悪役令嬢はスパイに向いてない

雨音

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悪役令嬢が乙女ゲームのシナリオを辿るまで 6

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 兄と共に歩くのなんて、何年ぶりになるだろうか。



 舞踏会に行く時や、家族の誕生パーティーに出席する時など、時折家に帰ってはいたものの、十年以上わたしの住処は、ほとんど零課のアジトと叔父の持つ屋敷セーフハウスであるようなものだった。兄とも父ともあまり言葉を交わしていないし、ましてや親しくおしゃべりなんてしていようはずもない。兄の一人称が『私』になっていることももちろん知らなかった――インテリ腹黒眼鏡らしいキャラ付けじゃないか。本性が出たら『俺』になるのかね?

「そう、叔父上のところではそんなことを……」

「ええ。礼儀作法から始まり刺繍やダンス、音楽もたくさん練習致しましたわ」

 嘘ではない『叔父様の元での淑女修業』のことを話しながら、並んで外廊下をゆったりと歩く。そろそろ北の庭だ。

 兄はどこか遠いところを見ているような顔で、わたしの話を聞いていた。

「わたくし、家ではとてもワガママだったでしょう?叔父様の御屋敷で色々なことを教わって、ようやくそのことに気がついたのです。お兄様やお父様にはご迷惑ばかり掛けていましたわ。メイドたちにも謝らなくては、とずっと思っていたのです」

「……ユリア」

「反省して努力しても、残念ながらお兄様みたいにお勉強はそこまで得意にはならなかったのですが」

 困ったような笑顔を浮かべ、肩を竦めてみせる。……よし、これで中の上の成績を取ることの伏線を張れたぞ。

 と、思って顔を上げると、いつの間にか兄は足を止めていた。

 怪訝に思ってわたしも立ち止まり、兄の表情を窺う。

「……お兄様? どうかされたのですか?」

「勉強は苦手、か……ユリア、覚えているかい? 十年前の、図書室でのことを」

「え……」

 何故いきなりその話を。

 もちろん覚えているに決まっている。何せわたしの人生が百八十度転換した日のことだ。

 兄は眼鏡の奥の青い瞳に真剣な色を滲ませ、「ずっと、もう一度聞きたいと思っていてね」と静かな声で言う。

「ユリア、お前は――」

「……、お兄様?」

 ふと。

 不自然なところで兄が言葉を切ったので、わたしは首を傾げる。……一体なんなんだ、やっぱりやめるのか。それなら、こちらとしてはとてもありがたいけれども。

 しかし兄の視線はわたしというより、わたしの背後に釘付けになっているような気がする。心做しか顔色も悪い。

 一体何を見ているのだろう、と背後を見ると、そこには。

「……おぉ」

 目に入った光景に、思わずお嬢様らしからぬ声を漏らしてしまう。

 ……少し離れた、北の庭。薔薇に囲まれた噴水がよく見えるベンチで、並んで座っているシャルロットとハインツ殿下がいた。

 えッ、展開、早くない? もしかして、これが出会いイベントなのだろうか。

「お兄様、あそこにいるのって……ハインツ殿下と、今年の総代の」

「あ、ああ……シャルロット・マグダリア嬢だよ。マグダリア男爵家の末の姫だ。身体が弱くあまり外に出られず、社交界には顔を見せなかったようだけれど」

「まあ、そうなんですの……」

 マグダリア男爵家。たしか、かの家は中立だったはず。ほんの僅か王弟派のにおいもするが、さして警戒する必要ない、というあたりの家。

 シャルロットとハインツ殿下はこちらに気がつく様子もなく、楽しげに会話をしている。

 ほォ~デレデレしちゃってまあ。そんな顔できたんだ、ハインツ殿下。わたしの前では作り笑顔は浮かべるものの、基本的には無愛想だから大変新鮮である。

「わたくしの前では、あんなお顔はなさらないのに……」

 まあ、シャルロットは最強に可愛いからしょうがないな。周りにお花が飛んでいる幻覚が見えるくらいだし。

 わたしがウンウンと心の中で頷いていたところで、兄の顔色がさらに悪くなったことに気がついた。……どうした、兄よ。

「……昨日、ハインツ殿下が道に迷った彼女を寮の前まで送り届けたらしい。シャルロット嬢はその礼をしているのかもしれない」

「そうなんですのね」

 いや別に聞いてないけども……。

 突然説明をし出した兄を不審に思いつつ、なるほどと思う。

 つまりはその、道案内こそが出会いイベントだったという訳だ。そして、ハインツ殿下は今まさに攻略されている途中、と。……昨日の今日で態度がアレなら、メインヒーロー、なかなかチョロいな。

 ていうか兄、やたら詳しいな。もしや、兄も既にシャルロットに心奪われてたりするのだろうか。おいおい、あんたにはリタがいるでしょうが。

 ジト、とした目で兄を睨めつけると、彼はフイ、と気まずそうに目を逸らした。おいまさか本当に心揺らいでるってわけじゃないでしょうね。

「……怒らないのか」

「はい?」

 怒ってますが? 何を言ってるんだこの兄は。

 わたしが片眉を吊り上げると、兄はつい、とハインツ殿下とシャルロットを見遣った。

「お前はもっと怒って、あそこに怒鳴り込んでいくものだと思っていたよ」

「怒鳴り込んで……? ……ああ、」

 そっちね。

 兄の言いたいことを理解して、頷く。……いや、しないよ。まあ確かに二人きりなのは事実だし、問題なのかもしれないが、兄いわく『お礼』だそうであるし、怒鳴り込んでいったところで実際にそう言われてしまえば引き下がる他ない。わたしは婚約者だが、殿下の妃ではないのだ。そこまで熱心に注意する必要もないだろう。

「構いませんわ。殿下も楽しそうですもの」

「ユリア……お前は」

 変わったな、と。

 兄が横でぽつりと零した。

「わたくしが、変わった……?」

「私が知っているお前は、ワガママで自分が世界の中心と言わんばかりだった。……そのはずだったのに、あの日からその印象がガラリと変わった。叔父上の教育で徐々に、ではなく、ガラリと」

「……少しずつ変わったのですわ」

 鋭いな。

 そう思いつつ、わたしは目を伏せると、黒檀の扇子で顔を隠してそう言った。まあ兄に関しては、あの権力分立事件があったので、仕方なしとも言えるが。

 ……しかし、要らん勘繰りでわたしとクルトの邪魔をされては堪らない。わたしはあくまで、『公爵令嬢らしい公爵令嬢』として目立たないように振る舞わなければならないのだ。でなければわたしの身に訪れるのは、死。

 若い身空で死なぬためには、わたしの立場の特異性に、勘づかれては困るのだ。

「ではお兄様、ごきげんよう。わたくし、そろそろ教室に戻りますわ」

「……わかった。ハインツ殿下の行動は、目に余るようなら私から声をかけてみよう」

「あら、ありがとうございます」

 別にそんなことしてもらわなくてもいいんだけど。

 そんなことを考えつつも微笑み、わたしは淑女の礼を取るとその場を後にした。





 ――わたしたち兄妹のやり取りを、その場にいた数人のお嬢様方が耳をそばだてて聞いていたことなど。

 それに気づいていたにも関わらず、すっかり忘れて。



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