

 レイナが杖で空中に図形を描く。魔法陣が浮かび上がり、結界の構造を立体的に表示した。

「通常の魔法では、この歪みを除去することはできません」

「では、どうすれば」

「観測者の力が必要です」

 ジークがアイリスを見る。

「アイリス、君にしかできない」

「そうですか?」

 アイリスが首をかしげる。

「でも、あれって結界っていうんですか?なんだか虹色で綺麗ですね」

 その天然な反応に、バルドは思わず表情を緩めそうになった。確かに、この状況で「綺麗」と言えるのは、彼女だけかもしれない。

「アイリス」

 バルドが一歩前に出る。

「君に頼みがある」

「はい?」

「城を...住民たちを守ってくれ」

 その言葉に、アイリスの表情が真剣になった。彼女の瞳に、昨夜と同じ純粋な決意が宿る。

「はい。やってみます」

「しかし」

 バルドが周りを見回す。

「今度は一人ではない。我々も協力する」

 その宣言に、レイナとジークが驚きの表情を見せた。

「本当ですか?」

 レイナが嬉しそうに言う。

「もちろんだ」

 バルドが力強く頷く。

「城を守るという目的は同じだ。力を合わせよう」

 その瞬間、四人の間に新たな連帯感が生まれた。


 作戦は迅速に決定された。

 バルドが全体の指揮を取り、各ポイントに配置された警備隊との連携を確保する。ジークは結界の要所で魔法的支援を行い、レイナは歪みの分析と理論的サポートを担当する。そしてアイリスが中心となって、時空の歪曲を根本から修正する。

「左翼部隊、結界強化の準備!」

 バルドの指示が飛ぶ。

「第三小隊は住民の避難誘導継続!」

 組織だった動きの中で、アイリスは結界の中央に立っていた。観測者の眼で見ると、空間の歪みがくっきりと見える。まるで透明なガラスに亀裂が入ったような模様が、複雑に絡み合っていた。

「アイリス、左からエネルギーが不安定になっています!」

 レイナが叫ぶ。

「左?」

 アイリスが振り返る。

「あの、左ってどっちですか?」

「君から見て、こっちだ」

 バルドが指差す。

「あ、なるほど」

 アイリスが無邪気に頷く間に、観測者の力が発動していた。光の糸が空中に現れ、歪んだ空間を正しい形に修正していく。

「すごい...」

 警備隊員たちが息を呑む。

 バルドも、アイリスの力を間近で見るのは初めてだった。それは確かに理解を超えた現象だったが、同時に美しく、そして温かみがあった。

「右翼の歪み、集中しています!」

 ジークが警告する。

「分かりました」

 アイリスが右に向かう。しかし、足元の魔法陣に気づかず、そのまま踏み潰しながら歩いていく。

「あ、アイリス!魔法陣を!」

 レイナが慌てるが、既に遅い。精巧に描かれた支援魔法陣が、アイリスの足の下で光の粒子となって散っていく。

「あ、何か踏んじゃいました」

 アイリスが振り返る。

「すみません、何か光ってたんですが」

「...大丈夫だ」

 バルドが苦笑する。

「君の力なら、魔法陣がなくても十分だ」

 その通りだった。アイリスの観測者能力は、どんな魔法的補助も必要としない。彼女がいるだけで、歪んだ空間は正しい形に戻っていく。

「隊長、これは...」

 マルクが感嘆の声を上げる。

「魔法を超えた現象です」

「ああ」

 バルドが頷く。

「しかし、恐れるべきものではない。あの子の心が純粋である限り、この力は城を守る盾となる」

 作業は順調に進んだ。四人と警備隊の完璧な連携により、結界の修復は予想以上に早く完了した。

 最後の歪みが消えた時、結界は再び透明になり、安定した魔力の流れを取り戻した。

「完了!」

 レイナが杖を上げて宣言する。

「結界、正常稼働しています!」

 歓声が上がる中、バルドはアイリスの元に歩み寄った。

「ありがとう」

 短い言葉だったが、心からの感謝が込められていた。

「お疲れ様でした」

 アイリスが無邪気に微笑む。

「でも、何をしたのかよくわからないんです」

 その天然な反応に、バルドは思わず笑みを浮かべた。確かに、この少女を恐れることなど馬鹿らしく思えてきた。


   * * *


 作業が完了した後、四人は城の中庭で一息ついていた。夕日が石畳を照らし、平和な雰囲気が戻っている。バルドは三人の前に立ち、深く頭を下げた。

「改めて言わせてくれ」

 その真剣な態度に、三人が驚く。

「アイリス・ノルヴェイン、ジーク・ヴァルドナイン、レイナ・ミストリュウ」

 一人ずつ名前を呼んで、彼らを見つめる。

「君たちを疑い、警戒したことを心から詫びる」

「あ、あの...」

 アイリスが慌てたように手を振る。

「疑うって、何をですか?私、何か悪いことしましたっけ?」

 その純粋な反応に、バルドは改めて彼女の人柄を実感した。

「いや、君は何も悪いことはしていない」

 穏やかに微笑む。

「むしろ、我々が君の価値を理解するのに時間がかかりすぎたのだ」

「価値って...」

 アイリスがきょとんとしている。

「君の力だけではない」

 バルドが続ける。

「君の心、君の優しさ、君の勇気。それら全てが、この城にとって必要なものだった」

「そうですか?」

 アイリスが首をかしげる。

「よくわからないですが、お役に立てたなら良かったです」

 その素直な言葉に、ジークとレイナも安堵の表情を見せた。

「バルド殿」

 ジークが一歩前に出る。

「我々も、あなたの城を守る気持ちを理解しています。最初の警戒は当然のことでした」

「そうよ」

 レイナが明るく頷く。

「私たちも、最初は緊張してました。でも今は、本当に良いチームになれたと思います」

「チーム...」

 バルドがその言葉を反芻する。

「そうだな。今日の連携を見ていて確信した。我々は最高のチームだ」

 四人の間に、温かな沈黙が流れた。夕日が中庭を金色に染め、噴水の水音が心地よく響いている。

「あの、お腹空きました」

 アイリスがぽつりと言う。

「今日は朝から動きっぱなしでしたね」

 その天然な発言に、三人が笑い出した。緊張していた空気が一気に和らぎ、本当の意味での親密さが生まれた瞬間だった。

「そうですね」

 レイナがくすくすと笑う。

「今日は特別な夕食にしましょう」

「同感だ」

 バルドが立ち上がる。

「今夜は祝杯を上げよう。新たなチームの結成を祝って」

 四人は連れ立って城に向かった。夕暮れの中を歩く姿は、もはや見知らぬ他人ではなく、共に戦う仲間のそれだった。


   * * *


 その夜、クラティア・ラルゼンの私室に四人は集まっていた。城の最上階にある部屋は、いつものように神秘的な雰囲気に包まれている。古い書物と星図に囲まれた空間で、クラティアが四人を見回していた。

「今日の連携、見事だった」

 彼女の声には、深い満足が込められていた。

「バルド、君の決断は正しかった」

「恥ずかしながら」

 バルドが頭を下げる。

「最初は彼らを警戒しておりました。しかし今では、その判断が間違いだったと痛感しています」

「警戒は悪いことではない」

 クラティアが穏やかに言う。

「責任ある立場の者として、慎重になるのは当然だ。重要なのは、その後の柔軟性だ」

「はい」

「そして君たちも」

 視線がアイリス、ジーク、レイナに向けられる。

「今日で真の意味でのチームになった」

「ありがとうございます」

 ジークが代表して頭を下げる。

「我々も、バルド殿と警備隊の方々との協力を誇りに思います」

「あの、結局私は何をしたんですか?」

 アイリスが素朴に尋ねる。

「結界がきれいだったのは覚えてるんですが」

 その天然な質問に、クラティアが微笑む。

「君は素晴らしいことをした。それだけで十分だ」

「そうですか?」

「ああ」

 バルドが口を挟む。

「君がいなければ、今日の危機は乗り越えられなかった。そして何より──」

 少し照れたように言う。

「君のおかげで、我々は本当の意味での仲間になれた」

 その言葉に、アイリスが嬉しそうに微笑んだ。

「それなら良かったです」

「さて」

 クラティアが立ち上がる。

「君たちには正式に伝えなければならないことがある」

 四人が身を正す。

「今日をもって、君たち四人を『鏡の城守護者』として正式に認定する」

「守護者...」

 レイナが息を呑む。

「警備隊との連携の下、城と住民の安全を守る責務を担ってもらう」

 バルドが胸を張る。

「光栄に存じます」

「私たちも」

 ジークが続ける。

「全力で責務を果たします」

「素晴らしい決意だ」

 クラティアが頷く。

「しかし、油断してはならない。フォルクス・ノーグラムは必ず次の手を打ってくる。今度はより巧妙で、より強力な手段で」

 部屋に緊張が走る。

「我々は備えなければならない」

「どのような備えを?」

 バルドが尋ねる。

「君たちの連携をさらに深めることだ」

 クラティアが窓の外を見つめる。

「個人の力も重要だが、真の強さはチームワークにある。それを今日、君たちは証明した」

「はい」

 四人が声を揃える。

 窓の外では、星空が美しく輝いていた。鏡の城の庭園には鏡花が咲き誇り、月光を受けて幻想的な光を放っている。平和な光景だが、全員が感じていた。これは嵐の前の静けさなのだと。

「必ず来る次の脅威に対して」

 アイリスが静かに言う。

「私たちなら大丈夫です」

 その確信に満ちた声に、三人が振り返る。

「一人じゃできないことも、みんなでなら」

「その通りだ」

 バルドが力強く頷く。

「我々は最高のチームだ」

「次に何が来ても、負けません」

 レイナが拳を握る。

「絶対に、この城を守り抜きます」

 ジークも決意を込めて言う。

 四人の固い絆が、新たな脅威への準備となった。

 懐中時計が胸の奥で静かに脈打っている。止まった針は兄との永遠の絆を示し、今を生きる自分の心臓の鼓動は未来への希望を表していた。

 新たな仲間とともに、アイリス・ノルヴェインの冒険は続いていく。

 今度はもう、一人ではない。信頼できる仲間たちと、確かな絆で結ばれて。

 鏡の城の夜は更けていくが、四人の心は明日への希望で満たされていた。
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