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11.心が折れる

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(……大丈夫、別に、今日は大丈夫。だって今朝方頼まれた用件が無事に済んだ報告をするのは当然のことだし、アーネスト様に同窓会に誘われた件も伝えておくべきだもの。別にこうして起きて待っていたって不自然じゃないわ)

 遅くまで帰宅しない夫を待ちながら、私は心の中で言い訳を繰り返した。また帰ってきて私の姿を見た途端に眉間に皺を寄せるのだろうか。溜息をつかれるだろうか。そもそも今夜は帰宅するのか。不安でならない。



 居間で刺繍をするふりをしながら待っていると、しばらくしてようやく玄関の扉の開く音がした。

(……っ!よかった……帰ってきた…)

 私は慌てて立ち上がり居間を飛び出そうとして、咄嗟に思い直しそのまま一呼吸置いた。そして数秒経ってゆっくりと玄関ホールに向かう。

「…お帰りなさいませ、ダミアン様」
「……あ?……なんだ。まだいたのか」
「は、はい。…あの、お話したいことが……、……っ?!」
「あらっ、こんばんはー奥様。お邪魔しますわね」

(え……っ?!……こ、こんな時間に……?!)

 信じられないことに、深夜といってもいい時間にようやく戻った夫はまたメラニー嬢を伴っていたのだった。ショックで声が出ない。

「ふふ、ヤだわぁせっかく静かに入ってきたのに。奥様にバレちゃった。あはははっ」

 悪びれもしないメラニー嬢を尻目に、ダミアン様は案の定眉間に皺を寄せて私を睨んだ。

「なんだ、話というのは。さっさとしてくれ。疲れているんだ」
「……っ、」

 女性と一緒に深夜に帰宅した事情を私に説明するつもりはないらしい。いつもと変わらぬ冷たい態度に怯みながらも、私の中にたぎるような怒りが込み上げてきた。

(こんなの……あんまりだわ…………!)

 これで疑うなという方が絶対に間違っている。

「…………ここでは……話せません……」
「……ああ?」

 私が絞り出した言葉に、ダミアン様は不満げな声を上げる。

「……二人きりで、話したいのです」
「何故だ」
「……。」

 チッ、と露骨に舌打ちすると、ダミアン様はメラニー嬢に言った。

「悪いが先に部屋に上がっててくれるか?すぐに行く」
「ええ、分かったわ」

 メラニー嬢はそれを受けて当然のように階段を上がっていった。





「……何なんだ、それで。話っていうのは」

 居間に移動して二人きりになるやいなや夫が私を急かす。私は深く息をつき、ゆっくりと話し始めた。

「……まず、今朝頼まれていた件ですが」
「今朝?」
「…………領地の代官への書簡…」
「……ああ。あれか。届けたんだろ?」
「…はい」
「ならいいじゃないか。俺は部屋に行くぞ」
「っ!……待ってください!」

 面倒くさそうにさっさと背を向ける夫を咄嗟に呼び止め、私はまくし立てた。

「そっ!その時に……、路地で変な男たちに絡まれて…………とても、恐ろしい思いをしましたの」
「……はぁ。だから何だ。無事だったからここにいるんだろうが」
「……っ、」

 少しも心配してくれない夫の態度に傷付きながらも、先を続ける。

「……ええ。その時に、たまたま近くを巡回していた王国騎士団の騎士様に助けていただいたのです」
「へぇ」
「その方が、学園で一緒だったアーネスト様だったのです。…覚えていらっしゃいますか?アーネスト・グレアム侯爵令息様ですわ」
「ああ、分かるに決まってるだろ。よかったじゃないか、それは。頼りになる美丈夫に助けてもらった自慢話か?」
「…………違います。その時にアーネスト様から、エレナ・ラザフォード侯爵令嬢が近々同窓会を開きたいと仰っていると伺ったのです。私たちにも来月辺りに招待状を贈ると」
「……へぇ……。エレナ嬢が……。ふ、そうか。それは楽しみだな。久々にあの美人の顔が拝めるわけだ。はは」
「…………。」

 ダミアン様の一言一句に腹が立って仕方がない。ずっと我慢してきたけれど、今夜はこのまま黙っていることはできそうもなかった。

「なら話はそれで終わりだな。来月の話ならあとは来月考えよう。俺はもう部屋に戻るぞ」
「お待ちください」
「…………はぁ。……今度は何だ」
「……あ、あの方と……、……今から何をなさるんですか?」
「…………は?」
「あの方です。……メラニー・ドノヴァン男爵令嬢です。なぜこんな深夜に女性と一緒に帰宅なさったのですか…?あ、あなたは既婚者なのに……おかしいではありませんか……っ」

 泣いたら嫌がられると分かっていても、込み上げてくるものを抑えることができない。みるみる視界が揺らいできたが、それでも私はキッと真っ直ぐにダミアン様を見つめた。

「……。」
「仲の良いお友達とはいっても……限度があります。あなたは疑うなと嫌がるけれど……、……こんなの、おかしいです……っ!わ、私は、あなたの妻なのですよ……、自由にしたいって……、こんなのは、み、認められません……っ。そもそも、若い女性が、こんな時間に他人の家を訪問するなど……非常識…」


 ドンッ!!


「っ!!」
「…黙って聞いていれば……好き放題言いやがって。いい加減にしろよクラウディア」

 突然テーブルに拳を打ちつけ私を睨みつけるダミアン様の目は、今までに見たことがないほど怒りと冷たさに満ちていた。

「そうやって恨みがましく涙を流しながら俺に説教するお前は少しも可愛げがない。こんな会話をこれからもずっと繰り返すのか?!うんざりだ!最初に言っただろう!俺は自由に過ごしたいんだ。メラニーだってそうさ。あいつは平民の育ちだからお高くとまった貴族の女たちよりも奔放に過ごしてきたんだ。だから俺はお前よりもあいつと一緒にいる方が気楽なんだよ」
「…………っ!!」
「ふ、今から何をなさるのかだと?夜を共に過ごすんだから、そんなの決まっているだろう!お前も貴族の女ならそんなことにいちいち目くじらを立てるんじゃない。見て見ぬ振りをして、円満に暮らしていく。それがそんなにも難しいことか?いいか、クラウディア、俺たちは互いに自由に生きるんだ!お前も俺の愛情など期待せずに好きに生きろよ。その方がよほど気楽だろうが」

 夫の口から紡がれる言葉の一つ一つが私の胸を抉り、立っていることさえ辛い。体中の力が抜けそうだった。
 私は半ば無意識に声を発していた。

「……じ…………自分の、夫の……愛を期待するのは…………駄目なんですか……?間違っていますか……?」

 こんなに大事に想っていたのに。子どもの頃から、ずっと……。

 ダミアン様は呆然とする私に容赦なくとどめを刺した。

「ああ。駄目だ。間違っている。おやすみ、クラウディア」

 そう言うと彼はそのまま私の視界から消えた。




 
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