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19 心を拾って
しおりを挟む「……どうしよ」
朝、洗面台の前でわたしは手を止めていた。
昨日の放課後の凛莉ちゃんとの会話のせいだ。
“じゃあたまに髪型、変えてみたら?”
その言葉がわたしのいつものルーティーンを封じている。
「まあ、絶対に三つ編みにしたいってわけでもないしなぁ……」
元々のわたし、雪月真白は黒髪をストレートに伸ばしていた。
単純にそれが一番楽だからだ。
三つ編みは、手間と言えば手間だ。
それで好きでもないのだから、やる意味もないと言えばない……。
ただ、“雨月涼奈”というキャラクターを維持するためにしていたことだ。
でもそれはもう必要のない行為とも言える。
わたしは彼女ではなく、彼女の在り方を再現できないのだから。
「……そ、そう。これは三つ編みが面倒になっただけ。見た目とかを気にしたわけでも、凛莉ちゃんの言葉に左右されたわけじゃない。ただ、三つ編みがダルくなってやめるだけ」
誰に聞かせるわけでもなく、自分に言い聞かせる。
そう、これはずぼらなわたしによって雨月涼奈が塗り替わっていく過程なのだ。
ただそれだけ。
グッバイ雨月涼奈、ウェルカム雪月真白。
「……ま、どっちにしたって地味な陰キャですけどね。はは……」
乾いた笑い声が零れた。
わたしは髪を編まずに、くしで梳かす。
そうなると、少しだけうねる髪の毛のクセが気になった。
「……アイロンかけるか」
洗面台の下にある収納扉を開ける。
あまり使われてなさそうなストレートアイロンを取り出す。
温度を設定して、数分待つ。
ランプが点灯して温まったのを確認して、そのままアイロンを髪に通す。
うねっていた髪は、真っすぐに伸びた。
「これでいいか」
アイロンをしまおうとして、ある物に気付いた。
「コンタクトあるじゃん」
直観で、それが雨月涼奈の物だと分かる。
わたしも雨月涼奈と同様に視力は悪かったが、基本的にはコンタクトをしていた。
自然とそういう習慣になっていて、眼鏡はあまり掛けないタイプだった。
「この際だから、コンタクトにするか?」
……だが、腑に落ちない。
ストレートアイロンもあって、コンタクトもある。
これはどちらも雨月涼奈の所有物だ。
でも原作で、彼女が見た目を変えるシーンはなかった。
彼女のルートに入っても、だ。
なのになぜ、こんな物があるのだろう。
「……雨月涼奈って、本当は変わりたかったのかな」
でも彼女はそれを選ばなかった。
きっと、自分が変わることで進藤湊との関係性まで変わることを、怖がったんだと思う。
彼女であって彼女ではないわたしだからこそ、何となく分かってしまう。
それは考え過ぎなような気はするけれど、進藤湊を第一に考える彼女らしいようにも思える。
変化を望む自分と、変化を恐れる自分。
彼女はその中で揺れ動き、変化をしないことを選んだ。
進藤湊にとって都合のいい“冴えない幼馴染”を演じようとしたのだろう。
「でもわたしより、よっぽど立派じゃん」
それでも、彼女は選択したのだ。
変化しないことを選ぶ、それはただ立ち止まっているのとは違う。
進みたいのに止まり続けるのは、とても苦しい。
他人には等しく止まっているようにしか見えないけれど、本人にとっては動き出そうとするモノを常に押さえつけているのだ。
それも、好きな人のために。
それを知ってしまったわたしは、そんな彼女が健気だと思う。
とても真似はできないし、したいとも思わないけれど。
「……ま。それなら君が変わりたかった姿に、わたしがなってあげるよ」
雪月真白にとっては、これは引き戻りだ。
雨月涼奈にとっては、変化ではあるけれど。
だから、何の意味もないこの行為も、彼女のためにはなるかもしれない。
それは、進藤湊との未来を描けない雪月真白の、雨月涼奈に対する罪滅ぼしでもあった。
◇◇◇
「……とは言い聞かせたものの、やっぱり違和感あるな」
家から出ると、風でなびく髪が新鮮だった。
眼鏡の重みがない感覚は、なんだかさっぱりしすぎている気もする。
いくら雪月真白の時はこの姿に近かったとは言え、体は雨月涼奈。
以前とは違う姿に違和感を覚えてしまうのは避けられなかった。
「す、涼奈……!?そ、それ……!!」
「えっと……」
繁華街に入る手前で、凛莉ちゃんが口に手を当てていた。
「その髪……、め、眼鏡も……!!」
「いや、ていうか当たり前のように待ち伏せしないで欲しいんだけど。もう待ち合わせみたいになってるじゃん」
「そんなことはいいのっ。涼奈、どうしたのそれっ!」
「ど、どうしたのって……」
凛莉ちゃんはわたしの言う事を聞いているようで聞いていない。
ただ、わたしの見た目の変化にしか興味を示していない。
「昨日あんだけ嫌がってたのに、どういう風の吹き回しっ」
「い、いいじゃん。三つ編みめんどくさいし、眼鏡も体育の時動きにくいし」
「へー。そっかー。ふーん」
凛莉ちゃんはニヤニヤしながら、わたしに詰め寄る。
食い入るように見てくるその態度はちょっと嫌だ。
「あんまり見ないでよ、別に大したことしてないじゃん」
ただ三つ編みと眼鏡をやめただけ。
それだけのことだ。
「いやー、雰囲気かわるよ。いいね、涼奈かわいいよ」
「いいって。お世辞とかいらないし」
別に褒められたくてやったわけじゃないし、凛莉ちゃんの感想が欲しかったわけじゃない。
「お世辞じゃないって。ほんと、かわいいよ涼奈」
じっと凛莉ちゃんはわたしの目を覗いて訴えかけてくる。
その真剣な眼差しをしている時は本気の時だと知っている。
というか、凛莉ちゃんはわたしに嘘をついたりしないのも知っている。
「いいって。何回も言わなくて」
それでも、あまりに真面目な雰囲気で言うからわたしは顔を反らす。
可愛いをそんな調子で言うなんて、普通じゃない。
「……涼奈、もしかして照れた?」
「照れてない」
「耳、赤いけど」
「赤くない」
顔が熱くなっているのは自覚している。
それでも、認めるわけにはいかない。
それを認めてしまえば彼女の言葉で揺れ動いてしまったのを知らせることになるから。
「なら触って確かめていい?」
「やだ」
「なんで」
「触らせるような場所じゃないから」
「じゃあ、髪ならいいでしょ?」
妥協案が髪、意味は分からない。
「まあ……いいけど」
でも、髪ならわたしの温度は伝わらない。
それでこの話題が終わるのなら、そうしてしまおう。
「マジ?やった」
凛莉ちゃんは、そっとわたしの髪に指で触れる。
毛先まで指を滑らせて、束になっていた髪がぱらぱらと彼女の手から零れ落ちて行く。
「さらさらだね」
「……痛むようなことしてないから」
「まるで涼奈みたい」
「どういう意味」
「真っすぐで綺麗ってこと」
この人、朝からなんでこんなポエム全開なの?
羞恥心どこかに置き忘れてきたわけ?
「もういいっ、学校いくから」
「あ、ちょっと待ってよ。なんでそんな心変わりしたのか、理由教えてよ」
「……理由」
「やっぱり涼奈も気分変えたくなったわけ?」
「……半分はね」
「半分?」
もう半分は雨月涼奈の心残り。
わたしはそれを拾ったのだと思う。
だから少しだけ、心が軽いのだろう。
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