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49 それぞれの道
しおりを挟むバスに揺らされながら、あたしは窓越しの景色を眺める。
馴染みのない風景。
本当に縁もゆかりもない場所にいたんだと、改めて思う。
ただ、その中で栞さんと、あの家だけが特別だった。
バカなことして転がり込んだ先に、こんなに大切なものをもらって帰ることになるなんて思ってもみなかった。
だから、今はその人と離れることがこんなにも悲しい。
今すぐにでも戻りたいと心の奥では叫んでいる。
でも、それをしてはいけないと栞さんに教えてもらったから。
あたしのことを待ってくれていると言ってくれたから、今はそれを信じたいと思う。
「……ついちゃった」
慣れ親しんでいるはずのあたしの家。
そのはずなのに、まるで知らない場所みたいだった。
あたしにとっての家は、栞さんの家になってしまったんだね。
「でも、そんなことも言ってられないか」
覚悟は決めた。
もう迷うことはない。
あたしは扉を開ける。
そのまま廊下を抜け、リビングへ。
「……え」
そこには母がいた。
拍子抜けしたような顔をして、口をあんぐりと開けている。
こんな間抜けな表情の母を見たのは初めてかもしれない。
「久しぶり」
あたしは何と言ったらいいか分からず、とりあえず思ったことを口にした。
「あ、あなた、今までどこへ……!」
状況を理解した母は語尾を強めていく。
それは家を出て行ったあたしに対する怒りの感情だろうか。
「こんなに長い間、連絡の一つもしないで……。あなたは遊んでいて楽しかったのかもしれないけど、周囲の方にちゃんと説明できない私の苦労があなたに分かる!?」
あー……。
やっぱり、この人は相変わらずだ。
1か月ぶりに喧嘩別れした娘が帰ってきて、最終的にはあたしの話じゃなくて自分の苦労の話か。
もっと聞くべきことも、話すべきことはある気しかしないけど。
まあ、もう分かったよ。
「ごめんなさいっ!」
「え……」
私は頭を下げた。
そんな反応が返ってくると思っていなかったのか、母はまたしても口をぽかんと開けた。
「あたしが子供だった。あたし一人じゃ何も出来ないくせに、反抗ばっかりするようなことしてたよね。これからはもっと聞く耳も持つようにするから」
「え、あ、え……?」
まあ、見た目とかそういうのは変える気ないけど。
勉強くらいはちゃんとやろうかなって。
あと無駄に反抗するのもやめるかな。
この家にいたくはないけど、栞さんの約束のためにもう少しはいなきゃいけないから。
そのためなら多少の我慢はするよ。
「一か月間、友達の家にいただけで変なことはしてないから。お母さんに迷惑をかけるようなことはしてないよ」
危うくパパ活なるものはしかけたが、それは未遂に終わったからセーフとさせてもらおう。
とにかく母の大事な世間体はギリセーフなはず。
色んな意味でありがとう栞さん。
「明日からはちゃんと学校行くから、もう心配しないでよ」
「……そ、そう」
腑に落ちているような、落ちていないような。
母は苦虫を潰したような顔をしながらも、それ以上は言ってこなかった。
「それじゃ、あたしは部屋に戻るよ」
「……好きにしなさい」
なんだ。
思っていたより、ずっと母の相手は簡単だった。
この人もこの人だけど、あたしもあたしだったのかもしれない。
とにかく反抗して、お互いに話しが聞けるような状態じゃなかったのかな。
でも、こうしてそんな大人なことが出来るようになったのも――
「やっぱり栞さんのおかげ、なんだよね」
久しぶりのあたしの部屋。
そこはまるで他人のような空気と匂いだった。
あたしの中には、空気と匂いすらも栞さんに染まっていることに気付く。
でもこの匂いにもいつかは慣れて、栞さんの香りを忘れてしまうんだろうか。
「……そうなったら、やだな」
だから、今はまだあたし自身に残っている栞さんを感じていたい。
◇◇◇
雛乃が私の家を出て行ってから数日後。
最初は違和感だらけだった一人の日々も、悲しいかなやっぱり人は慣れていく。
雛乃がいない日常がちょっとずつ当たり前になっていて、それに順応していく。
やっぱり私は冷たい人間なのかな、そう思いながらも生活は続いて行った。
雛乃は私の生活のことを気にしていたけど、私は大丈夫だ。
今もこうしていつも通りに仕事をして――
「……あの先輩?」
「なによ」
後輩の七瀬は不用意に私に声を掛けてくる。
やめてよ、私は仕事に集中したいのに。
「いや……あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫って、私に何か問題あるわけ?」
仮にも先輩の仕事っぷりに口を出すとは何事か。
「いや、さっきからずっとティッシュで鼻を拭いてるので……」
「鼻水が出るのよっ」
見ればわかるでしょ。
「目も真っ赤ですし……」
「涙が出るんだから仕方ないでしょっ」
そりゃ目と鼻から色々垂れ流し状態なんだから誰だって拭くでしょうが。
何を言ってるんだこの後輩は。
「……花粉症、じゃないですよね?」
「なんで決めつけるのよ」
そうかもしれないじゃない。
ていうか、そういうことにしたいんだけど。
「先輩、“私ってアレルギーとかないのよね。でも誰も寄り付かないから人間アレルギーはあるのかもね、あはは!”って前言ってたので」
「……」
昔の私はこれまた笑えない自虐してんなぁ……。
それに余計なことも言っている。
無駄に口を開くもんじゃない。
「やっぱり普通じゃないですよね。何かあったんじゃないですか?」
「何もないから、いいから仕事に戻りなさいよ」
これ以上、変な詮索をするんじゃない。
私はとにかく今は仕事に全集中。
モニターを凝視し、タイピングして数字の羅列を埋めていく。
ほら見なさい。
私はちゃんと仕事が出来ている。
「寧音ちゃん、じゃないですか?」
――ピタッ
私の指は急停止した。
「……なんのことかしら」
「最近全然、寧音ちゃんの話しなくなりましたし」
……。
「しないだけでしょ」
「先輩、お弁当やめましたよね?」
「だから?」
「あれ、寧音ちゃんが作ってくれてたんじゃないですか?」
「……いや」
「あ、わたし寧音ちゃんが先輩の家に上がり込んでたの知ってますよ?」
ビクンッ
今度は体が跳ねる。
「知ってたの?」
「あ、はい。それ以外のことはあんまりですけど」
お、おやおや。
雲行きが怪しいな。
「それになんか最近は時短メイクになってますし。明らかに女子力下がってますよね?」
「……元々、低いし」
「寧音ちゃんと何かあったからじゃないですか?」
……こ、このぉっ。
こいつめ、何でそんなことばっかり……。
「……呼ぶなっ」
「え?」
「お前が雛乃を“寧音”って呼ぶなぁっ!!」
「そこなんですか!?」
「そうだよ、雛乃と何かあったんだよ。悪いか、このやろー」
「えっ、ちょっと、先輩!?」
くっそー。
こっちは我慢してるのに、痛い所ばっかり突いてきやがって。
私をどうしたいんだ、このやろー。
「どうせ私は哀れなこじらせ独身アラサーですよぉおおお」
「せ、先輩、声が大きすぎっ」
「声くらい多少デカくてもいいでしょうがーーっ」
「お、落ち着いてくださいっ」
「お、おいっ、目が見えんっ、息も出来ないっ!!」
「そ、それは泣きながら鼻水を垂らしてるからでですね!?」
雛乃、元気にしてる?
なんか私はまだ壊れてるっぽいけど。
でも何とかなりそうだから心配しないで。
……うん。多分。
そんなことよりもだ。
これからもあなたらしく生きて行ってね。
その先に私がいなくても大丈夫だから。
それよりも、私は雛乃の幸せを願ってるから。
【お知らせ】
いつも読んで頂いてありがとうございます。
次回で最終話になります。
よろしくお願いします。
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