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31 心と体
しおりを挟む「……ねむ」
翌日。
心は晴れるどころか鉛のように更に重くなるばかりだった。
それでも日常は続いていく。
あたしはボサボサになった髪をそのままに、居間に降りて朝食を食べることにする。
「あ、詩苑。おはよう」
居間には髪をアップにまとめた眼鏡姿のママが朝食のトーストをテーブルに配膳してくれている所だった。
あたしはパジャマに寝ぐせなのはご愛敬だ。
「おはよー」
「あんた昨日はどうしたの? 夜ご飯も食べないで部屋にずっといたけど」
「あー、うん、寝てた」
「なんかあったの?」
当然と言えば当然の疑問。
でも、それを答えたい気分じゃない。
この前連れてきたばかりの友人(氷乃は認めてくれてなかったけど)に、もう絶交を言い渡されたなんて。
ママも喜んでくれていた分、なおのこと言いづらい。
「お年頃にはそういう不安定な時もあるでしょ」
なんて、思春期っぽい発言で逃げてみる。
まあ、実際そうだと思うんだけど。
我ながら可愛くない答えだとは思う。
「あー、確かにあったかも……もうほとんど忘れてるけど。あんたは若いね」
と言って納得し、すたすたとキッチンに引っ込んでいった。
……うん。
その反応はかなり楽で助かるんだけどさ。
もうちょっと心配してくれてもいいんじゃないかな?
聞き分けよすぎない?
「……それだけ?」
逆にあたしが聞き返すという。
「ん? 言いたくないんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「なら、別にいいよ」
あっけらかんと、ママは何事もなかったかのように振る舞う。
「でも、夜ごはんも食べないくらいなんだから。なんか大事だったのかもよ」
なぜかあたしの方が自分で掘っていく。
あたしって自分で思っていたより、かまってちゃんだったのかな。
「母親としては、夜ごはん用意したんだから“食べないなら先に言っとけよ”とは思ったけど」
「ごめんなさい」
それは謝るしかない。
でも、そこまで気が回らないくらいあたしは落ち込んでいた。
乙女の心は繊細なのだ。
最強キャラはもう諦めたから、許して欲しい。
「そうなっちゃうくらいの気分だったというか……」
「うん、そうだと思って深く聞いてないのよ」
うおお……。
見透かされている。
テキトーなようで、ちゃんと考えているらしい。
ママはいつもズボラで何も考えてなさそうなのに、こういう時に年の功を感じてしまう。
「でもあたし理由すら言ってないし、勝手なことしてるけど、ムカつかない?」
夜ご飯を食べず、眠って、その理由も明かさないという傍若無人ぷり。
ママはそれでもいつものように何食わぬ顔で接してくれていた。
え、もしかして無関心なだけ?
あたしってママにすら遠ざけられてたの?
育児放棄?
ショックすぎる事実に気付いてしまったのかもしれない。
「あんたがそうしたいから、そうしてるんでしょ? なら任せるよ」
「……そういうものかな」
大人と言えば大人な対応な気もするけど。
どこか寂しいような気もする。
あたしなら、そんな態度はとれない。
だからこそ、氷乃の拒絶にも過剰に反応してしまったわけだし。
「だいたいね、あんたがママを拒否ったところで、どーこーなるような関係じゃないでしょ」
ママはあたしの拒否にはビクともしない。
それは今のあたしには理解できない。
もしかして、あたしが追い求めていた最強はママのことだったのか。
「その拒否がずっと続いたら?」
氷乃のようにもう関わらないと明言されてしまったら、どうするんだろう。
「あははっ、どーせあんたの方からすぐに泣きついてくるって」
「すげぇ自信だな……」
何をどうしたらそんな確信が得られるんだ。
でも実際問題、あたしがここでママすら拒否ったら完全に孤独になる。
だから、そんなお愚かな行為をすることはないだろうけど。
「それに、その時はその時だしね」
「と言うと?」
「本当に理由があって詩苑がそうするなら、それはそれで受け入れるさ」
器でけぇ……。
なにこの人。
ほんとにあたしの母親?
人間としての器の大きさなのか。
あたしの悩みなんてまるでちっぽけとしか思えない返答に、スケールの違いを見せつけられる。
「その理由が納得いかなくてもいいの?」
今のあたしはそういう状況だと思う。
「なら、納得いくまで話せばいいんじゃない」
「それすら拒否したら?」
「拒否を拒否するね」
「それでもっと仲がこじれるとしても?」
んー。
とママは首を傾げて唸る。
さすがに、いくらママでもこういう状況ならお手上げだろう。
相手が話し合いすら拒否していたら、どうすることも出来ない。
「そこで壊れるような関係性なら、そもそもママは深く話そうとはしないかな?」
「……」
「何かぶつかって傷ついても、それすらも良しと思ってくれる。そう信じてる人としか深く関わろうとはしない」
「……ああ」
そうか。
結局、お互いがどこまで思い合えているかなんだ。
「でも、それも結局話さないと分かんないしねぇ。こっちは少なくとも大事に思ってるんだから、確認はするんじゃない?」
氷乃があたしを拒絶したとしても。
あたしは氷乃を拒絶したいだなんて思ってない。
まだ繋がっていたいと望んでいる。
その気持ちを打ち明けもせず、一方的に氷乃の想いだけを受け取る必要はない。
氷乃は氷乃の気持ちを明かしたのだから、あたしはあたしの気持ちを打ち明けてもいいはずだ。
それでぶつかって傷ついたとしても、離れて何もなくなるよりはずっといい。
「そうだね、それはそうだ」
確かにあたしもそう思う。
どこか一筋の光が差し込んだように感じた。
何をすべきか、分かったような気がする。
「ありがとうママ! あたし学校に行ってくる!」
心が躍ると、体は羽のように軽くなる。
さっきまでの重さが嘘のようだった。
自由を得たあたしは立ち上がり、着替えるために部屋へと向かう。
彼女の元に駆けつけるために。
「いや、朝ご飯は食え」
そうだった。
まだ朝食を食べていなかった。
大人しく座ってトーストにかじりつく。
「……美味しい」
昨日のお昼はお弁当の味がしなくて、夜は食欲すら湧かなかったのに。
目の前の朝食は、優しい味が広がっていた。
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