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平和編
病室
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五日前、シズが八局棟から姿を消した次の日の夜。一命をとりとめたが、目が覚める気配がないマーシー・ラリマが白いベッドに横たわっている。呼吸は弱々しく、予断を許さない状況だった。三十分置きに異変がないか、看護師が様子を見に来る。それが三分前のこと。再び病室の扉が、そっと開く。そして滑り込むように男は中に入ると、音を立てずに扉をしめる。
シラーは、ラリマを見る。まるで風景を眺めるようだった。病室は個室だった。部屋の真ん中にベッド。入って右側はクローゼット。左側には棚があり、壁には大きな窓があった。その日、月は細く見えないのに明るい夜だった。月影が夜の病室に艶やかに流れ込んでおり、シラーの前を通っている。その中に一歩踏み出した。
「来たか」
シラーは動きを止める。そして窓の方を見た。差し込む月明かりの中に組んだ足が見えた。棚の向こうに誰か座っていた。その人間は足を外すと、立ち上がる。そして穏やかな所作で月明かりの中に姿を見せる。シラーは上司の名を呼ぶ。
「シプリン局長」
シプリンの青い髪は夜に馴染み、月光にどこか艶めいている。シプリンは腕を組んでシラーを見据える。
「いつ急変するから分からないからね。三十分に一度、看護師さんが見に来てくれるが、その三十分の間になにかあったら、困るからね。こうやって寝ずの番をしている」
シラーはいつもの優しい笑みを浮かべる。そして口を開こうとしたが、シプリンはそれを許さなかった。
「お前も心配して来たか。でもそんなにこっそりやって来なくてもよかったのに。大きい音をたてた方が、ラリマがびっくりして目を覚ますかもしれない」
シプリンは微笑を浮かべた。
「あなたにとっては目覚めた方が困るのかしら? 」
シラーはシプリンから目を離さない。シプリンもけして微笑みを崩そうとはしない。しんとした夜だけが二人の間にある。
「あなたがラリマを撃ったんでしょう。シラー」
シラーは口を開かない。弁解もしない。シプリンは、無反応のシラーが少し期待外れだった。
「勘って奴かしら。あなたのこと、なーんか引っかかってたのよね。どこかあなたの目は怖かった。だから私の傍に付けてたのよ。見張ってたの」
「じゃあ気が抜けてたんですね。見張ってたのにこのザマですよ」
シラーはもう弁解をするつもりがなかった。シズを「神の団」に引き渡せた。それで父親の名誉を取り返すことができた。
「しかもカンダを二回も八局棟から逃がした。責任問題どころではない失態ですよ」
シラーの微笑みにもういつもの優しさはなかった。シプリンを嘲け、憐れむような、見せかけの信頼関係が消えうせた感情だった。シプリンはそれでも微笑みを崩さない。
「本当にね。今回はとんだ失態だわ。カンダは消えるし、部下は殺されかけるし、もうひとりの部下は人を殺しかけるし」
シプリンは最後の言葉に鋭い感情を込めた。
「ただし、今回は、ね」
シラーは微かに眉を動かした。
「今回は? 」
「私ね、親が離婚してるの。私が十九歳のときにね。父は若い女と浮気してね。子どもができたの。父はその女と再婚した。」
シプリンが突如自らの生い立ちを語り始めた。さすがのシラーも顔を顰めた。
「それが、十年と少し前かしら。あの馬鹿親父、煙草の火ぃ消し忘れて、自分の家燃やしたの。自分も死んだ。若い奥さんも一緒に。二人の娘だけが生き残ったの。私の義理の妹になる。その子はまだ十歳になってないくらいだったから私と母で育てたわ。とてもいい子だった。自分の生い立ちについても分かっていてね。いろんなことを気にして、養子になっても母の姓である『シプリン』を名乗らず、父の『クレース』を名乗り続けた。少しグレたこともあったけど、今は立派に奉公さんになって、メト王女のメイドになったの」
シプリンから微笑みが消える。
「オードにカンダを逃がしたのは計算の上よ。逃走経路が確保しやすい、拘束室を私が選んだ」
シラーは笑う。
「どっちにしろ八局長にあるまじきことですよ」
「そうね。だから自分の尻ぬぐいはするわ。あなたを尋問する」
「証拠がないでしょう」
シラーは言った。
「俺がラリマを撃った証拠は? 」
シラーがもう一度聞いた。シプリンは腕組みをはずすと、つま先で床を二回叩いた。そして胸の中でカウントをとる。
「あなたが犯人って教えて貰ったの」
3
「誰が? 」
2
「カンダよ」
1
病室の扉が開く。シラーが背後を振り返るより先にセッシサンがシラーの右腕を掴むと背後に回す。そして、もう一方の腕を首に回してシラーを絞める。
「女がひとりで待ち伏せするわけないだろう」
シプリンが言った。セッシサンはシラーの背中に固い何かがあるのに気が付いた。クローゼットのドアが開く。そこからハクエン四局長が出てくると首を回した。
「狭くて暗くて最悪だな、本当に」
ハクエンはセッシサン達の所まで来る。
「局長、背中にあります。けど、その前に手錠」
ハクエンは手錠を出す。セッシサンはシラーを床に押し付けた。シラーは微かに呻いた。そしてハクエンが後ろでシラーの腕を手錠で拘束した。セッシサンは、ズボンにさしていた銃を抜き取るとハクエンに渡す。ハクエンは思わず舌打ちをした。
「完成させちまうとはな……」
「最悪ですよ」
セッシサンが苦笑いで同意する。
「おい……」
セッシサンの下で、シラーが漏らした。
「カンダがどうやって俺が犯人だって伝えたんだ」
セッシサンがハクエンを見る。ハクエンはため息を吐くと頷いた。
「鏡だよ」
「鏡? 」
ああ、とセッシサンは頷いた。
「ラリマの背中に隠してあった。咄嗟に鏡に指の油で書いたんだ。鏡を傾けたらうっすらと『シラー』と浮かび上がってきた。シプリン局長が見つけた」
シプリンは何も言わない。
「なかなかやるだろう。俺の部下は」
ハクエンが誇らしげにシラーに言うと立ち上がる。
「今夜は眠らせてやる。明日の朝から覚悟しておけ。たっぷり話してもらうぞ」
シラーは噴き出す。ハクエンは顔を顰める。
「何がおかしい」
「そんなに脅さなくても話してあげますよ」
シラーの口調は嫌に愉快だった。そしてハクエンが握る銃を見上げた。
「それを持ってるあなた達はもう、戻れない」
ハクエンが忌々しい顔で自分が持った銃を見る。シラーは喉を鳴らすと、宣告した。
「今さらどうあがこうが、アベンチュレは、共犯だ」
シラーは、ラリマを見る。まるで風景を眺めるようだった。病室は個室だった。部屋の真ん中にベッド。入って右側はクローゼット。左側には棚があり、壁には大きな窓があった。その日、月は細く見えないのに明るい夜だった。月影が夜の病室に艶やかに流れ込んでおり、シラーの前を通っている。その中に一歩踏み出した。
「来たか」
シラーは動きを止める。そして窓の方を見た。差し込む月明かりの中に組んだ足が見えた。棚の向こうに誰か座っていた。その人間は足を外すと、立ち上がる。そして穏やかな所作で月明かりの中に姿を見せる。シラーは上司の名を呼ぶ。
「シプリン局長」
シプリンの青い髪は夜に馴染み、月光にどこか艶めいている。シプリンは腕を組んでシラーを見据える。
「いつ急変するから分からないからね。三十分に一度、看護師さんが見に来てくれるが、その三十分の間になにかあったら、困るからね。こうやって寝ずの番をしている」
シラーはいつもの優しい笑みを浮かべる。そして口を開こうとしたが、シプリンはそれを許さなかった。
「お前も心配して来たか。でもそんなにこっそりやって来なくてもよかったのに。大きい音をたてた方が、ラリマがびっくりして目を覚ますかもしれない」
シプリンは微笑を浮かべた。
「あなたにとっては目覚めた方が困るのかしら? 」
シラーはシプリンから目を離さない。シプリンもけして微笑みを崩そうとはしない。しんとした夜だけが二人の間にある。
「あなたがラリマを撃ったんでしょう。シラー」
シラーは口を開かない。弁解もしない。シプリンは、無反応のシラーが少し期待外れだった。
「勘って奴かしら。あなたのこと、なーんか引っかかってたのよね。どこかあなたの目は怖かった。だから私の傍に付けてたのよ。見張ってたの」
「じゃあ気が抜けてたんですね。見張ってたのにこのザマですよ」
シラーはもう弁解をするつもりがなかった。シズを「神の団」に引き渡せた。それで父親の名誉を取り返すことができた。
「しかもカンダを二回も八局棟から逃がした。責任問題どころではない失態ですよ」
シラーの微笑みにもういつもの優しさはなかった。シプリンを嘲け、憐れむような、見せかけの信頼関係が消えうせた感情だった。シプリンはそれでも微笑みを崩さない。
「本当にね。今回はとんだ失態だわ。カンダは消えるし、部下は殺されかけるし、もうひとりの部下は人を殺しかけるし」
シプリンは最後の言葉に鋭い感情を込めた。
「ただし、今回は、ね」
シラーは微かに眉を動かした。
「今回は? 」
「私ね、親が離婚してるの。私が十九歳のときにね。父は若い女と浮気してね。子どもができたの。父はその女と再婚した。」
シプリンが突如自らの生い立ちを語り始めた。さすがのシラーも顔を顰めた。
「それが、十年と少し前かしら。あの馬鹿親父、煙草の火ぃ消し忘れて、自分の家燃やしたの。自分も死んだ。若い奥さんも一緒に。二人の娘だけが生き残ったの。私の義理の妹になる。その子はまだ十歳になってないくらいだったから私と母で育てたわ。とてもいい子だった。自分の生い立ちについても分かっていてね。いろんなことを気にして、養子になっても母の姓である『シプリン』を名乗らず、父の『クレース』を名乗り続けた。少しグレたこともあったけど、今は立派に奉公さんになって、メト王女のメイドになったの」
シプリンから微笑みが消える。
「オードにカンダを逃がしたのは計算の上よ。逃走経路が確保しやすい、拘束室を私が選んだ」
シラーは笑う。
「どっちにしろ八局長にあるまじきことですよ」
「そうね。だから自分の尻ぬぐいはするわ。あなたを尋問する」
「証拠がないでしょう」
シラーは言った。
「俺がラリマを撃った証拠は? 」
シラーがもう一度聞いた。シプリンは腕組みをはずすと、つま先で床を二回叩いた。そして胸の中でカウントをとる。
「あなたが犯人って教えて貰ったの」
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「誰が? 」
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「カンダよ」
1
病室の扉が開く。シラーが背後を振り返るより先にセッシサンがシラーの右腕を掴むと背後に回す。そして、もう一方の腕を首に回してシラーを絞める。
「女がひとりで待ち伏せするわけないだろう」
シプリンが言った。セッシサンはシラーの背中に固い何かがあるのに気が付いた。クローゼットのドアが開く。そこからハクエン四局長が出てくると首を回した。
「狭くて暗くて最悪だな、本当に」
ハクエンはセッシサン達の所まで来る。
「局長、背中にあります。けど、その前に手錠」
ハクエンは手錠を出す。セッシサンはシラーを床に押し付けた。シラーは微かに呻いた。そしてハクエンが後ろでシラーの腕を手錠で拘束した。セッシサンは、ズボンにさしていた銃を抜き取るとハクエンに渡す。ハクエンは思わず舌打ちをした。
「完成させちまうとはな……」
「最悪ですよ」
セッシサンが苦笑いで同意する。
「おい……」
セッシサンの下で、シラーが漏らした。
「カンダがどうやって俺が犯人だって伝えたんだ」
セッシサンがハクエンを見る。ハクエンはため息を吐くと頷いた。
「鏡だよ」
「鏡? 」
ああ、とセッシサンは頷いた。
「ラリマの背中に隠してあった。咄嗟に鏡に指の油で書いたんだ。鏡を傾けたらうっすらと『シラー』と浮かび上がってきた。シプリン局長が見つけた」
シプリンは何も言わない。
「なかなかやるだろう。俺の部下は」
ハクエンが誇らしげにシラーに言うと立ち上がる。
「今夜は眠らせてやる。明日の朝から覚悟しておけ。たっぷり話してもらうぞ」
シラーは噴き出す。ハクエンは顔を顰める。
「何がおかしい」
「そんなに脅さなくても話してあげますよ」
シラーの口調は嫌に愉快だった。そしてハクエンが握る銃を見上げた。
「それを持ってるあなた達はもう、戻れない」
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