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申し訳ございません。あいにく先約がございまして。

(9)Side 多岐悠吾

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僕と日下さんが初めて会ったのはうちの会社、ではない。
日下さんは覚えてなかったけどあれは僕が18歳の頃今から6年程前のことだった。

僕は高校の行き帰りに川沿いを歩いていた。
水面がキラキラ光るのを見ながら歩くのが好きだったんだ。

でもその日はあいにくの大雨で傘をさして足早で歩いていた。
ごうごうとにごった川の水が力強く流れていく。

あぁ、こんなところに落ちたら危ないな。

そう思っていたのに、足を滑らせて川に落ちてしまった。
泳ごうとしても泳げない。激流に飲まれてしまう。

このままでは―――――。

諦めようとした。
どうせ抗っても激流の中泳げやしない。助かりはしないんだ。
力を抜きかけた時、男の声がした。

「ばかやろう――!諦めるな!泳げっ!」
「………!」

スーツを着た若い男が傘もささずに必死に叫んでいた。
そして自分が着ていたスーツのジャケットとシャツを脱ぐと引き裂いて結びだした。
「頑張れ!諦めるな!諦めるな―――!」
しっかりと結ばれたジャケットとシャツだったものを先に重しを結び込んで僕の方に投げてよこした。
掴める場所にくるまで何度もなんども投げて。
「掴め!掴んだら俺が必ず引っ張ってやる!だから掴め―――!」
僕は必死に足掻いた。生きたい!そしてあの人と話をしたい!
そんな思いでジャケットの端を掴んだ。

男は僕が掴んだのを見るとものすごい力で引き上げてくれた。
そんなに力があるようには見えないのに。

「げほっげほっ」
「大丈夫か?頑張ったな。偉かったぞ」
男は僕の背中を優しく何度もなんどもさすってくれた。
「ありが、とう……ござい…ました…っ」
それだけ言うのがやっとだった。それっきり意識を失ってしまった。
気が付くと病院のベッドの上にいて両親が心配そうに僕の事を見ていた。
辺りを見回してみても男の姿はなく、両親も知らないと言う。
退院後必死になって探したけど男の身元は分からずじまいだった。

六年後、会社に担当営業として現れた彼の姿を見た時は心臓が止まるかと思った。



僕はあなたがあの時言った「諦めるな」その言葉を胸に頑張って来たんですよ。
褒めてくださいますか?あの時の笑顔とともに。
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