嫁取物語~婚活20連敗中の俺。竜殺しや救国の英雄なんて称号はいらないから可愛いお嫁さんが欲しい~

月夜乃 古狸

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第39話 レスタールの若龍

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Side.リスランテ

 朝になり、リスランテとサリーフェがレスタール家のリビングに行くと、すでにフォーディルトは出かけた後らしく、辺境伯夫人のレミエールが使用人のピジェと雑談しながらお茶を飲んでいるところだった。
『おはようございます』
 ふたりが挨拶すると、レミエールは少女のように見える顔を綻ばせ手招きしてきた。

「おはよう。今日は狩りの見学をするのよね? 案内が迎えに来るまでもう少しあるから、軽くお腹に入れておくと良いわ」
 夫人が言い終えるが早いか、ピジェがふたりのためにお茶と共に堅めのパンを薄くスライスして燻製肉を挟んだ軽食を出してきた。
 リスランテとサリーフェは顔を見合わせてクスリと笑みをこぼすと、勧めに従ってソファに座り、お茶に手を伸ばす。

「その、皆様落ち着いていらっしゃるご様子ですが、大丈夫なのでしょうか」
 レスタール家の雰囲気はいつもと変わらない。
 魔境と呼ばれる森の奥から普段出てこないような猛獣や魔獣がこの街に溢れてくるという、他領ならば未曾有の大惨事とされるような出来事だ。
 フォーディルトはその陣頭指揮をするべく城壁の外に出向いている。それなのに、まるで何事もないかのようなレミエールの態度に、サリーフェはどこか釈然としないようだ。

「問題ないわよ。この領の狩人は慣れているし、フォーが行っているからね」
「フォーディルトはそれほど強いのですか? いや、指揮官としての能力が高いのかもしれませんが」
 レミエールの言葉にもサリーフェの表情は晴れない。ただ、リスランテには引っかかる内容があったのか聞き返す。
 考えてみれば、リスランテはフォーディルトが学院で並ぶ者が居ないほど強いのは知っているが、本気で戦うところは見たことがない。
 12歳の時にプリケスク王国に救援に向かった部隊の指揮を執ったということは聞いていたが、学院での模擬戦も先日の決闘ですら明らかに手加減をしていた。

「ん~、私が説明するより実際に見た方が良いわよ」
 何故か困ったようにレミエールがそう言うと、まるでタイミングを計ったかのように案内役の男性が来たことをピジェが告げた。
「いってらっしゃい。そして、レスタールの、私たちの生き方を見てきてちょうだい」
「わ、わかりました」
「はい」
 どこか淋しそうにも見える表情でそう言われ、サリーフェとリスランテは小さく頷いて立ち上がった。


「ここからなら狩り場が見られますよ。皆の様子だとまだ溢れてきてないみたいだけど」
 そう言って案内役の狩人に連れてこられたのは領都をぐるりと取り囲んでいる城壁の北側。
 高さおよそ15リード(約12m)の城壁の上は平らになっていて、ところどころに簡易的な柵が設けられている以外は平坦で、登るための階段すら作られていない。
 リスランテとサリーフェ、それと公爵家の騎士たちは梯子を使って城壁の上まで来ると、眼下にフォーディルトたちレスタールの狩人が集まっているのが見えた。

 城壁の上は幅がおよそ2リード(約1.6m)で人が立つには十分な広さがあるのだが、ほとんどの場所に手すりなどは無いため、端のほうに立つには結構勇気が必要だ。
 リスランテとサリーフェは柵に掴まりつつ、騎士達は情けないことにおっかなびっくりという感じで城壁の外側を見下ろす。

「わざわざありがとう。貴方は狩りに参加しないのか?」
「今回は若のご友人の案内と、万が一の時の護衛役なんで。まぁ、クジに外れたから仕方がないです」
 案内が終わっても立ち去ろうとしない狩人に、リスランテが訊ねると、彼は苦笑しながら肩をすくめてみせた。
 ちなみに、この男は帝都からレスタール領への道中に護衛してくれていた狩人のひとりで、休憩を提案したり、あれこれと気を使ってくれた若い男だ。
 その時に聞いた話では、狩人の中でも特に気が回り、人当たりが良い者らしい。
 もちろん相応に腕は立つが、例に漏れず家の中では妹にこき使われることで培われた能力なのだろう。見た目は、やっぱり恐いが。

「クジ、ですか?」
「この街の男はほとんどが狩人なんで、人数を絞らないと狩りどころじゃないんですよ。引退した爺さんまで参加したがるし」
 森の奥から危険な獣が出てくるのを狩るという内容と、クジという言葉が結びつかずサリーフェが首をかしげると、狩人の男、ヴィルンが笑いながら答えた。
 
 領都に暮らしている現役の狩人はおよそ4000人。それに加えて今回は避難してきた集落の狩人も居る。
 そのほとんどの狩人が今回の狩りに参加を希望していたのだから、確かに選ぶにはくじ引きくらいしか方法は無いだろう。
 ついでに言っておくと、「猛獣や人間相手に戦うことができる」という人数だと、領都だけで7000人は居るそうだ。
 見た目は華奢な女性が多いが、大半は男たちほどではないもののある程度は戦えないとこの森では生きていけない。女達でも城壁の外に出ることはあるのだ。
 
「まぁ、参加できなくても獲物は分配されるし、運良く壁に獲物が近づいてきたら狩るので」
 分配されるといっても街の人口を考えれば大した量にはならないだろう。
 ヴィルンは背負った弓と、腰に括りつけられた矢筒を示しながら少しばかりの期待を表情に出していた。
 だがリスランテはその弓を見て疑問に思ったらしい。
 それも当然で、ヴィルンが持っているのはいわゆる短弓と呼ばれる物で取り回しと速射性に優れる反面、射程や威力は心許ないように見える。
「そんな小さな弓でここから狩れるのかい?」
 その言葉にヴィルンはニヤリと口元を歪め、背中から弓を外してリスランテに手渡して見せた。

 彼女はそれを「引いてみろ」という意味だと理解し、左手で弓幹ゆがらの握り部分を掴み、右手でつるを引こうと力を入れる。
 が、弦を引き絞るどころか、ほんの数カル(1カル=約8mm)引くのが精一杯なほど張力が強い。
「木が茂った森で使う弓なんで、固くて強い素材の弓幹に弦は魔獣の腱を使ってます。だから100リード(約80m)先に居る鹿でも狩れるくらいの威力はあるんですよ」
 ヴィルンはそう言いながらリスランテから弓を取り上げるとおもむろに矢をつがえ、間髪入れずに森の奥目がけて射った。
 矢はものすごい速度で飛んで行き、あっという間に見えなくなる。100リードどころかその数倍は届く勢いで、ヴィルンの例えはあくまで有効射程ということなのだろう。

「……本当にレスタール領の狩人は凄いね」
 リスランテはその技量を見て感心よりも恐ろしさすら感じていた。
 彼女が引けなかった弓を簡単に引いて見せたことではない。
 常識的に短弓はあまり張力を強くできない。それは素材の問題ではなく、弓幹が短くなればなるほど矢を射った時のブレが大きくなりやすく、張力が強くするとそれだけ命中率が下がってしまうからだ。
 なので射程の長い弓は必然的に弓も大きくなる。はずなのだ。
 
 にもかかわらず、ヴィルンはその強い弓をこともなげに引き、弓も矢もまったくぶれることなく放たれた方向に一直線に飛んで行った。
 並外れた力と技量がそこに込められているのを感じ、しかもそれをまだ若手と呼べるような狩人がやって見せた。
 仮に、レスタール領の狩人の半数が同じことをできると考えたら、それは戦力として異常なほどの脅威となるだろう。

「そういえば見たことはないけど、フォーディルトも弓は使えるのかな」
「もちろん若も使えますよ。というか、俺より上手いかと。まぁ、としかさの狩人はもっと上手い連中が沢山居るのであまり使わないですけど」
 つくづく規格外の存在である。

「ん? そろそろ来たみたいですよ」
 しばらくすると城壁の高さにも慣れてきて肩の力を抜くことができるようになり、ついでとばかりにレスタールの街のことや辺境伯家のこと、狩りのエピソードなどをいろいろと訊ねていると、不意にヴィルンが言葉を止めて森に視線を向けた。
 だがリスランテにもサリーフェにも何も聞こえなかったし、同じように森を見ても変化は感じられない。

「見張りの連中から口笛で合図がありました。だからもうすぐ……来た!」
 戸惑うふたりにヴィルンが説明しようとした直後、木々の隙間から数頭の巨大な鹿が飛び出してくる。
「鹿? いえ、ヤギ? 大きい!」
 城壁の上から見えるとはいえそれなりの距離だ。
 リスランテはすぐに魔法を構築して大きな水の板を作り出す。そこに映し出されるのは遠くの景色を拡大した光景だ。

 リスランテが驚きの声を上げたように、飛び出してきたのは騎馬ほどの大きで、長く微かに湾曲した2本の大きな角を持つ鹿らしき動物。
 フォルス公爵家の領地にも大きな森があり、そこに生息している鹿の姿を見たことはある。だがそれと比べて身体の大きさは倍以上、推測できる体重は4倍どころではないだろう
 大きさだけではない。
 愛らしささえ感じたフォルス公爵領の鹿と違い、魔境の鹿は長く鋭い角を振りかざし、草食獣とは思えない獰猛さで狩人たちに襲いかかっている。

 他領の猟師、いや兵士や騎士でさえ前に立てば蹴散らされるだけとしか思えない巨大な鹿を前に、レスタールの狩人たちはいささかも怯むことなく、それどころか逆に嬉々として近づいたかと思ったらたった一撃で大鹿の首を両断してしまった。
 角の一撃を躱して放たれたあまりに鮮やかな一撃にも驚いたのだが、さらにリスランテとサリーフェを唖然とさせたのは、首が落とされて崩れ落ちた大鹿が、別の狩人の手によって瞬く間に回収され、城壁近くまで運ばれるとその場で解体されていく様子だった。
 それは今の戦いが、彼らにとってただの狩りに過ぎないことを如実に表していたのだ。

「す、すごい」
 他領の街に一頭でも出没したら大騒ぎになりそうな大鹿が、森から次々に飛び出してきて、そのたびにわずかな時間で狩人たちに仕留められていく。
 100頭以上の大鹿が森を出てすぐに狩られ、数頭が森の縁に陣取った狩人たちの脇を抜けて来たものの、解体要員兼交代要員として城壁近くに待機していた狩人が残さず確保した。その内一頭は城壁の上からヴィルンが弓で眉間を打ち抜いて仕留めていた。

 大鹿の群れが途切れ、わずかの時間をおいて次に現れたのは見るからに凶悪な猫科の肉食獣だ。
「大牙虎ですね。素早くて力も強いですが、まぁ大丈夫でしょう」
 大鹿と同じくらい巨大な猛獣に、ヴィルンは心配する様子もなくあっさりと言う。
 そしてそれは単なる事実に過ぎないことが水盤に映し出される光景が証明していた。
 大鹿の時とは違い、1頭につき複数の狩人が当たるが、それでも危なげなく大牙虎を追い詰めて仕留めていく。
 しかもそんな獲物ですら毛皮を傷つけないように攻撃は最小限だ。

「ひっ!?」
「な、なんだアレは……」
 大牙虎が途切れ、その後に姿を現したものにサリーフェは悲鳴を上げ、リスランテも思わず顔を引きつらせる。
大蛇おおへびだな。アレは面倒くさいんだ」
 森からズルズルと身を引きずって現れた巨大な蛇。まだ全身が現れたわけではないのに明らかに大きさの桁が違う。
 鎌首をもたげた高さは大柄なレスタールの狩人を大きく超え、全長はおそらく20リード(約16m)を超えるだろう。胴回りなど人がふたり居ても抱えられるかどうかという太さだ。

「鱗と皮が硬くて矢も剣も刺さりづらい。速くはないですが、捕まれば逃げられない」
 ヴィルンの言葉を裏付けるように、狩人の放った矢は弾かれてしまい顔に当たったものくらいしか牽制になっていないようだ。
 なので、狩人たちはわざと大蛇が食らいつこうとするように挑発して頭を下げた瞬間を狙って斧や戦槌などの重量武器で攻撃し、時間を掛けながら仕留めていっている。
 そんな中、リスランテの水盤はフォーディルトが大蛇に襲いかかられるのを映し出した。

「フォー!」
「フォーディルト様!」
 リスランテとサリーフェが悲鳴交じりに名を叫ぶ。
 が、フォーディルトは2歩分ほど後ろに跳ぶと同時に手に持っていた身体に不釣り合いなほど大きな長柄武器を振り上げて一撃で大蛇の首を断ち切る。

「うわぁ、大蛇を一発で両断って、相変わらず若はとんでもないな」
「同じ狩人である貴方がそう言うということは、フォーディルトは狩人の中でもかなり強いのか?」
「狩りなら若より腕の立つ狩人は何人も居ますよ、狩人は経験も必要なんで。けど、腕っ節なら若より強いのは族長、領主様くらいです。あの親子はおかしいんで比べられたくないですね。まぁおかげで向こうっ気の強い狩人の連中も領主様と若の言葉には素直に従うんですけど」
 昔からの名残で辺境伯を族長と呼んだヴィルンが苦笑気味に説明する。
 
 だがその内容にはリスランテとサリーフェが顔を見合わせた。
 彼女たちの知るフォーディルトは、確かに強いし若年ながら武勲も立てた実績がある。しかし、見るからに屈強そうなレスタールの狩人と比べて背は低いし身体も細身だ。とても彼らよりも強そうには見えない。
 それにヴィルンの言いようから察するに、単に強いだけでなく屈服させ従わせるほどの力量ということなのだろう。

 その後は奇妙な猿が出てきたものの、強引に木を切り倒して追い散らし、無事に狩りも収まったように思えた。
「終わった、のでしょうか」
「ん~、どうですかね。大蛇はかなり森の奥に住む魔獣ですから、アレが出てきたってことは今回の溢れは終わりって気もしますが。今回はちょっと獲物の数が少ないんで物足りない感じですね。まぁ、数日様子を見ることになると思います」
「あれで少ないのですか!?」
「他の街なら大災害って認定されるレベルだよ」

 サリーフェとリスランテが驚きと呆れの混ざったような声を上げる。
 とはいえ、上から見える範囲では狩人たちが負ったのは軽傷程度で、ひとりとして犠牲になった者が居ないという事実が、やはりレスタールの狩人の感覚が彼女たちとは根本的に異なっているのだと思わせた。
 ともかく、これで今回の騒動も終わりかとリスランテたちが肩から力を抜いた直後、微かな、しかしハッキリと甲高い口笛の音が聞こえ、同時にヴィルンが表情を厳しいものに変える。

 城壁の外側を見ると、狩人たちも森から距離を取り警戒するように武器を構え直しているようだ。
 しばしの間、しわぶきひとつしない静寂が訪れ、やがて森の奥から巨大なナニカがのっそりと姿を現した。
「……どうやらアレが縄張りを追われた元のぬしみたいですね」
 ヴィルンが呟くように口にするが、リスランテもサリーフェもそれに反応することはない。というか、から目を離すことができなかった。

 一番近い動物はやはり熊だろうか。
 だが普通の熊よりも前後の足は長く、体長の半分ほどの長さの太い尾がある。かつての地球、新生代に生息したメガテリウムに近い見た目をしているが、上顎から生えた長く鋭い牙が肉食獣であることを表している。
 そして、何よりの特徴は、その巨大な身体だ。
 四つ足での体高はおよそ7リード(約5.6m)、後ろ足で立ち上がれば10リードを超えるだろう。建物ほどの大きさの生き物が動いていると考えるとその迫力と威圧感は尋常なものではない。

 ただ、縄張り争いの時に負った怪我だろうか、右の上腕部がえぐれて血にまみれていて、顔の右側も爪痕が刻まれ目が開けられないようだ。
 あれほどの怪物が縄張りを追われるという事実に戦慄したのはリスランテとサリーフェだけではない。公爵家の騎士達も顔色を真っ青にして顔を引きつらせている。
「ば、化け物……」
「あ、アレと戦う、のか?」
 騎士達の呟きにリスランテは唾を飲み込み、サリーフェは息を詰まらせるしかできない。
 だがレスタールの狩人たちは逃げることなく包囲するように動いていた。

「……勝てるの?」
「まぁ大丈夫でしょう。今回は若も居るし」
 緊張を孕みながらもどこか楽観的なヴィルンの言葉に聞き返す間もなく、自分を囲む狩人に気づいた怪物が足を止めた瞬間、その頭部目がけて一斉に矢が放たれる。
 グォォォン!!
 地響きかと思われるほど低く大きなうなり声を上げ、怪物が左前足で目を庇いながら頭を振ると、ほとんどの矢は刺さることなく弾かれてしまった。数本の矢は顎の周辺や首に刺さりはしたものの浅く、わずかに突き立った程度でしかない。

 グギャォウ! ガァッ!!
 攻撃されたことで怒り狂った元北の主。
 武器を構える狩人に向かって躍りかかるように近づき左前足の爪を叩きつける。
 300リード(約240m)近く離れている城壁まで音が聞こえそうなほど凄まじい一撃に地面はえぐれ土煙が上がる。が、狙われた狩人は素早く躱して無事のようだ。
 巨体のため動きそのものは速くない。
 とはいえ、その破壊力は擦っただけでも致命傷となりかねない。

 狩人たちが矢を怪物の目を狙って射かけつつ、背後に回り込んで後ろ足に攻撃を仕掛けるが、相当に頑強な毛皮と骨を持っているのだろう。それほど苦痛を与えられているようには見えない。
 だが前後左右から時間差を付けて執拗に攻撃されることに怪物は相当苛立っているようだった。
 傷を負った右前足で上体を支えながら左前足で爪を振るって狩人を狙うがその都度別の角度からの攻撃に邪魔されたり躱されて届かない。
 四つ足状態では狩人の動きについていけないと感じたのだろう、とうとう後ろ足で立ち上がり、両前足を振り上げる。
 そしてついでとばかりに身体を反転させると、尾で攻撃のために近づいていた狩人を跳ね飛ばす。
「ああっ!」
「大丈夫。自分から跳んでるから怪我はしていない」
 狩人のひとりが尾に飛ばされるのを水盤で見てサリーフェが悲鳴を上げるが、ヴィルンは冷静に状況を説明する。

 ただ、立ち上がったことで牽制の攻撃がほとんどできなくなったのは確かだ。
 ただでさえ巨大な身体が二本足で直立すると顔を目がけた攻撃は格段に難しくなる。
 その上今の攻撃からもわかるように後ろ足を狙って削ることもできない。身体に比べれば長くないと言っても尾だけで3リード以上あるのだ。怪物はそれを振り回して背後からの攻撃を牽制しているので迂闊に近づくことができない。

 怪我をしている右前足を庇うような素振りは見せず、怪物が一番近い位置に居た狩人に爪を振り下ろす。
 狩人が数歩後ろに下がり爪を躱すと同時に戦斧を叩きつけようとするも、振り下ろしとは逆の前足が横に薙ぐように振られ、咄嗟に戦斧の柄で受ける。
 が、そのあまりに強力な一撃を受けきることはできず、柄はへし折れ、その勢いのまま肩から胸に掛けてを爪で引き裂かれて鮮血が飛び散った。
 即座に別の狩人が負傷した男の服を掴んで引き離し、追撃をかわすことができたようだ。
 軽い怪我ではないが、意識はあるようで抱えられながら後ろに下がって行ったのを見てリスランテとサリーフェは小さく溜め息を吐く。

 とはいえ、これまで圧倒的なほどの力で魔獣たちを狩っていた屈強な狩人たちが初めて深手を負ったという事実は、彼女たちや護衛の騎士の動揺を誘うには十分すぎる出来事だった。
 それは相対する狩人たちも同じだったのだろう。
 水盤に映し出される狩人の顔はどれも厳しく、一層の警戒を表していた。
 それが変わったのは次の瞬間だった。

 小柄な人物が目にも留まらぬ速さで怪物の足元に飛び込んだかと思うと、その一瞬後に怪物の下腹部からドス黒い血が噴き出したのだ。
「あれは……フォー?」
「ですね。さすがにアレを他の連中が相手するには時間が掛かりすぎますから」
 無理だとは言わないあたり狩人としてのプライドが垣間見える。

「む、無茶です! フォーディルト様が!」
 当然のように傷を付けられた怪物は一層猛り狂い、左右の前足を滅茶苦茶に振り回してフォーディルトに叩きつける。
 それを向けられたフォーディルトは、なんと下がることなく振り上げるように戟を叩きつけて軌道を逸らし、おまけとばかりに反転した勢いを加えて振り下ろされた前足を削っていく。
「す、凄い……」
「…………」
 大熊すら一撃で殺せるだろう怪物の爪をその場から一歩も動くことなく逸らし、逆に攻撃を加えていく。
 言葉にすれば単純明快だが、実際にそれをできる者が大陸にどれほどいるだろうか。
 先程まで感じていた戦慄や恐怖すら忘れ、水盤越しに見るフォーディルトの戦いに目を奪われる。

 とはいえ、身体の大きさに差がありすぎてフォーディルトの戟は致命傷を与えることができない。
 途中でそれを理解したのだろうか、怪物のほうもむやみに爪を振るうだけでなく振り下ろした勢いで身体を反転させ、尾で薙ぎ払うような攻撃を混ぜてくるようになった。
 上から振るわれる前足の爪とは違い、太く体重を乗せた尾の勢いを逸らすことはさすがにできず、フォーディルトは尾を飛び越すように躱す。
 そしてそれを狙い澄ませたように再度爪が襲いかかる。
 フォーディルトは身体が宙にある状態のまま戟の柄で爪を受け、その衝撃を梃子にして蜻蛉を切ると怪物の前足を足場にしてさらに高く跳び、初の頭部への一撃を返してのけた。

 ガァ! グルゥァァ!!
「フォー……笑ってる?」
「ふぉ、フォーディルト、様……」
 激しい攻防を繰り広げる怪物とフォーディルトの姿は水盤が捉えきれないほどだが、一瞬止まった時に映し出される彼の表情は、確かにどこか狂気じみた笑みを浮かべているようにも見える。
 リスランテが知る限り、フォーディルトに戦闘狂のような気質は無い。
 喧嘩を売られても適当にいなし、学院生から絡まれ模擬戦をすることがあっても本気で戦うような真似はしないのだ。
 だから今のような表情を見るのは初めてのことであり、それは魔境の狩人としての血が表に出ているようにも思えた。

 それからも続けられた、ある意味怪物同士の戦い。
 それが終わったのは、始まったのと同じく唐突だった。
 幾度目かの尾による薙ぎ払いの瞬間、フォーディルトはそれを躱すのではなく足で勢いを殺すと同時に尾から背中を駆け上がり、怪物の頭を踏み台にして跳躍すると、渾身の力で戟を振り下ろした。
 戟の刃は怪物の首の後ろ、延髄に半ばまで食い込み、怪物はその身を数度痙攣させたかと思うとゆっくりと倒れ、そしてそのまま動かなくなる。
 戟を手放し、怪物から少し離れた位置で着地に失敗したフォーディルトが慌てて飛び起きるが、崩れ落ちた怪物の姿を確認して大きく腕を振り上げた。
 直後、狩人たちの雄叫びが城壁まで振動を伴って響く。
 それを、リスランテとサリーフェは呆然と見ていたのだった。
 
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