74 / 84
73. 愛の言葉
しおりを挟む
リネットたちに外してもらい、エルドと二人きりになる。椅子に座り瞳を伏せる私の言葉を待つ、エルドの視線。こんな時なのにこの人と静かな空間にいることが、どこか心地良くてならない。
「…それで、アリア様。お話というのは…」
なかなか言葉を発さない私に対し、エルドが気遣うような声色でそう問いかける。私は深く息を吸うと、それをゆっくりと吐き出してから覚悟を決めて顔を上げた。
「…ええ。あのね、…あなた、カナルヴァーラ王国のことを、どう思う?」
それが彼にとって突拍子もない質問であったことは、その表情を見れば明らかだった。いつも穏やかな、それでいて隙のないポーカーフェイスを保っているエルドの目が束の間大きく見開かれた。
「…そうですね…。とても素敵なところだと思っております」
「そう?」
「ええ。このラドレイヴンに比べれば国土は小さいですが、豊かな資源や才知溢れる王家の方々による国政の元で近年はますます発展していますし、国民の幸福度も高いでしょう」
その国出身の王妃にこんなことを問われれば、そりゃこう答えるだろうという模範解答だ。でもきっと、あながち嘘ではないと思う。
「我が国からも優秀な人材が多くカナルヴァーラに逃れているようですしね。今後はますます軍事力、経済力とも強化されていくのだと思います」
「…ええ、そうよね。私もそう思っているわ」
私は微笑みを浮かべ、目の前の愛しい人の顔を見つめながら言った。
「暮らしやすい国よ、きっと。…少なくとも、今のこの国よりははるかに。優秀な人材は手厚い待遇で受け入れてくれるわ。…特に、あなたたちのような素晴らしい騎士はね。国防の要だもの」
「……?……アリア様…」
平然と問うつもりでいたのに、思わずエルドから視線を逸らしてしまう。彼は何と答えるだろうか。こんなことを言い出せば、怒るかもしれない。だけど私はエルドを、…ここで出会った大切な人たちをこれから先無駄に苦しめたり、危険な目に遭わせたくはない。
だって今の王家はもう、彼らがその命を賭けてまで仕える価値はないのだから。
「お父上のファウラー騎士団長やあなたを含めた王国騎士団の騎士たちの中で、ここを離れてカナルヴァーラに移りたいという人たちがいれば、私が取り持つことができるわ。ここはもうすぐ血の雨が降ることになるかもしれない。あなたたちが命を賭して守る価値もないあの国王の元にいるよりも、他の道を考えてみてはどうかしら」
エルドは微動だにしない。部屋の空気はシンと固まり、息をするのも憚られるほどの静寂が訪れた。
「…あなた様は、どうなさるおつもりなのですか」
そんな中で静かに紡がれたエルドの声はあくまで穏やかだった。
「私?…私はもちろん、最後までここにいるわ。腐ってもラドレイヴン王国の王妃ですもの。私に他の道なんてない」
「であれば、俺の答えも決まっています。どこにも行きません。俺はいつ、何が起ころうとも、決してあなたのそばを離れない。…俺が守るのは、国でも国王でもありません。…あなたです、アリア様」
「……エルド…」
あまりに毅然と言い切るその声には一切の迷いがなかった。驚いて思わずエルドの顔を見上げる。王国騎士団に所属していながら、まるでこの国よりも国王よりも私のことが大切だと言ってくれているような彼の瞳は、相変わらず澄みきっていた。
あ然と見上げている私の前に進み出ると、エルドは跪いて私の手を取った。
「……っ、」
「俺は死んでもあなた様から離れません。どうか、もうそのようなことは仰らないでください、アリア様。たとえ国がどうなろうと、…あなたが今後どのような道を選ぼうとも、俺の心が変わることはない。…最後まで、おそばにいさせてください」
「……エル、ド…」
真摯な言葉とその眼差しに、目まいがするほどの喜びを感じた。私にとって彼のその言葉は、ただの護衛騎士としての言葉ではない。
誰よりも大切な殿方からの、この上ない愛の言葉のように聞こえたのだ。
私のそばにあり続けることを選んでくれた。
「そもそも、俺は護衛騎士ですよ。これまでになく危険な情勢になりつつある今になって、何故あなた様のそばを離れる選択肢があると思うのですか」
「……。だって…」
「お気持ちはとても嬉しいですが、守るのは俺の役目です」
エルドはそう言うと、私の手の甲にそっと唇を押し当てた。
「…お慕い申し上げております、アリア様。どうか、おそばにいさせてください。これから先もずっと」
「……ええ……。…ありがとう、エルド…」
その言葉はきっと、一人の殿方から女性に対しての言葉ではない。
騎士から王妃への、忠誠を証すための言葉だったのだろう。
頭でそう分かっているからこそ、エルドのその言葉はとても甘く、そして堪えきれないほどに切なく、私の胸を締めつけたのだった。
結局私の護衛騎士たちの中で、ここを離れてみてはという私の提案に頷く者は誰一人いなかった。皆エルドと同じように、最後まで私のそばでこの身を守ってくれるという。
「冗談はお止めください!ひどいですよぉアリア様…っ!わ、私だけカナルヴァーラに送り返すなど…!二度と仰らないでくださいませっ!このリネットはたとえしがみついてでもアリア様から離れませんからねっ!」
リネットの安全を確保したくて彼女にも国に帰ってはどうかと諭してみたけれど、絶対に嫌だと鼻水を垂らして泣かれた。私は幸せ者だ。不出来な王妃であったというのに、こんなにも皆から慕ってもらっている。
「…ごめんなさいね。ありがとう、リネット」
それから数週間後、カナルヴァーラとファルレーヌによる連合軍がラドレイヴン王国に侵攻し、王宮に攻め入った。
すでに崩壊の一途を辿っていた大国の軍隊はほとんどまともに機能しておらず、各所の警備は驚くほど乱れ、手薄になっていた。
数百人からなる連合軍の精鋭騎士たちは深夜に猛スピードで馬を走らせ、難なく関所を突破すると真っ直ぐに王宮を目指した。
そして───────
「…それで、アリア様。お話というのは…」
なかなか言葉を発さない私に対し、エルドが気遣うような声色でそう問いかける。私は深く息を吸うと、それをゆっくりと吐き出してから覚悟を決めて顔を上げた。
「…ええ。あのね、…あなた、カナルヴァーラ王国のことを、どう思う?」
それが彼にとって突拍子もない質問であったことは、その表情を見れば明らかだった。いつも穏やかな、それでいて隙のないポーカーフェイスを保っているエルドの目が束の間大きく見開かれた。
「…そうですね…。とても素敵なところだと思っております」
「そう?」
「ええ。このラドレイヴンに比べれば国土は小さいですが、豊かな資源や才知溢れる王家の方々による国政の元で近年はますます発展していますし、国民の幸福度も高いでしょう」
その国出身の王妃にこんなことを問われれば、そりゃこう答えるだろうという模範解答だ。でもきっと、あながち嘘ではないと思う。
「我が国からも優秀な人材が多くカナルヴァーラに逃れているようですしね。今後はますます軍事力、経済力とも強化されていくのだと思います」
「…ええ、そうよね。私もそう思っているわ」
私は微笑みを浮かべ、目の前の愛しい人の顔を見つめながら言った。
「暮らしやすい国よ、きっと。…少なくとも、今のこの国よりははるかに。優秀な人材は手厚い待遇で受け入れてくれるわ。…特に、あなたたちのような素晴らしい騎士はね。国防の要だもの」
「……?……アリア様…」
平然と問うつもりでいたのに、思わずエルドから視線を逸らしてしまう。彼は何と答えるだろうか。こんなことを言い出せば、怒るかもしれない。だけど私はエルドを、…ここで出会った大切な人たちをこれから先無駄に苦しめたり、危険な目に遭わせたくはない。
だって今の王家はもう、彼らがその命を賭けてまで仕える価値はないのだから。
「お父上のファウラー騎士団長やあなたを含めた王国騎士団の騎士たちの中で、ここを離れてカナルヴァーラに移りたいという人たちがいれば、私が取り持つことができるわ。ここはもうすぐ血の雨が降ることになるかもしれない。あなたたちが命を賭して守る価値もないあの国王の元にいるよりも、他の道を考えてみてはどうかしら」
エルドは微動だにしない。部屋の空気はシンと固まり、息をするのも憚られるほどの静寂が訪れた。
「…あなた様は、どうなさるおつもりなのですか」
そんな中で静かに紡がれたエルドの声はあくまで穏やかだった。
「私?…私はもちろん、最後までここにいるわ。腐ってもラドレイヴン王国の王妃ですもの。私に他の道なんてない」
「であれば、俺の答えも決まっています。どこにも行きません。俺はいつ、何が起ころうとも、決してあなたのそばを離れない。…俺が守るのは、国でも国王でもありません。…あなたです、アリア様」
「……エルド…」
あまりに毅然と言い切るその声には一切の迷いがなかった。驚いて思わずエルドの顔を見上げる。王国騎士団に所属していながら、まるでこの国よりも国王よりも私のことが大切だと言ってくれているような彼の瞳は、相変わらず澄みきっていた。
あ然と見上げている私の前に進み出ると、エルドは跪いて私の手を取った。
「……っ、」
「俺は死んでもあなた様から離れません。どうか、もうそのようなことは仰らないでください、アリア様。たとえ国がどうなろうと、…あなたが今後どのような道を選ぼうとも、俺の心が変わることはない。…最後まで、おそばにいさせてください」
「……エル、ド…」
真摯な言葉とその眼差しに、目まいがするほどの喜びを感じた。私にとって彼のその言葉は、ただの護衛騎士としての言葉ではない。
誰よりも大切な殿方からの、この上ない愛の言葉のように聞こえたのだ。
私のそばにあり続けることを選んでくれた。
「そもそも、俺は護衛騎士ですよ。これまでになく危険な情勢になりつつある今になって、何故あなた様のそばを離れる選択肢があると思うのですか」
「……。だって…」
「お気持ちはとても嬉しいですが、守るのは俺の役目です」
エルドはそう言うと、私の手の甲にそっと唇を押し当てた。
「…お慕い申し上げております、アリア様。どうか、おそばにいさせてください。これから先もずっと」
「……ええ……。…ありがとう、エルド…」
その言葉はきっと、一人の殿方から女性に対しての言葉ではない。
騎士から王妃への、忠誠を証すための言葉だったのだろう。
頭でそう分かっているからこそ、エルドのその言葉はとても甘く、そして堪えきれないほどに切なく、私の胸を締めつけたのだった。
結局私の護衛騎士たちの中で、ここを離れてみてはという私の提案に頷く者は誰一人いなかった。皆エルドと同じように、最後まで私のそばでこの身を守ってくれるという。
「冗談はお止めください!ひどいですよぉアリア様…っ!わ、私だけカナルヴァーラに送り返すなど…!二度と仰らないでくださいませっ!このリネットはたとえしがみついてでもアリア様から離れませんからねっ!」
リネットの安全を確保したくて彼女にも国に帰ってはどうかと諭してみたけれど、絶対に嫌だと鼻水を垂らして泣かれた。私は幸せ者だ。不出来な王妃であったというのに、こんなにも皆から慕ってもらっている。
「…ごめんなさいね。ありがとう、リネット」
それから数週間後、カナルヴァーラとファルレーヌによる連合軍がラドレイヴン王国に侵攻し、王宮に攻め入った。
すでに崩壊の一途を辿っていた大国の軍隊はほとんどまともに機能しておらず、各所の警備は驚くほど乱れ、手薄になっていた。
数百人からなる連合軍の精鋭騎士たちは深夜に猛スピードで馬を走らせ、難なく関所を突破すると真っ直ぐに王宮を目指した。
そして───────
78
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。
しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。
友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。
『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。
取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。
彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる