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35 一緒にいるのが理由
しおりを挟むこれでいい。
これでもう上坂さんに迷惑をかけることもない。
七瀬さんに言われたことは悔しかったけど、否定はできなかった。
全ては、あたしのワガママから始まったことだ。
何も出来ないくせに家から抜け出して、でもやっぱり何も出来ないから上坂さんを騙した。
これが迷惑じゃなくて何だと言うんだ。
家事はやったけれど、そんなこと何の埋め合わせにもならない。
だって上坂さんは元々一人で暮らしていたんだ。
あたしがいなくても成立していた生活。
一人では生きていけないあたしは、図々しくもその上坂さんの生活に上がり込んだ。
そのストレスはきっと上坂さんにとっては図りしれなくて、仕事にまで支障をきたすようになっていた。
全部、あたしのせいだ。
「でも、これでやっと元通りだから……」
夜の街は明るい。
あたしは吸い寄せられるように、その光に近づいて行く。
当てのないあたしの行先は真っ暗で、こうして照らされる場所にしか行き場がない。
「結局、こうなるんだなぁ……」
上坂さんにこれ以上苦労を掛けずに済むことには一安心している。
だけど、それとは別の不安が生まれる。
一人では何も出来ないあたしに、また元通りだ。
間違っていると分かっていても、家に戻る気にはなれない。
あたしはまだこの逃避行そのものをやめるつもりはない。
でも、現実問題、人が生きていくには住む場所と食べ物が必要で。
今のあたしにはそれを実現するお金はない。
バイトは始めたばかりで、いや、仮にお金が入った所で一人で生きていける収入には程遠い。
だとしたら、あたしのやれることは限られる。
通り過ぎていく仕事終わりの大人たち。
すれ違う人々が通り際にあたしを横目で眺めていく。
夏休み時期に、夜中の街で制服姿。
浮かないはずがなかった。
「でも、好都合かな」
何となくその視線の種類で、あたしにどういう感情を孕んでいるのか察しがつく。
特に、そっちを求めている人の気配は独特だ。
だから、少し目線を合わせてこちらから声を掛けてしまえば話はすぐに進むだろう。
一度やったことを繰り返すだけ。
難しいことじゃない。
「……あ」
あたしを舐めまわすような視線が絡みつく。
その人に目線を合わせると、向こうは一瞬ひるんだけど、視線を外さないあたしを見てぎこちなさが薄れていく。
次第に安堵したような笑みを口元に浮かべ、こちらに近づいてくる。
うん、大丈夫だ。
元々、覚悟していたこと。
少しの勇気を振り絞れば、また新しい生活が待っている。
「君、今ヒマなの?」
「うん、そうなの」
短い言葉で、お互いの意思を探り合う。
あと少しの会話を重ねれば、話はとんとん拍子に進むだろう。
この人がどんな人かはまだ分からないけれど、きっと上坂さんの時のように……。
上坂さんの、時のように……?
なるの?
あんな生活が有り得るの?
そんなはずあるのかな。
上坂さんは上坂さんしかいなくて。
きっと明日からはまたいつものようにコンビニご飯になっちゃう、困った人……。
あれ、どうしたらいいんだろう。
そう思ったら、急に体が硬くなってきて……。
でも、相手はその気になっている。
あたしも断ったところで、どうすることも出来やしない。
だから、このまま――
「あの、うちの子に声掛けないでもらっていいですか?」
横から、あの人の声がする。
間に割って入るように、その人の後ろ姿が見える。
背はあたしより低いから、頭頂部まで見えてしまうその背中。
でも、あたしなんかよりよっぽど存在感がある人で。
「え、いや、その子がヒマって言うから……」
「私を待っているからヒマだっただけです。変な気を起こさないで下さい」
その言葉で、知らない大人はバツが悪そうに踵を返していく。
残されたその人はあたしの方を振り返る。
見上げてくる視線はいつも以上に鋭い。
「雛乃、なにしてんの」
「……上坂さんこそ、なにしてんの」
「家出少女がもう一つの家からも出て行ったもんだから、連れ戻しに来た」
「なにそれ」
家出少女の更に家出とか、聞いたことない。
「あんたのことでしょ」
「だって、あたしもうこれ以上迷惑かけたくなくて」
「それが迷惑だから」
「……えっと」
どこの何を指しているのか、どういう意味なのかよく分からない。
「確かに私はあんたを抱いてしまった引け目と、それを隠すために家に住まわせてた」
「うん、でもそれはあたしの嘘なの。だから上坂さんはあたしのこと気にする必要ないんだよ」
「でもね、そんなのはもうどうだっていい」
ぐいっと上坂さんが近づいて来る。
その指を伸ばして、あたしの胸元に押し付けてくる。
「私はね、もうそんな昔のことも、条件だってどうだって良くなってるの」
「それって、どういう……」
「分かんないよ、何が正解かは。それはあんたからちゃんと話を聞いて、雛乃も自分自身で考えて行かないと、だからね――」
また一歩、上坂さんが近づいて来る。
「あんたの幸せはあんなことを繰り返していても得られない、それは断言する。そんなこと続けるくらいなら、私の家に戻って、そこで問題と向き合いなよ」
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
なんで、騙したあたしをまた家に住まわせてくれるって言うんだろう。
その意味と、目的が分からない。
上坂さんにとって良い事は一つもないのに。
「雛乃、私はね、こう見えて寂しがり屋なの」
「……うん?」
今、その話?
「コミュニケーション能力がないから一人なだけで、本当は一人が好きなわけじゃないし。ご飯だって出来るならちゃんとしたものが食べたいの」
「……うん」
「だから、雛乃がいてすっごい助かってるし、楽しいの。本当はダメかもしれないけど、別に家出くらいいいじゃんって思いはじめてる自分もいるの」
「そう、なんだ……」
それは初めて聞いた。
「まあ、気持ちの話だけどね。雛乃ににはいつかちゃんと実家に戻って欲しいと思ってるよ」
「そうだよね……」
でも、やっぱりその優しさには付け込めない。
あたしはそれを利用してしまったから、もうこれ以上はいけない。
「でも、仕事にまで迷惑かけちゃったし」
「なに仕事って。そんなのどうでもいいから」
上坂さんは間髪入れずに返してくる。
「いい、の?」
「うん、全然いい」
でも七瀬さんは、上坂さんにとって仕事を奪われることは今後の人生に関わるって言ってて――
「仕事なんかいつか辞めるもんだし。それよりも、私は雛乃をこのまま放っておくわけにはいかないの」
「そんなに、どうして心配するのさ」
やっぱりそこまでする理由は分からない。
「わっかんないかなぁ……」
上坂さんはあたしの胸元に押し付けていた指を開き、今度はリボンを掴んでくる。
「うらぁっ」
「え、うわっ」
そのまま無理矢理に引き寄せられる。
上坂さんはそれに合わせるように、頭を突き出した。
ごつん、とおでこ同士がぶつかる。
「いたいっ」
だけど、ぶつけてきた上坂さんの方が悶えていた。
なにしてんだろ……。
「あの、大丈夫?」
「大丈夫じゃない、痛いよっ」
……じゃあ、なんでやってきたんだろ。
それでも上坂さんはおでこをぶつけたまま、話しを続ける。
「いいか、近づくってこういうことなの」
「……どういうこと?」
途中から上坂さんの言ってることが本当に分からなくなってきた。
「痛かったでしょ?」
「上坂さんがね」
「そう、互いに近づいたら傷つくこともある。そういうもんなのっ」
それは、そうだろうけど……。
「そして、痛がった私を見て雛乃は何て言った?」
「え、“大丈夫?”って」
「そう、心配してくれたでしょ」
「そりゃ……そうだけど」
「おでこぶつけるのも、生活も同じなのっ」
ようやく上坂さんはおでこを離す。
「一緒にいたら近づきすぎて傷つくこともある。でもね、その痛みを分かってあげられるのは、やっぱり一緒にいる人なんだよ。今の私の痛みを理解して心配してくれるのは、この世に雛乃だけなんだよ」
「……」
「だから、雛乃の痛みを分かってあげられるのも私だけなんだっ。もう私たちはそういう関係なんだ。始まりがどうかなんて関係ない。私達は互いを心配できる関係になったんだよ、それは他人には出来ない事なんだっ」
いつも以上に言葉に熱がこもる上坂さん。
その意味を理解して、あたしは言葉を詰まらせる。
「分かったか。だから私は雛乃の痛みが消えるまで心配で仕方がないし、理由なんてこれだけで十分すぎる。私は最後まであんたの面倒を見続けるからねっ」
……ああ。
上坂さんって、本当に。
「マジ優しすぎてムリ。前、見えないんですけど」
「うおおおっ、本当はおでこ痛かったの雛乃?!」
やっぱり、最後はとんちかんだけど。
でも上坂さんと一緒にいれて、本当に良かった。
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