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あの日は素晴らしく晴れた日だったとか言いたいけど、別に普通の日でした、すこし曇っていたかもしれないわね。
私が働いていた洋館は旧草山男爵邸という下野にある屋敷でした。
アカンサスのモチーフがいたるところにあるため「アカンサス邸」と呼ばれていました。
白い美しい洋館は重々しいヨーロッパというよりアメリカの木造ヴィクトリア様式を思わせる建物で、左右が微妙に非対称なところがありゴシック様式の雰囲気もあるのですが明るい壁色のためか暗さはない。
真ん中にはランタンタワー、見晴し台になるような塔屋があるのが特徴ね。
明治の鹿鳴館華やかな頃、大富豪で男爵だった草山久生氏によって屋敷は湖を見下ろす高台に建てられたと言われています。
素晴らしい紳士で、のちに名画に描かれる美貌を持つ妻を娶り、美しい娘も生まれて家族も幸せに過ごしていたようです、事件が起こるまでは……。

夫妻の美しい娘、清子は海運業で財を成した裕福な礒部子爵と婚約したのですが船の事故で亡くなってしまったのでした、次に鉱山により財を持つ高山伯爵と婚約を結ぶのですが、鉱山視察の際に落石で命を落としたのです。
そして、最終的にハンサムな深草公爵と婚約し結婚することになったの。
1923年9月1日のことでした。
朝から花婿の姿が見えずみんなが探していたのです。
花嫁は「必ずあの方は現れるわ」と話すとウェディングドレス姿の花嫁は屋敷中を探し始めました。
庭で待つ人々はランタンタワーの窓に人影があるのを確かに見たようです。
それは梁に縄をかけて首を吊っている花婿を……。
しかし確かめる術はありませんでした。
時刻は11時58分、そう関東大震災が起こったのです。
屋敷は無事でしたが庭にいた人々は倒木の犠牲になったとか。
そして奇妙なことにいくら探しても花嫁と花婿はどこにも居なくなったのです。
塔にも何もなく行方不明になった二人は今も屋敷を彷徨っているのだとか。
その後、屋敷は男爵の親戚に渡り降霊術やら何やら怪しいことが行われていたと言われますが実際のところはわかりません。
第二次世界大戦後はGHQに接収され、撤退後は所有者もなく一時期、キリスト教の葬儀を行う教会になったりしましたが最終的には国の物になり文化的価値の高さから文化財になったのでした。

でも屋敷自体は常に何か使われていたので廃墟めいたところなどなく、今でも人が住めるくらいに整備されていて、強いて言えば家具がほとんど残っていないというぐらい。
だからといって文化財になってる手前、適当な家具を入れるわけにもいかないからなんとなくガランとした雰囲気があって住宅というよりも美術館のような印象を与えていると言っていいわね。

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