狼と兎の幸福論【第一部】

舞々

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第一章 狼が兎に恋する時

兎視点⑥

「あっちー‼」


 俺は燦燦と降り注ぐ真夏の日差しを、忌々しく睨みつけた。
 加えてギャンギャンと朝早くから泣き叫ぶ蝉の大合唱に、思わず耳を塞ぎたくなる。
 

 関西の大学に進学して、早くも四か月が経とうとしていた。少しずつ、違う環境での生活も、仲良しグループがいない生活にも、少しずつ慣れてきている。


 そう、寛太を思い出すことだって……減ってきた……はずだ。


 大学生になって気付いたことがある。それは、俺は、そこそこモテるということだ。
 自分はβだと公言しているせいか、女の子から告白させることも多かった。顔を真っ赤にしながら自分に思いを伝えてくる子を見れば、「可愛いな」って素直に思える。
 俺は、未だに発情期がなかったから、このままβと偽ったまま生きていけるのでないか……という淡い期待を抱くこともあった。
 柔らかくて、小さな体を抱き締めて……そして、守ってあげたい。


「ううん。そうじゃない」


 それでも、俺は忘れることができなかった。
 寛太と莉久に抱き締められた、あの感覚を。
 自分より大きくて、温かな存在に抱き締められれば、強い安心感に包まれた。ずっと凍えて震えてたΩの本能を、優しく宥められてくような……。
 結局は自分は弱者で、強い者に守られて生きてきたい……そう願っていることを思い知らされた。


「結局俺は、弱いΩなんだ……」


 ポツリ呟いて、教室へと向かう階段を駆け上った。
 チャプンチャプン。
 リュックサックの中で揺れる、ペットボトルの水音が心地よかった。


🐰🐰🐰


 ピロン。


 午後の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴ると同時に、スマホがメールの着信を知らせる。
「あ、真広だ……珍しい」
 久しぶりに来た真広からのメールを開いて、俺は眉を顰めた。


『寛太がずっと航に会いたがってる。落ち込み過ぎてて見てられないから、夏休みにもでも会いに来てやって欲しい』


 トクン。


 寛太の名前を見ただけで、甘く胸が締め付けられる。
「本当に、寛太は俺に会いたがってるのかな……」
 机に突っ伏しながら、スマホを眺める。
 だって、この前メールが来た時も、全然寂しそうな様子は見られなかった。いつも通りの、元気な寛太だった。


 でも、もし、本当に会いたがってくれてるんだとしたら……。


 思わず口角が上がってしまうのを感じる。
 嬉しい。凄く嬉しいけど……。ここで寛太に会ってしまったら、関西の大学に進学した意味が無くなってしまう。
 せっかく寛太から離れられたんだ。


 ここで会ってしまったら……。
 きっと、また寛太を大好きになってしまう……。


 俺は、それがとても怖かった。
 外はいつの間にか真っ黒な雲に覆われて、遠くの方ではゴロゴロと雷の音が聞こえてくる。夕立が来るかもしれない。
 俺は、ぼんやりと思う。


 寛太に会いたい気持ちに、寛太に会いたくない気持ち。


 でも本当は、どうしたいか、なんてわかりきってるくせに。


 夜寝る前に、寛太に電話をしてみる。
 五回コールして出なければすぐに切ろう、と心に決めて。意を決して電話をしたのに、
「もしもし、航か!?」
「え? あ、あ、うん」
 一回のコールも聞き終わらないか位の勢いで、電話越しからは寛太の慌てふためく声が聞こえてきた。
 

 これじゃ、まるでずっと俺からの連絡を待ってたみたいじゃんか……少しだけ、照れくさくなってしまう。
 でも、でも……めちゃくちゃ嬉しい。


「真広からメールが来て、寛太が俺に会いたがってるって」
「はぁ?」
 寛太があまりにも素っ頓狂な声を上げるものだから、俺までびっくりしてしまった。
 

 でも懐かしい、寛太の声。
 高校生だった頃と全然変わってない。
 心臓がドキドキして、痛くて苦しい。
 俺は勇気を振り絞って、寛太に問いかけた。スマホを持つ手が、カタカタと音を立てて震える。
 怖くて仕方ないのに、俺、お前の本当の気持ちが知りたいんだ。


「か……寛太は……俺に、会いたいの?」


「……会いたい……」


「え?」


「俺は航に会いたい……めちゃくちゃ会いたい……」


 初めて聞く、寛太の子供のような拗ねた声に、俺の胸は甘くときめく。
 まさか、こんなに素直に気持ちを伝えてくれるなんて、予想もしてなかった。


「帰ってこい、航。俺の所に」
「寛太……」
「帰ってこいよ、ゴチャゴチャ言ってないで」
「…………」
「帰ってきて……」


 寛太らしくない震えた声が、俺の心までも震わせた。




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