ニシジュニウム

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笑顔

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「じゃあな!」


 満面の笑みの彼がそこにいる。胸がギュッと締め付けられた。最高の笑顔をした彼だと言うのに、何故その笑顔に不安がチラつくのだろう。


「……うん。また明日」


 それに対して、私も努めて笑顔を作って別れの挨拶をした。私はちゃんと笑えていただろうか。


 こうして下校と言うデートは終わりを告げ、私と彼はT字路で別々の家路についたのだ。


 私と彼がこうしてささやかな逢瀬を楽しむようになったのは、中学二年の、秋も暮れようと言う季節だった。たまに吹く木枯らしに、寒がりの私は、もう冬なのだと憂鬱な気分で家路を急いでいた。


 夕暮れも早まり、世界が橙色に染まる中、前方を松葉杖で歩く彼の姿が目に付いた。慣れない松葉杖に転びそうになる彼を、私は自然と支えていた。


「大丈夫?」


 私を見て驚いた顔をした彼だったが、その顔はすぐに満面の笑みに変わる。


「おお! サンキュー! 助かったよ!」


 同じクラスで、でも親が事業をしている上、自身のその明るい性格でクラスの中心人物だった彼は、少し前に交通事故で足を壊し、完全に回復する事はないと医者に言い渡され、陸上部を退部していた。


「道、こっち?」


「悪いよ」


「大丈夫。私もこっちだから。途中まで、ね?」


 そうやって肩を貸した私に、下心が無かったと言えば嘘になるだろう。クラスの中心人物とお近づきになれるかも。などと肩を貸しながら彼の顔をちらりと見れば、彼は夕暮れの橙色よりも真っ赤になっていた。


「な、何だよ? ジロジロ見るなよ」


「意外。モテそうなのに」


「そうでもないよ」


 言い返す彼の言の葉は、先に行く程声が小さくなっていった。


 こうして始まった彼との秘密の時間は、彼が松葉杖を使わずに歩けるようになって終わりを告げると、私は思っていたのだが、それは二人の始まりだった。


「好き……です。」


 真っ赤になる彼に頷き返した私も、きっと真っ赤だったに違いない。


 私も彼も付き合うと言う事がどう言う事か、良く理解していなかったから、する事と言えば一緒に下校するくらいだった。


 ゆっくりゆっくり。互いに歩調を合わせて、この時間が、一分でも一秒でも長く続く事を願って、二人並んで歩いた。クラスではあんなに饒舌な彼も、私と一緒に歩いている時には無口になり、私も元々無口な方だから、会話なんて殆どしなかった。たまに話す会話も、クラスメイトの話とか、進路の話くらいで、もっと会話をしたい。もっと彼を知りたい。そう思っているうちに、彼との別れのT字路まで辿り着いてしまうのだ。


「じゃあな!」


「また明日」


 これが二人のお約束の別れの挨拶だった。こうやって私たちは春までこの繰り返しをしたのだ。ピュアとか純朴とかではなく、二人とも不器用だったのだ。連絡先さえ交換しなかったくらいに。


 女の勘は当たると言うのを知ったのは、翌日の事だった。教室に入ると、誰も彼もが噂をしていた。彼の家が事業に失敗して一家離散したと。夜逃げ同然でこの街から出ていったと言う。


 信じられないと言うより、信じたくないと言う気持ちで、耳を塞ぐように机に顔を伏せて情報を遮断しようとしても、私の耳は鋭敏にクラスメイトの話に耳を傾けていて、そんな自分が許せなくて、歯を食いしばって泣くのを我慢していた。


 そのうちに先生が教室に入ってきた事で噂話は自然と収まったが、先生の一言で私の心は砕けた。


「……家庭の事情により、急遽引っ越しするとの報告がありました」


 その日一日がどのように過ぎ、終わったのか記憶にない。ただ、もっと彼と会話をすれば良かった。もっと彼を知れれば良かった。そうすればもっと彼に寄り添う事が出来たんじゃないか。そんな考えで頭の中はいっぱいだった。


 すぐには立ち直れず、三年生になったと言うのに、成績は下がる一方。このままでは希望する高校には行けないと両親や先生に進言されるも、机に向かうと彼の事ばかり考えてしまう自分がいた。それが嫌で、嫌で嫌で堪らず、泣くのを我慢して勉強をする一年間だった。


 中学三年の一年間はぼろぼろで、それでも何とか滑り込みで志望校には合格でき、両親たちをホッとさせながら、高校の校門前でボーッと立つ私は、通行の邪魔だったのだろう。誰かにぶつかられる形でよろけ、それを誰かに支えられた。


「大丈夫か?」


 助けてくれた人にお礼を言おうと顔を見て、心臓が止まった。だって彼だったから。何故? 夢? 妄想?


「良かった」


 でもすぐ目の前の満面の笑みの彼は、私の知っている彼の笑顔だった。


「一度だけ、高校どうするか話したろ? 良かったよ。俺、馬鹿だからさ、この一年必死に勉強したんだぜ」


 涙が、止まらなかった。一年間我慢していた感情が溢れ出して止まらなかったから。どうしようかとおろおろする彼は、私の手を引いて、人気のない場所で私を座らせると、私が落ち着くまで何時間も隣にいてくれた。お陰で入学式を欠席して、二人して先生に怒られてしまった。

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