あなたのお気に召すままに

舞々

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第四章 最後の砦

最後の砦②

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「水瀬、おい水瀬。こんな所で寝てると風邪ひいちまうぞ?」
「ふぇ?」


 そっと温かな物に頬を撫でられる感覚に、手術室の近くに置かれているベンチから飛び起きた。


「あ、ごめんなさい。俺、寝てて……」
「ふふっ。仕方ねぇよ。今日のお前はずっと緊張してただろうから、疲れただろう?」
「え? あ、ありがとうございます……」


 いつも怒られてばかりだったから、何だか調子が狂ってしまう。この人は、優しいのか怖いのかがわからない。俺は強い戸惑いを感じた。


「成宮先生、椎ちゃんは?」
「大丈夫だ。頭の中の血は全部取ったよ」
「本当ですか? 良かったぁ。先生、椎ちゃんを助けて頂き、ありがとうございます」


 自分の隣に座り込んだ成宮先生に向かって、深々と頭を下げた。そんな俺を見た成宮先生が、驚いたように目を見開く。それから、フワリと微笑んだ。


「ありがとうはさ、俺のほうだ」
「え?」
「だーかーらー、お前にありがとうって言ってんの」
 成宮先生が子供みたいに拗ねた顔をしながら俺を見る。


「俺の家族はさ、みんな出来のいい医者で、俺に対する周りからの期待は半端なかった。医者になったばかりの俺は『出来るのが当たり前』って感じで……そのプレッシャーに押し潰されそうだった。もう医者なんて辞めちまおうかって何度も悩んでいた」
「成宮先生でも、プレッシャーとか感じるんですね?」
「当たり前だろ? 俺は聖人君子じゃない、ただの人間だ」


 白衣のポケットに両手を突っ込んで拗ねたような表情する成宮先生は、本当に子供みたいだ。そんな意外な一面を見る度に、胸がキュンと締め付けられる思いがする。成宮先生が、ひどく優しい視線を俺に向けた。


「そんな自信を無くしてた時に、お前に会ったんだ。死にたくないって縋りつくような目をするお前を見て、絶対に助けてやらなきゃって思った。あの瞬間、モヤモヤしてたものが全部吹っ切れた気がしたんだ。俺にしか救えない命があるんだって思えた……」
 少年のように目を輝かせる姿を見て、微笑ましくなってしまう。


「それにさ、こんな俺を見て医者になりたいって言ってくれたことが、素直に嬉しかったし励みになった。あの時、また頑張ろうって思えたんだ」
 普段俺に向けられる厳しい視線でも、他人に見せる上辺だけの笑顔でもない。今にも泣き出しそうな顔をする。


「俺、お前の傍でなら、ちゃんと呼吸ができる。お前を見てたら、周りからどんな風に見られてようが、本気で頑張ってる姿はかっこいいんだって思えるようになったから。そしたら、なんか肩の力が抜けた……」
 普段絶対に見ることなんてない、あの天下の成宮千歳のあまりにもしおらしい姿に、俺は思わず言葉を失ってしまった。


「なんでだろう。お前には、全部をさらけ出せる気がする」
「ちょ、ちょっと……成宮先生……!」
 そう言いながら、俺の肩にそっと頭を乗せてくる。その瞬間、シャンプーの甘い香りがフワッと鼻腔を擽った。長い睫毛が俯いた顔に影を作り、彼の色気を更に引き立たせている。


 この人にこんな風に甘えられたら、どうしたらいいんだよ? わかんねぇ……。


 あまりの普段とのギャップに、俺はギュッと胸が締め付けられる思いがした。それと同時に頭が混乱してしまう。


「いつの間にか頭の中に水瀬が居座って、離れてくんねぇんだ。本当に……」
「ほ、本当ですか?」
「いい迷惑だ」
「そ、そんなぁ」


 ドキドキしながら成宮先生の言葉を待っていた俺は、ガクンと肩を落とす。結局はこの人の迷惑にしかならない自分が情けなくなってくる。そんな事はお構いなしに、成宮先生は俺の肩にグリグリと額を押し付けてきた。


「あの……いいですよ。肩貸してあげますから、ゆっくり休んでください」
「うーん……」


 眠そうな声を出す成宮先生の頭に、自分もそっと寄り掛かる。触れ合う成宮先生の体温が、とても心地いい。あんなに怖いと思っていたのに、今はなぜか安心感すらあるのはどうしてだろうか。
 事態を把握しきれずに、頭の中がゴチャゴチャになってしまう。


「水瀬を見てるとホッとする。お前を見てるとさ、あー、こんなに間抜けな奴もいるんだから頑張ろうって思える」
「何それ……ひどい……」
「ふふっ。お前はそのままでいいよ。可愛いし。危なっかしくて放っておけねぇ。研修医として未熟なりに精一杯頑張ってるお前を見てるうちに、俺が守ってやらなきゃ……って思うようになった」


 成宮先生が俺の髪を掻き分けて、そっと傷跡を撫でる。


「あの時の傷は、もう痛まないのか?」
「はい。全然」
「良かった。俺はいつも手術をする時、絶対に良くなって欲しいって祈ってんだ。だから、その願いが叶って嬉しい。体は大事にしろよ、俺が繋げた命なんだから」
「はい。大事にします」
「よし。いい子だ」


 その夜、俺は、誰も知らない成宮先生の一面を知ってしまった気がした。同時に、甘くて切ない鼓動も……。


 そして、知られてはいけないと思った。成宮先生に触れられることが嬉しくて、触れ合う体温が心地いいと感じていることを気付かれてしまったら……。真面目に仕事に向き合っていないって思われてしまうだろう。それは嫌だ。成宮先生に頑張っていることを認めてもらいたいのだから。


 この戸惑いはなんだろう。
 でもこれ以上成宮先生のの傍にいたら、俺はもっとこの人に惹かれてしまうかもしれない。そう思うと怖くなってしまった。


「成宮先生。お願いですから、これ以上俺を振り回さないでください」
「はぁ? いつ俺がお前を振り回したんだよ?」
 突然の言葉に、成宮先生が怪訝そうに眉を顰める。


「いつも素っ気ないと思ってると急に優しくされて……もう意味がわからなくて、苦しい。このままでは、僕は部下として貴方の傍にいられなくなってしまう気がして……怖いんです」
「……水瀬、お前それって……」
 成宮先生が目を見開いて俺を見つめてから、そっと息を吐き出す。その顔が、少しだけ緩んで見えた。


「そっか。でもごめんな。それは多分無理だ」
「え? なんで?」
「だって、俺自身もどうしていいかわかんねぇし。ただ、俺はお前が気になってしょうがない」
 俺の首筋に顔を埋めてしまった成宮先生の表情がわからなくて、俺はそっと溜息をつく。
「…………」


 そんな意味深なことを言われたらますます俺は期待してしまいそうで、それ以上の言葉を呑み込んだ。


 苦しいくらいの胸の高鳴りと共に、憧れ以上の感情を持ち始めてしまった罪悪感も……。
 気付かれないように、そっと呑み込んだ。
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