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08 冷たい指先

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「わたしが可愛い……?」

 日奈星ひなせさんの発言は間違っている。

 改めて言おう。

 雨月涼奈あまつきすずなは地味だ。

 黒髪をわざわざ三つ編みにして、分厚いレンズの黒縁メガネ。

 制服はボタンというボタンを全て閉め、スカートの丈はしっかり膝下。

 加えてノーメイクという遊びのなさ。

 誰がどう見ても残念女子だ。

「日奈星さん、可愛いって言葉の意味知ってる?」

 日奈星さんがどういう意味で“かわいい”を使用しているのかは知らないが、何でもかんでも可愛いで処理してしまうのは悪癖だと思う。

「わかるし、ほら」

 ――ひたっ

 何の脈略もなく日奈星さんがわたしの頬に触れていた。

 その指先はひんやりとしていて、冷たさだけが残る。

「なっ、なにっ」

 びくっ、とわたしは震えて後退りする。

 いきなり触られたらビックリしてしまう。

「やっぱり肌柔らかい、それに色白でキメ細かいし。超美肌じゃん」

「……そ、それは家から出ないからだし。メイクもしないから肌が傷つかないだけでしょ」

 日奈星さんのように毎日メイクをして、常にお出掛けするような人は肌に対するストレスが多いだろう。

 それに対して何もしていないわたしはノーストレス。ただそれだけの結果だ。

「それ、肌のためってこと?めっちゃ努力家じゃん」

「な、なぜそうなる……」

 発想がポジティブすぎる。

 いや、わたしがひねくれ過ぎてるだけなのか……?

 日奈星さんと話しているとよく分からなくなってくる。

「触らせてよ」

 もう一度、日奈星さんの指が伸びてくる。

「やだ」

 わたしはその指先を遮るように握り込んだ。

 やっぱり、日奈星さんの指先は冷たい。

 外にいるせいかもしれないが、こんな手でペタペタ触られても気持ちよくはない。

「雨月さん、手あったかいね」

 彼女の指先が冷たすぎるだけだと思うけど、相対的にそうなってしまう。

 日奈星さんはわたしに握られている手をまじまじと見つめて、暖かさを感じているようだった。

「日奈星さんは冷たい、こんな手で触られたら凍死する」

「大袈裟でしょ。それにあたしの心はあったかいってことじゃん」

「じゃあ、わたしの心は冷たいって言いたいのね」

 当たっている気しかしないけど。 

「そうやって身構えてるのも猫みたいで可愛いよね」

 日奈星さんは背が高いから、それに比べればわたしの方が小柄になる。

 だから小さくて猫背のわたしが小動物っぽく映るのかもしれない。

「意味わかんない」

「にゃーん、って言ってみてよ」

「言うわけないじゃん」

 日奈星さんの言動には脈略がない。

「もういい、行くなら行こうよ。どこに行くの?」

 それに周囲の視線にもうんざりしてきた。

 きっとその中にはわたしたちの会話に耳をすませている人もいるだろう。

 誰がどう見ても美少女は日奈星さんなのに、一方的に可愛いと言われるのは居心地が悪い。

「え、でも雨月さん乗り気じゃないっぽいし……」

「そんなことない。日奈星さんのオススメでいいから行こうよ」

「あたしの好みになっちゃうけどいいの?」

「うん、日奈星さんの好みでいい」

 というか、わたしに好みなんてない。

 ある物をテキトーに食べて飲んできた人間だ。

 日奈星さんにお願いした方が間違いない。

「おっけー、じゃあこっち」

 握っていた手を握り返される。

 そのままわたしは日奈星さんについて行く。

 日奈星さんの指先は、わたしの体温が乗り移っていくように少しずつ暖かくなっていった。


        ◇◇◇


 日奈星さんと一緒に入ったお店はカフェだった。

 木を基調とした空間に、所々観葉植物が置かれている。

 淡いオレンジ色の照明が優しい空間を演出している。

「……意外」

 思わず言葉を零した。

「え、そう?」

「うん、日奈星さんはもっと派手なお店に行くのかと思った」

「派手って?」

「分かんないけど、パリピでいえーい。みたいな?」

「なにそれウケる」

 日奈星さんは笑いながら、窓のあるテーブルに座る。

 わたしも後をついて行って、対面になるようにして座った。

 ソファはくすんだ緑色の布地で、少し毛先が長くてふわふわしていた。

 ……ていうか、こういう所初めて来た。

 日奈星さんは、店員さんに話しかけるわけでもなく席に着いたし。慣れてるんだろうな。

 益々、彼女が住まう世界との隔たりを感じる。

「雨月さんはどういうの飲むの?」

 メニュー表を渡され眺めてみる。

 なんかコーヒー系かお茶系のメニュー多いけど、あまり得意ではない。

「……オレンジジュースかな」

「マジか」

 日奈星さんはわたしの選択に驚いていた。

「え、なんか変?」

「ううん、変じゃないけど。でもごめん、こういうの苦手だった?」

 そういうわけじゃないけど、飲み物は冒険しない派なのでジュースを頼ませてもらう。

「食べ物は、なにかいる?」

「……ここって、何が美味しいの?」

 メニューには色々乗っているが、どれを選んでいいか分からない。

「スコーンとか美味しいけど。でもやっぱりパンケーキが一番人気かも」

 出ましたよパンケーキ。

 パンなのかケーキなのかどっちなのか正体不明の食べ物。

 でもその写真を見てみると……。

「美味しそうだね」

「食べたことないの?」

「ない」

 こういう小洒落たお店ではない。

「うそ、マジ?」

 日奈星さんがまた驚いていた。

「でも、これを一人で食べきれる自信はないな」

 写真を見る限り、パンケーキとやらは結構大きそうだった。

「あ、そだ。それなら一緒に食べない?」

 閃いた、と言わんばかりに日奈星さんの声が弾む。

 よく分からないがわたしにパンケーキを食べさせたいらしい。

「ん……わたしはいいけど、日奈星さんはいいの?」

「え、いいけど。なんで?」

「さっきの口振り的に、日奈星さんは一人でも食べれそうだったから」

「……いいの。むしろその方が。そうでもしないと永遠に食べ続けるから、あたし」

 どよん、と日奈星さんの空気が重くなる。

 なんだろう、食べる事に罪悪感を抱いている様だった。

 ……お昼休みも何気に食べる量多かったし、気にしてるんだろうか。

 でも十分細いし、気にする必要なさそうだけど。

「すいませーん、注文いいですか?」

 日奈星さんは手を上げて店員さんを呼ぶ。

 店員さんは爽やかな短髪の青年だった。

 ……画になるな。

 イケメンカフェ店員と美少女ギャル。

 相性はとても良かった。

「――以上でよろしいですか?」

「はい、お願いします」

 注文を聞いて、店員さんはカウンターへ戻って行く。

 日奈星さんも注文を終えて、視線をわたしに戻した。

「日奈星さんって、ああいう人は好みじゃないの?」

「待って、いきなりすぎない?」

「え、そう?」

「タイミングやばいって」

 まあ、確かに。普通なら聞かないだろう。

 でも、本当のことを言えばわたしは日奈星さんの好みを知っている。

 進藤湊しんどうみなとだ。

 だけど、そのルートから逸れた彼女はどんな人が好みなのか興味があった。

「日奈星さんはモテるのに誰とも付き合わないって有名だからね。カッコいい人、いくらでもいたと思うんだけど」

「うーん……なんて言うんだろ。カッコいいとか悪いとかは、あんまり分かんないんだよね」

 まあ……冴えない主人公を好きになるくらいだしね。

 容姿が重要ではないのかもしれない。

「なら、決め手はどこにあるの?」

「そうだなぁ……」

 うーん、と日奈星さんは唇を尖らせて、すぐに元に戻す。

「あたしのことを大事にしてくれて、守ってくれる人かな」

「範囲広い……」

「かもね。そういう雨月さんは?」

 え、わたしかぁ……。

 恋愛なんてしたことないし。

 あんまり分からないけど、強いてあげるなら……。

「リードしてくれる人かな」

 わたしは奥手だ。

 だから、そういうのを理解してくれて助けてくれる人がいればいいなと思ったことはある。

 そんな人がわたしを好きになると思ったことはないけれど。

「なるほどね。それは大丈夫だね」

「……なにが?」

 うんうん頷いて納得している様子の日奈星さんが、ちょっと不思議だった。
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