可愛い悪魔の飼いならし方

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第二章

もう片方の角

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「うわー……。想像以上に似てるなぁ」

 海辺に近い教会の屋根の上に立って、ケイドは港に接岸している白い客船を見下ろした。敬礼するときのように目の上に手のひらで庇をつくり、タラップを歩いて下船してくる乗客を、ひとりひとり観察する。
 強い潮風がケイドのスーツの裾をパタパタとはためかせ、髪を乱していく。それに構わず、デッキに現れた目的の人物を、ケイドは凝視していた。

 艷やかな黒髪に知的で整った顔立ち、細身の身体に纏ったスーツはブラウンでさりげなくストライプが入っている。それが一見、冷たそうに見える彼の印象を和らげていた。
 恐らく、その隣に立つプラチナブロンドの男が選んだんだろう。ふたりが恋人同士であることは報告書で確認済みだ。
 馴染みなのか、見送りに出ている船長たちと楽しげに談笑している。寄り添う白金と黒は傍目にも仲睦まじくて───反吐が出る。

「アレが俺のオリジナル、ね。……気持ち悪っ」

 ピョンと塔から飛び降りると、ケイドはその下の地面にふわりと着地した。それから、ポケットに入れておいた紙を取り出して広げてみる。
 『重要参考人』と書かれた文字の下には、痩せた男の似顔絵が描いてあり、更にコズレルで起こった事件のあらましと、彼が魔物かもしれないという注意書きがされていた。

「この似顔絵、頬コケすぎ。俺にもアイツにも全然似てないじゃん」

 手配書を元通りにたたみポケットに入れると、ケイドは裏口から協会を出た。屋敷までの道を歩きながら、さっきの男の姿を思い浮かべる。

 ケイドのオリジナルらしき人物が見つかったのは三ヶ月ほど前のことだ。
 ケイドは今、蒼龍幇ツァンロンバンという東洋マフィアと組んで活動をしている。
 その蒼龍幇がリオンの町に派遣した諜報員が持ち帰った報告の中に、ケイドとよく似た祭司がいるという記載があったのだ。現在リオンの町には、宝の主教サイラスの側近として知られるレイ以外に、祭司はいないはずだ。不審に思ってさらに調べさせると、その男───ユーゴは、十ヶ月前にコズレルで起きた児童連続殺害事件の重要参考人らしいとわかった。
 けれど、不可解なことにその手配はひと月足らずで取り下げられている。それどころか、彼を手配したことさえ、なかったことになっていた。どうもサイラスが手を回した形跡があって、とにかく怪しかった。確認しようにも、差し向けた屍鬼グールさえ、一体も帰ってこない。
 
 それなら別方向から餌を撒いてみようと、今度はコズレルにいるエイミーという学生のところに、ユーゴの名で神学学術院への推薦をしたと手紙を出してみた。
 エイミーはユーゴの教え子だ。彼女をルイーズに呼び寄せ餌にして、ユーゴを誘い出そうと思ったのだけれど───。
 偶然なのか、エイミーが乗った船にレイとユーゴらしき人物が乗っていると諜報員から連絡が入ったのが昨日だ。調べてみると、ユーゴを祭司として認める洗礼の義の予定が、セルヴァンに入っていた。

 笑いが止まらなかった。
 探していた本人と思われる人物が、勝手に向こうからやってきたのだ。

 そんな経緯で今日、その姿を確認するためにケイドはここに来ていたのだけれど。

「アイツ、何者なんだ? 俺のオリジナルなら悪魔ってことだけど、そしたらレイは? 知ってるのか、騙されてるのか…それとも、ただ俺に似てるだけ? まさか、なぁ」

 首を傾げて、それからケイドは天を仰いだ。

「わからないことだらけだ。───とりあえず、お父様に報告しよう」

 ケイドは微笑みながら小さく呟いて、くるりと踵を返した。




 
 学校や宗教施設が立ち並ぶ文教区の端に、ケイドの住まいはある。一見普通の邸宅のように見えるが、ルミナス生物科学研究所という、れっきとした研究施設だ。
 門扉をくぐり手入れの行き届いた庭を通り、蔦のアーチを抜けるとようやく建物が見えてきた。玄関扉の前に立っていた男が、ケイドの姿を確認すると恭しく頭を下げ、ドアを開く。「おかえりなさいませ」と響く白衣の研究員たちの声を無視して、ケイドは玄関ホールの左側のドアをひらいた。そこから地下に続く階段を降り、真っすぐに主人の部屋へと向かう。

「よろしいですか? お父様」

 ケイドが扉をノックして声をかけると、中から「どうぞ」と声がする。そっと扉を開いて中に入ると、嗅ぎ慣れた消毒液のツンとした匂いが鼻をついた。

 部屋の一面にはぎっしりと本が詰め込まれた書棚。隣の飾り棚にはホルマリン漬けの生物や、標本、色とりどりの薬のビンが並んでいる。更にその対角の壁際には、壊れた人形のようなものが幾つも転がっていたけれど、ケイドはあえてそれを視界に入れないよう努めた。

 部屋の中央、机の上に雑然と置いてあるビーカーや試験管の向こうの椅子に、父は座っていた。金縁の眼鏡の奥の、少し神経質そうな目元を緩めて、父が「おいで」とケイドを手招く。
 後ろでひとつに束ねた長く艷やかな黒髪が、彼の動きに合わせて揺れる。真っ白な白衣に寄る皺ですら、美しいとケイドは思った。

 父、と呼んではいるけれど、彼はケイドの父ではない。
 
 彼、ヴィンセントは、セレスティア教団の聖盾の主教、グレゴリー・クロフォードの息子だ。優れた学者で、このルミナス生物科学研究所の総責任者でもある。
 クロフォード家はグレゴリーの祖父母の代に住んでいた村を魔物に焼かれて以来、魔物をひどく恐れ嫌っている。グレゴリーが祭司になり主教まで上り詰めたのもその為らしいが。

 皮肉なものだとケイドは思う。

 グレゴリーはその憎むべき魔物を排除するために、更に強い魔物を自分たちで作り対抗することを選び、息子のヴィンセントにその研究をさせている。
 彼ら研究者が『造魔』と呼んでいる、魔物と人間の合成物。
 まあ、成果はあまり芳しくなく、肉体は造れるようになってきたが、知性の方はまだまだらしい。
 奇声を上げて暴れたり、噛みついたり、もしくはひたすら虚空を眺めていたり。下手すると人の言葉すら理解しない。魔物と言うよりは屍鬼や猛獣に近く、精製に失敗するとケイドに後始末が回ってきたりする。

 今のところ、ちゃんとした成功例はケイド一体だ。

(まあ、俺はその方が都合いいけど。
 ヴィンセントを父と呼ぶ存在は、俺だけでいい)

 相変わらず浅ましいほど欲深い、と内心で自嘲しながら、ケイドはヴィンセントの前に立った。
 周囲の酸素が減ったような胸苦しさには、あえて気付かないふりをする。


「港を見に行ってきました」
「うん」

 優しく微笑んだ美しい顔は、ケイドの兄くらいの歳にしか見えない。けれど実際の年齢はもっとずっと上だろう。グレゴリーが齢七十を超えているのだから、想像はつく。
 けれどヴィンセントは、いつまでもとても若々しかった。
 それはケイドがときおり獲ってくる、人魚の肉を好んで食べているせいかもしれないし、自分自身で、若返りの実験をしているのかもしれない。
 何にせよ普通から逸脱しているのは確かだ。

 そんな猟奇的な研究ばかりしているせいか、研究所の研究員ですら、ヴィンセントを怖がった。
恐ろしい男だ、という。けれど、ケイドにとっては最愛の父だ。彼に褒めてもらえることが何より嬉しいし、誇りに思う。

「彼は居たかい?」
「はい。俺に…とてもよく似ていました。まるで鏡です」
「そうか」

 微笑んだ彼の前に跪くと、その手が優しくケイドの頭を撫でた。そのままその膝に懐くように頭を乗せる。

「そんなにそっくりだと言うなら、私も見てみたいな」
「では、ここに連れてきましょうか?」

 不本意だけれどヴィンセントが喜ぶならばと、ケイドは提案した。蒼龍幇ツァンロンバンに言えば、きっとどんな犠牲を払ってでも連れて来る。けれど。

「機会があれば、でいい」

と、ヴィンセントはまたケイドの頭を撫でた。

「いい子だね。ケイドは強くて賢くて、本当にいい子だ」

 嬉しい、と思う。
 この人の瞳に映るときだけ、ケイドは自分を好きになれる。
 ルミナスの研究所の人間が、陰でケイドを化け物と呼んでいることは知っていた。自分たちが造ったとはいえ、魔物だ。気味が悪いのだろう。でも、人間たちがケイドを見るときの、怯えた目も蔑む目も見飽きた。
 ヴィンセントだけが、ケイドを自分と対等に扱って、慈しみの瞳で見てくれる。

 だから。

 ヴィンセントに褒められたい。ヴィンセントに褒められるためなら、何だってしてきたし、これからだって、する。
 ずっとずっと、ヴィンセントに愛されていたい。
 そのためにも、もっと完璧になりたい。

 ───もう片方の角が、どうしても欲しい。

「ヴィン、俺は貴方のためにもっともっと、強くなるよ。誰にも負けない、自慢の息子になる」
「おやおや。ケイドはもう十分、僕の最高の作品で、自慢の息子だよ。───でも、嬉しいね。楽しみにしてるよ」

 ヴィンセントが頭を撫でる、手の温かさだけが信じられる。
 そう、思っていた。
 

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