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番外編
番外編 3 恩人 ④ (ノイア視点)
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「ノイア様を見つけたのは森の入り口付近でした」
「ほら、あの先のところです」と指を差す。それに従って私もリヒトが指し示す方を見た。
「僕は意識のないノイア様を背負って連れ帰り、昔習った薬草の知識をフル稼働してノイア様の看病をしました。そのときに……ノイア様もお分かりだったと思います。あの小屋にはなにもありませんでした。本当になにも……。でもなんとか助けようって精一杯で、水や薬草汁を口移しで与えたり……ご飯も硬いパンを噛み砕いた物を与えたり……す、すみません……」
と、リヒトは頬を更に赤く染めた。
口移し? 噛み砕いた物? 場面を想像し、私もつられて顔が真っ赤になった。
「あと……そのときにですね、ノイア様が舌を──」
「舌を……?」
看病の話のはずがなぜか少しだけ淫猥な響に聞こえてしまうのはなぜだろう。リヒトが恥ずかしそうにしているからだろうか。ごくりと喉が鳴る。
「舌を絡めてきて……はず……はずかしくて……」
真っ赤な顔で俯くリヒトに、多くは語られなかったが大体どんなことをしてしまったのか想像できた。羞恥に天を仰ぐ。
「それは──すまなかった……」
「…………」
私たちは現在夫夫で、それ以上のこともしているわけだが意識がない中そんなことをしてしまったことが恥ずかしくてたまらない。私ですらこうなのだから、なるほど照れ屋のリヒトのこと、自分から言えるはずもなかった。なら尚のこと私が怖がらず訊ねていればよかったのだ。
「僕、もっと早くに伝えていればよかったですね。でも言えなかったんです……。恥ずかしかったのもそうですが……本当は僕が恩人だって知られたくなかった……」
「それは……どうしてだ?」
恥ずかしくて言えなかったというのは納得できた。だが知られたくない理由は分からなかった。もしも私たちが恋仲にならなかったとしても恩人であれば私は充分に恩に報いたはずだ。リヒトもその後の生活に不安を抱くこともなく、安心できたのではないのか?
「だって知られたらノイア様の想いを信じることができなかった……かもしれません」
リヒトの言葉にハッとする。連れ帰ったリヒトは常に遠慮していて、私からの想いを受けることを分不相応に思っているようだった。そこに『恩』が絡んできたなら、かえって遠慮してしまって攫われるまでもなく自ら私の元を去ってしまっていたかもしれない。そうなっていれば探し出すことは困難だっただろう。そもそもズイが邪魔をしたはずだ。もしかしたら人知れず始末されていた可能性だってある。そうしてズイに騙され続け、再び依存するというそんな未来もあったかもしれなかったのだ。想像してゾッとした。リヒトがいない世界なんて考えられない。
「私はリヒトがなにをして、何者であったとしても今と同じ気持ちだ。心から愛している」
「はい……。やっと僕も僕自身を信じることができたから言えました。ノイア様、愛しています。あの日あなたを見つけることができて、助けることができて本当によかった……」
「あぁ、ありがとう……。私の命はリヒトのもの。私の心はリヒトのもの。私の過去現在、未来もリヒトのものだ」
「ノイア様……。僕は今から身の程知らずなお願いをします」
「ああ」
なにを言うのかはなんとなく想像ができた。ここに連れていって欲しいと願った理由も。だからこそ私のすべてはリヒトのものだと伝えた。少しでも自信を持って欲しくて。
「僕が一番つらかったとき、僕はノイア様に助けられました。ですがそれは僕、リヒトを助けてくださったってことで、ノイア様は恩人に対して借りが残りました」
私は頷く。
「あの子……は、れいの手紙の送り主のお子様です。ノイア様もお気付きだと思いますが、あの子の身体には暴力を受けた痕がいくつもあります。実の両親から僕みたいな扱いを受けていたそうなんです……」
そう言うと、リヒトは悲しそうに目を伏せた。
そうかもしれないとは思っていた。だが腑に落ちない点があるのだ。暴力もそうだが貴族らしい教育も一切受けていないように思えた。なら尚のこと不思議に思ってしまうのだ。言葉は悪いが売るつもりであるなら、そのことについて言い訳くらいはしてもいいはずなのだ。だが私は少年の親と会っていない。リヒトが会って、それで満足して帰ったということも考えられない。そもそも見下しているリヒトと会話すらしようとしないだろう。なら最初からきていないと考えるのが妥当だ。だとしたら手紙くらいはあってもいいはずだ。
私の疑問に対する答えはすぐにリヒトの口から告げられた。
「あの子は自分が売られることを知って、悲しいと思うよりも今よりはつらくないといいなと思ったそうです。そして相手がノイア様だと聞いてあの子──泣いて喜んだって……。ノイア様のことは遠くても親戚ですから耳にする機会もあったのでしょう。ノイア様であれば養子にしてもらわなくても、使用人としてでも幸せになれるって──。あの子にとってノイア様は『希望』だったんでしょうね。ですがノイア様はそのお話を断られた」
「それは──っ」
リヒトは「ええ、分かっています」と微笑み、先を続ける。
「あの子ひとりできたんだそうですよ。運にも恵まれたようですが知恵を絞って。どれだけの距離があるのか……子どもがひとりで、です。それだけノイア様の元へいきたかったってことです。自らの意思でノイア様を頼ってきたんです。あんなに小さな子が共も連れず、とてもつらく大変な旅だったと思います。僕ができなかったこと……いえ、やろうとも思わなかったことをあの子は自分で考え、ひとりでやりとげたんです。あの子には助けて欲しいと声を上げる勇気と行動力があります。それにあの子、僕の火傷の痕に触れて「痛いの痛いの飛んでいけー」って撫でてくれたんです。自分の方が痛いに決まっているのに。痛みを知るあの子は人にも優しくできると思います。どうかあの子の助けを求めて伸ばした手を取ってはいただけませんか? あの子を助けることは恩人への恩返しになりませんか?」
リヒトの言いたいことは分かった。きっとリヒトは私が恩人を探していることを伝えるか、このことがなかったなら自分から言うことはなかっただろう。それほどまでにあの少年を──、過去の自分を助けたいのかもしれない。そしてこれは私の為でもある。恩人がリヒトだと分かっても、私の心は罪悪感を抱え続けることになっただろう。あそこで運良くリヒトに出会えていなかったら、リヒトはこの世にはいなかったかもしれないのだ。私が恩人をもっと早くに探していれば、リヒトの傷を少しでも軽いものにできたのかもしれない。何度も言うようにいくら後悔してみても過去は変えられない、だとしたら未来、あの少年を救い、幸せにすることをリヒトが言うように恩人への恩返しとしよう。たとえこれがこじつけであったとしても、それが私たち三人の願い。
「分かった。あの少年にリヒトとは違う愛を贈ろう。親としての無償の愛を」
「ええ。僕も一生懸命愛します」
と満面の笑顔でそう言うので、私は少しだけモヤっとした。養子にする前からこんな調子では立派な父親にはなれないな、と自嘲すると、リヒトは「ふふふ」と笑った。
「いいじゃないですか。妬いて妬かれて、ときにはけんかもしたりして、仲の良い夫夫や親子というものはそういうものなんでしょう? こないだ読んだ本に書いてありましたよ」
「そう、だな。ふたりで全力であの少年を愛そう。ただふたりのときは私だけを見てくれないか?」
「僕も、ふたりきりのときは僕を見てくださいね」
微笑み合い、誓いを立てるみたいに私たちは唇を寄せて触れるだけのキスをした。
「ほら、あの先のところです」と指を差す。それに従って私もリヒトが指し示す方を見た。
「僕は意識のないノイア様を背負って連れ帰り、昔習った薬草の知識をフル稼働してノイア様の看病をしました。そのときに……ノイア様もお分かりだったと思います。あの小屋にはなにもありませんでした。本当になにも……。でもなんとか助けようって精一杯で、水や薬草汁を口移しで与えたり……ご飯も硬いパンを噛み砕いた物を与えたり……す、すみません……」
と、リヒトは頬を更に赤く染めた。
口移し? 噛み砕いた物? 場面を想像し、私もつられて顔が真っ赤になった。
「あと……そのときにですね、ノイア様が舌を──」
「舌を……?」
看病の話のはずがなぜか少しだけ淫猥な響に聞こえてしまうのはなぜだろう。リヒトが恥ずかしそうにしているからだろうか。ごくりと喉が鳴る。
「舌を絡めてきて……はず……はずかしくて……」
真っ赤な顔で俯くリヒトに、多くは語られなかったが大体どんなことをしてしまったのか想像できた。羞恥に天を仰ぐ。
「それは──すまなかった……」
「…………」
私たちは現在夫夫で、それ以上のこともしているわけだが意識がない中そんなことをしてしまったことが恥ずかしくてたまらない。私ですらこうなのだから、なるほど照れ屋のリヒトのこと、自分から言えるはずもなかった。なら尚のこと私が怖がらず訊ねていればよかったのだ。
「僕、もっと早くに伝えていればよかったですね。でも言えなかったんです……。恥ずかしかったのもそうですが……本当は僕が恩人だって知られたくなかった……」
「それは……どうしてだ?」
恥ずかしくて言えなかったというのは納得できた。だが知られたくない理由は分からなかった。もしも私たちが恋仲にならなかったとしても恩人であれば私は充分に恩に報いたはずだ。リヒトもその後の生活に不安を抱くこともなく、安心できたのではないのか?
「だって知られたらノイア様の想いを信じることができなかった……かもしれません」
リヒトの言葉にハッとする。連れ帰ったリヒトは常に遠慮していて、私からの想いを受けることを分不相応に思っているようだった。そこに『恩』が絡んできたなら、かえって遠慮してしまって攫われるまでもなく自ら私の元を去ってしまっていたかもしれない。そうなっていれば探し出すことは困難だっただろう。そもそもズイが邪魔をしたはずだ。もしかしたら人知れず始末されていた可能性だってある。そうしてズイに騙され続け、再び依存するというそんな未来もあったかもしれなかったのだ。想像してゾッとした。リヒトがいない世界なんて考えられない。
「私はリヒトがなにをして、何者であったとしても今と同じ気持ちだ。心から愛している」
「はい……。やっと僕も僕自身を信じることができたから言えました。ノイア様、愛しています。あの日あなたを見つけることができて、助けることができて本当によかった……」
「あぁ、ありがとう……。私の命はリヒトのもの。私の心はリヒトのもの。私の過去現在、未来もリヒトのものだ」
「ノイア様……。僕は今から身の程知らずなお願いをします」
「ああ」
なにを言うのかはなんとなく想像ができた。ここに連れていって欲しいと願った理由も。だからこそ私のすべてはリヒトのものだと伝えた。少しでも自信を持って欲しくて。
「僕が一番つらかったとき、僕はノイア様に助けられました。ですがそれは僕、リヒトを助けてくださったってことで、ノイア様は恩人に対して借りが残りました」
私は頷く。
「あの子……は、れいの手紙の送り主のお子様です。ノイア様もお気付きだと思いますが、あの子の身体には暴力を受けた痕がいくつもあります。実の両親から僕みたいな扱いを受けていたそうなんです……」
そう言うと、リヒトは悲しそうに目を伏せた。
そうかもしれないとは思っていた。だが腑に落ちない点があるのだ。暴力もそうだが貴族らしい教育も一切受けていないように思えた。なら尚のこと不思議に思ってしまうのだ。言葉は悪いが売るつもりであるなら、そのことについて言い訳くらいはしてもいいはずなのだ。だが私は少年の親と会っていない。リヒトが会って、それで満足して帰ったということも考えられない。そもそも見下しているリヒトと会話すらしようとしないだろう。なら最初からきていないと考えるのが妥当だ。だとしたら手紙くらいはあってもいいはずだ。
私の疑問に対する答えはすぐにリヒトの口から告げられた。
「あの子は自分が売られることを知って、悲しいと思うよりも今よりはつらくないといいなと思ったそうです。そして相手がノイア様だと聞いてあの子──泣いて喜んだって……。ノイア様のことは遠くても親戚ですから耳にする機会もあったのでしょう。ノイア様であれば養子にしてもらわなくても、使用人としてでも幸せになれるって──。あの子にとってノイア様は『希望』だったんでしょうね。ですがノイア様はそのお話を断られた」
「それは──っ」
リヒトは「ええ、分かっています」と微笑み、先を続ける。
「あの子ひとりできたんだそうですよ。運にも恵まれたようですが知恵を絞って。どれだけの距離があるのか……子どもがひとりで、です。それだけノイア様の元へいきたかったってことです。自らの意思でノイア様を頼ってきたんです。あんなに小さな子が共も連れず、とてもつらく大変な旅だったと思います。僕ができなかったこと……いえ、やろうとも思わなかったことをあの子は自分で考え、ひとりでやりとげたんです。あの子には助けて欲しいと声を上げる勇気と行動力があります。それにあの子、僕の火傷の痕に触れて「痛いの痛いの飛んでいけー」って撫でてくれたんです。自分の方が痛いに決まっているのに。痛みを知るあの子は人にも優しくできると思います。どうかあの子の助けを求めて伸ばした手を取ってはいただけませんか? あの子を助けることは恩人への恩返しになりませんか?」
リヒトの言いたいことは分かった。きっとリヒトは私が恩人を探していることを伝えるか、このことがなかったなら自分から言うことはなかっただろう。それほどまでにあの少年を──、過去の自分を助けたいのかもしれない。そしてこれは私の為でもある。恩人がリヒトだと分かっても、私の心は罪悪感を抱え続けることになっただろう。あそこで運良くリヒトに出会えていなかったら、リヒトはこの世にはいなかったかもしれないのだ。私が恩人をもっと早くに探していれば、リヒトの傷を少しでも軽いものにできたのかもしれない。何度も言うようにいくら後悔してみても過去は変えられない、だとしたら未来、あの少年を救い、幸せにすることをリヒトが言うように恩人への恩返しとしよう。たとえこれがこじつけであったとしても、それが私たち三人の願い。
「分かった。あの少年にリヒトとは違う愛を贈ろう。親としての無償の愛を」
「ええ。僕も一生懸命愛します」
と満面の笑顔でそう言うので、私は少しだけモヤっとした。養子にする前からこんな調子では立派な父親にはなれないな、と自嘲すると、リヒトは「ふふふ」と笑った。
「いいじゃないですか。妬いて妬かれて、ときにはけんかもしたりして、仲の良い夫夫や親子というものはそういうものなんでしょう? こないだ読んだ本に書いてありましたよ」
「そう、だな。ふたりで全力であの少年を愛そう。ただふたりのときは私だけを見てくれないか?」
「僕も、ふたりきりのときは僕を見てくださいね」
微笑み合い、誓いを立てるみたいに私たちは唇を寄せて触れるだけのキスをした。
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