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32 わたしの居場所
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「逃がすって……どうしてお前が」
床板の下には地下へと続く階段が見える。緊急時に脱出するためのものだろうが、どうしてそれをわたし達に?
「さっきも言っただろう。のんびり説明している暇はない。血の気の多い部下たちがもうすぐここへ押し寄せてくるぞ」
バルトルトは言いながら階段へ降りていく。
これこそ罠ではと思ったが、いざとなればさっき考えていた通りにバルトルトを人質に取ればいい。
「とりあえずこの場はこの男を信じてみよう」
わたしはそう言ってバルトルトの後へ続く。
フリッツもためらいながらついてきた。
階段を降りた先は暗闇。バルトルトは用意していた松明に火をともし、早足で地下道を進んでいく。
「お前はわたし達を害しようと考えていたと言っていたが、どうして助けるような真似を」
バルトルトの矛盾した行動に、それどころではないと分かっていても聞かずにいられない。
「………………」
バルトルトは無言。いくら王弟とはいえこんな勝手なことは許されないだろう。
この男の地位や立場からしても考えられない行動だった。
しばらく進んでからバルトルトはようやく口を開いた。
「出口だ。石板で塞いであるからひとりで持ち上げるのは無理だ。手伝え」
突き当りに入口と同じような石の階段。
その上部はたしかに塞がっていた。わたしとフリッツでそこを押し上げる。
塞いでいた石板をどけると、目に飛び込んできたのは目が眩むばかりの陽光。
そしてそれに慣れると広大な青空と草原が広がっていた。
少し離れた位置には馬が一頭。バルトルトが出口から姿を現すと、小さくいななきながら近づいてきた。
「急なことで馬は一頭しか用意できなかったが、国境まで逃げるには十分だろう。そいつはくれてやる」
「……恩に着る」
フリッツはそれ以上何も聞かずに馬にまたがる。
馬上から伸ばしてきた手をつかみ、わたしもその後ろへ乗った。
「この抜け道もじきに見つかるだろう。早く行け」
「わかった。でも最後にひとつだけ聞かせてくれ。どうしてわたし達を助ける気になった」
再び抜け道へ戻ろうとするバルトルトへ最後の質問。
バルトルトは暗闇に姿を消しながらこう言った。
「この物語の演者として流されるまま生きていくのに疑問を抱いただけだ。お前を見ていたらな」
「えっ、それって──」
だがさらに聞く前に馬は走りはじめていた。
まだ質問を続けたかったが、バルトルトの姿は完全に消えていた。
「もしかしたら」
あの男も転生者だったのかもしれない。
ロストックの重鎮として国の発展を望み、ヴォルフスブルク公と共謀してザールラントを弱体化させようとしていた。
その目論見は失敗し、物語は正規のルートから外れた。
でも結果的にこの世界の流れに逆らう事も可能だと気付いたのかもしれない。
「もしかしたら……何ですか?」
馬を走らせながらフリッツが聞いてくる。
わたしはその背中に身を預けるようにもたれかかり、ぼそりと呟いた。
「ん……なんでもない。でも、お前にもいつか本当のことを話すと思う。わたしが何者でどこから来たのか」
「おかしなことを言いますね。イルゼ様はイルゼ様でしょう。アンスバッハの令嬢で、僕の尊敬する上官でもある」
「なんだ? 急に持ち上げるようなこと言って。命が助かったから気が緩んだのか」
「そうかもしれません。捕らえられたときから死は覚悟していましたから。でも、あなたはこんな所にまで助けに来てくれた」
馬の速度が急に遅くなる。
フリッツが馬上で振り向き、わたしを包み込むように抱き締めた。
突然の不意打ちにわたしはヒュッ、と呼吸をするのも忘れる。
「……しばらくこのままでいてもいいですか」
「…………うん」
小さく頷くのがやっとだった。
恐る恐るこっちもフリッツの背中に手を伸ばす。
どのくらいそのままでいただろうか。
フリッツはわたしの髪を撫で、それからまた前を向いた。
「さあ、戻りましょう。アンスバッハへと」
「いや、その前に」
わたしはフリッツの言葉を否定。不思議そうに振り返る横顔を指でつつく。
「トーマスお兄様もいるし、急いで戻らなくても大丈夫だろう。少し……いや、かなり遠回りしてから帰ろう。ふたりでしばらく旅をするんだ」
わたしの突拍子もない提案。堅物のフリッツは当然それを断るだろうなと思ったら──。
「旅ですか。いいですね。見聞を広めるためにも行ったことのない土地へ行くというのも」
笑顔でそれに答えた。
わたしも笑い返す。
ふたりを乗せた馬はアンスバッハではなく、見知らぬ土地へと向かっていく。
不安なんてない。わたしがここへ来た理由がなんとなく分かってきた。
生きる希望も理由も失っていた元の世界での生活。
この世界でも運命や権力に翻弄されて何度も死にそうになった。
でも目の前のこの男だけは、わたしがどんな目に遭っても望みを捨てなかったし、力を貸してくれた。
だからわたしも命を賭けてフリッツを救い出すことが出来たんだ。行動する勇気が持てた。
一番大事なものがわかったんだ。心から安心できるわたしの居場所が存在している。
空を見上げる。わたしの心を映したかのように、どこまでも晴れ渡っていた。
了
床板の下には地下へと続く階段が見える。緊急時に脱出するためのものだろうが、どうしてそれをわたし達に?
「さっきも言っただろう。のんびり説明している暇はない。血の気の多い部下たちがもうすぐここへ押し寄せてくるぞ」
バルトルトは言いながら階段へ降りていく。
これこそ罠ではと思ったが、いざとなればさっき考えていた通りにバルトルトを人質に取ればいい。
「とりあえずこの場はこの男を信じてみよう」
わたしはそう言ってバルトルトの後へ続く。
フリッツもためらいながらついてきた。
階段を降りた先は暗闇。バルトルトは用意していた松明に火をともし、早足で地下道を進んでいく。
「お前はわたし達を害しようと考えていたと言っていたが、どうして助けるような真似を」
バルトルトの矛盾した行動に、それどころではないと分かっていても聞かずにいられない。
「………………」
バルトルトは無言。いくら王弟とはいえこんな勝手なことは許されないだろう。
この男の地位や立場からしても考えられない行動だった。
しばらく進んでからバルトルトはようやく口を開いた。
「出口だ。石板で塞いであるからひとりで持ち上げるのは無理だ。手伝え」
突き当りに入口と同じような石の階段。
その上部はたしかに塞がっていた。わたしとフリッツでそこを押し上げる。
塞いでいた石板をどけると、目に飛び込んできたのは目が眩むばかりの陽光。
そしてそれに慣れると広大な青空と草原が広がっていた。
少し離れた位置には馬が一頭。バルトルトが出口から姿を現すと、小さくいななきながら近づいてきた。
「急なことで馬は一頭しか用意できなかったが、国境まで逃げるには十分だろう。そいつはくれてやる」
「……恩に着る」
フリッツはそれ以上何も聞かずに馬にまたがる。
馬上から伸ばしてきた手をつかみ、わたしもその後ろへ乗った。
「この抜け道もじきに見つかるだろう。早く行け」
「わかった。でも最後にひとつだけ聞かせてくれ。どうしてわたし達を助ける気になった」
再び抜け道へ戻ろうとするバルトルトへ最後の質問。
バルトルトは暗闇に姿を消しながらこう言った。
「この物語の演者として流されるまま生きていくのに疑問を抱いただけだ。お前を見ていたらな」
「えっ、それって──」
だがさらに聞く前に馬は走りはじめていた。
まだ質問を続けたかったが、バルトルトの姿は完全に消えていた。
「もしかしたら」
あの男も転生者だったのかもしれない。
ロストックの重鎮として国の発展を望み、ヴォルフスブルク公と共謀してザールラントを弱体化させようとしていた。
その目論見は失敗し、物語は正規のルートから外れた。
でも結果的にこの世界の流れに逆らう事も可能だと気付いたのかもしれない。
「もしかしたら……何ですか?」
馬を走らせながらフリッツが聞いてくる。
わたしはその背中に身を預けるようにもたれかかり、ぼそりと呟いた。
「ん……なんでもない。でも、お前にもいつか本当のことを話すと思う。わたしが何者でどこから来たのか」
「おかしなことを言いますね。イルゼ様はイルゼ様でしょう。アンスバッハの令嬢で、僕の尊敬する上官でもある」
「なんだ? 急に持ち上げるようなこと言って。命が助かったから気が緩んだのか」
「そうかもしれません。捕らえられたときから死は覚悟していましたから。でも、あなたはこんな所にまで助けに来てくれた」
馬の速度が急に遅くなる。
フリッツが馬上で振り向き、わたしを包み込むように抱き締めた。
突然の不意打ちにわたしはヒュッ、と呼吸をするのも忘れる。
「……しばらくこのままでいてもいいですか」
「…………うん」
小さく頷くのがやっとだった。
恐る恐るこっちもフリッツの背中に手を伸ばす。
どのくらいそのままでいただろうか。
フリッツはわたしの髪を撫で、それからまた前を向いた。
「さあ、戻りましょう。アンスバッハへと」
「いや、その前に」
わたしはフリッツの言葉を否定。不思議そうに振り返る横顔を指でつつく。
「トーマスお兄様もいるし、急いで戻らなくても大丈夫だろう。少し……いや、かなり遠回りしてから帰ろう。ふたりでしばらく旅をするんだ」
わたしの突拍子もない提案。堅物のフリッツは当然それを断るだろうなと思ったら──。
「旅ですか。いいですね。見聞を広めるためにも行ったことのない土地へ行くというのも」
笑顔でそれに答えた。
わたしも笑い返す。
ふたりを乗せた馬はアンスバッハではなく、見知らぬ土地へと向かっていく。
不安なんてない。わたしがここへ来た理由がなんとなく分かってきた。
生きる希望も理由も失っていた元の世界での生活。
この世界でも運命や権力に翻弄されて何度も死にそうになった。
でも目の前のこの男だけは、わたしがどんな目に遭っても望みを捨てなかったし、力を貸してくれた。
だからわたしも命を賭けてフリッツを救い出すことが出来たんだ。行動する勇気が持てた。
一番大事なものがわかったんだ。心から安心できるわたしの居場所が存在している。
空を見上げる。わたしの心を映したかのように、どこまでも晴れ渡っていた。
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